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【アジア枠】KBLで奮闘中の中村太地。想像を超える韓国1年目のリアル

小永吉陽子Basketball Writer
原州DBプロミで奮闘中の中村太地(190センチ/23歳)写真提供/KBL

日本では考えられない環境の違い

「次から次へと目まぐるしくいろんなことが起こりすぎて……本当にものすごい経験をしていると思います」

 3月上旬、韓国プロリーグKBLの原州DBプロミの中村太地に取材をしたとき、真っ先に出てきた言葉だ。3月26日現在、レギュラーシーズンは54試合中49試合を消化し、リーグは終盤に入っている。中村は36試合に出場、平均15.51分、平均4.7得点、1.9リバウンド、1.9アシスト、3ポイントは33.8%のスタッツを残している。そんな中で、数字だけではわからない、日本では考えられないようなことを次から次へと経験している。

 たとえば、ロスター枠争いの熾烈さ。試合登録は12名だが、現在DBには2人の外国籍選手を含めて総勢19名の選手が在籍している。当然、ロスターを外れる選手がいるが、11月末に大学リーグを終えた新人が加入すると競争は激化。理由は後述するが、中村は13試合も登録から外れている。

 シーズン中には信じられないトレードも行われ、韓国で生き抜くことの厳しさを目の当たりにした。今年の2月には、ソウルサムソンと昌原LGとの間でチームの顔である韓国代表同士が、来季のサラリーキャップとフリーエージェントを睨んだ中でトレードされた。年明けには兵役を終えた20代中盤のイキのいい選手が各チームに復帰し、成績不振であれば外国籍選手はすぐに契約解除になり、戦力変動の激しい中でリーグを戦っている。さらに、中村はレギュラーシーズンのほかに、出場機会のない選手や兵役中のKBL選手が戦う2軍戦の『Dリーグ』の全11試合にも出場しており、1軍でも2軍でも存在感を示すことに必死だった。

 試合日程と移動にも苦労している。KBLのレギュラーシーズンは全10チームが6回総当たりで計54試合戦い、週に2~4試合行われる変則的なスケジュール。そのため、土日連戦や一日おきに試合することもあれば、日程が空くケースもあり、変則日程によるコンディション調整の難しさを感じている。

 試合終了後は、リカバリー時間を確保するためにすぐにバスで移動するのがKBLの基本。アウェーで土日連戦の場合は、前日の金曜に現地入りし、土曜の試合後には翌日の試合場所へ移動しなければならない。DBの例をあげれば、3月6日(土)に釜山で試合をした翌日の7(日)には仁川で試合があり、韓国の端から端まで移動している(この場合はバスではなく飛行機移動)。

 練習もハードだ。KBLではシーズンが終了して約1か月半後にはチーム練習が始まり、ウエイトトレーニングを含めた2部練習+個人練習が基本だが、加えて選手によっては、コーチがつきっきりのスキルトレーニングもある。

「1回の練習は1時間半から2時間くらいなのですが、オールコートを使った練習がとても多いので、走ってばっかりで体力をフルマックス使います。シーズン中でもしっかりと練習をするので、オフらしいオフが1か月ないこともあります」と中村は言う。とにかく、KBLで戦い抜くにはこの変則日程と移動、練習量の多さに慣れるしかないのである。

選手同士、コート内外でよく話すシーンが見られる(写真提供/KBL)
選手同士、コート内外でよく話すシーンが見られる(写真提供/KBL)

悔し涙に明け暮れる日々

 昨シーズンは新型コロナウイルスの影響でシーズンが早期終了したが、中村が所属するDBはソウルSKと同率で首位に位置し、優勝候補の筆頭だった。だが、今シーズンはケガ人が多発して下位に低迷している。複数人の主力が同時に離脱し、中でも韓国代表の中心選手、キム・ジョンギュ(207センチ)の離脱は響いた。そのため、11連敗を喫して苦しいシーズンを送っており、シーズン序盤には中村に多くのチャンスが巡ってきた。そんな中で忘れることのできない大きな出来事が二つあった。

 一つは、ミスをしたことでチームメイトやファンから非難を浴びたこと。二つ目は、監督から突然「充電期間」を言い渡され、ロスターから外れて試合に帯同しない期間があったことだ。

 11月下旬に取材をしたとき、中村は取材の終盤にZOOMの画面越しに涙を浮かべていた。決して弱音を吐いたわけではない。事実を語るうちに、悔しさと情けなさが込み上げてきたのだ。しかし「これも自分のリアルな成長過程なので、涙が出たことも含めて書いてください」と発言し、試練を乗り越えようとしていた。とくに悔しい思いをしたのが、11月7日の蔚山現代モービス戦だ。

 この日、中村は29分のプレータイムがあり、最後までコートに立っていた。1点負けていた残り14秒、ボールを保持していた中村はチームで攻める形を作る前にシュートを打ってしまい、それがエアボールになってしまった。結果、1点差で敗北。

「自分が試合を決めたいという気持ちと、本当に俺でいいのかという気持ちが交差してどちらにも振り切れず、頭が真っ白になってしまった」と反省しきりで、監督からは「今の太地に最後の勝負を託す責任までは求めていない。今はチームでの役割や試合の流れを覚えることだ」と指摘された。もっともである。

 辛かったのはその後だ。9連敗に陥ったことでファンの怒りの矛先が中村に向けられてしまい、本人のSNSにファンから非難の声が上がったのだ。「今では試練の一つとして受け止めています」というが、メンタルが揺らいだ出来事だった。

「シンプルに攻めろ」その意味を理解するまで


 連敗中にはチーム内で何度も意見を重ねた。自主性を大切にしているDBでは選手間のミーティングが多いが、ケンカのような言い合いがしょっちゅう起こるという。もちろんチームを良くするための話し合いだ。中村は通訳を通じて訳してもらうが、敗戦のあと、ガードの先輩にゾーンディフェンスのローテーションミスについて、まくしたてられて怒られたことがある。福岡大学附属大濠高校時代に指導を受け、みずから学びたいと飛び込んだイ・サンボム監督にも叱られてばかりの毎日だ。

「ミス一つに対して厳しく追及され、シュートを決める過程までの基本的な動きや考え方ができていないと言われ、バスケ以外のことでも、韓国の文化を尊重すること、人間性を高めること、プロとして試合に臨む姿勢のことなど、本当にたくさんのことを指摘される毎日です」という中村の心は何度も折れそうになった。

 もちろん、コートを離れれば、家族のように親身になって接してくれる人情の厚さやファンの熱狂があり、そこが韓国の良さであることもわかっている。しかし、シーズン序盤はその熱量のオンオフの切り替えに戸惑いを隠せなかったのだ。

 そんなとき、ポイントガードのキム・テスル(元韓国代表/36歳)のアドバイスが心底ありがたかった。経験豊富な司令塔の言葉は、中村が海を渡った理由――ガードとしての知識を学ぶために様々な経験を積むという、原点を思い出させてくれるものだった。

「テスリヒョン(テスル兄さん、先輩の意味)には、『まず何よりも“チーム”で戦うことと、シンプルに攻めることが大切だと言われました。優先すべきは簡単に点を取ることは何かを考えること。次に、状況判断しながら5人で攻めるためにガードが周りを生かすこと。周りを生かすことが最終的には自分が生きることになる』という言葉をもらいました。実際、テスリヒョンは簡単に攻める状況を作れるガードなので、一緒にプレーしていて勉強になります」

 シンプルに攻める――とは韓国でよく聞く言葉だ。まずは簡単に点を取れるところで点を取る。足を止めてしまえば、相手は次に何をするか読んでくる。簡単な状況での得点が優先されるのはバスケットボールの本質である。シュートに行くまでの過程や考え方ができていないと指摘された背景には、こうした動きが理解できていない点にあった。

「Bリーグのチーム全部がそういうわけではないですが、僕がこれまでやってきたチームではセットプレーが多く、コールしてからゆっくり合わせていくプレーが多かった。けれど、韓国ではリバウンドを取ったらまずプッシュできる人がプッシュして得点を狙う。それがだめなら2対2に入って、状況判断しながら全員で組み立て、そこから派生していく動きの中で、足を止めずに考えながら動いています。こっちに来て気づいたのですが、日本では『ここまでは走って、ここからはセットですよ』みたいな攻めが多く、1つ1つのプレーが途切れることが多かった。監督やヒョン(先輩)に指摘されたのはそこなんです」

 韓国バスケが判断の連続からくる連動性が特色であることは、アジアでの戦いをみればよくわかること。幾度もその駆け引きで敗れてきた歴史がある。中村が身をもって体験して気づいたように、韓国の連動性ある動きは長年培ってきた習慣からくるものだったのである。

試合前の国歌斉唱。右から3番目がエースのキム・ジョンギュ、右から4番目がベテラン司令塔のキム・テスル(写真提供/KBL)
試合前の国歌斉唱。右から3番目がエースのキム・ジョンギュ、右から4番目がベテラン司令塔のキム・テスル(写真提供/KBL)

屈辱だけど必要だった欠場期間

 外国籍選手の役割の違いについても戸惑いがあった。Bリーグでは外国籍選手がオンザコート2という中で、ポジションを勝ち取る競争により、日本人選手が力をつけていくことを目指す。ここ数年は外国籍選手の質が上がっていることから、リーグ全体のレベルが上がっていることは間違いない。KBLの狙いは違う。外国籍選手がオンザコート1であるため、必然的に国内選手がボールを持つ時間が長くなることから、国内選手がフィニッシュするケースが日本にいたときよりも多い。ましてや、今のKBLには195センチオーバーのフォワードが大勢いるのが特徴で、リバウンド争いも激しい。

「日本では外国籍選手に任せてしまい、リバウンドにいく習慣を忘れていました。しかも韓国の選手って、身体に厚みがあるんですよ。そのぶつかり合いで体力を消耗していました」

 中村がぶつかった壁は、日本では、韓国だから、というスタイルの違いだけでなく、プロキャリアが浅いゆえの至らなさもあるだろう。そうした状況を踏まえ、監督からは突然のトレーニング期と称して約1か月の「充電期間」が与えられた。

「太地は大卒の新人と同じ年。ルーキーだと考えればよくやっている。でも、もっと心身ともに韓国バスケに適応しなければならない」と語るその方針は、高校時代から中村のことを知る監督の親心でもあるだろう。ちょうどドラフトで新人が加入し、ケガ人が戻ってきたこともあり、12月20日から連続8ゲームにわたって12人のロスターから外れることになった。これが2つ目の大きな出来事だった。

 復帰はオールスターブレイク後の1月20日。約1か月間、コーチがつきっきりで午前はウエイトトレーニング、午後はアジリティ系のトレーニング、夜間はシュートの打ち込みで3部練習を行った。

「ケガをしたわけではないのに、ベンチにも入れない屈辱は初めてでした。でも、オフシーズンに十分な体作りをしないままに、駆け足でここまできたので必要な時間だったのかもしれません」と中村は受け止めている。

ゲームMVPには二度選出された(写真提供/KBL)
ゲームMVPには二度選出された(写真提供/KBL)

状況を受け入れ、自分にできることを 

 約1か月の充電期間を終えてチームに合流した直後、1月22日のオリオン戦で、26分出場、13得点、5アシスト、5リバウンドをマークした中村は、初のゲームMVPを受賞した。3月6日のKT戦でも21分出場、14得点、4リバウンドで2度目のMVPを受賞している。「確実に休養前よりバスケが理解できていると思います」と手応えはつかんでいる。

 だが、プレータイムを確保できているかといえば、やはり状況によってはベンチを温める時間は長い。新人を鍛えるために3月中盤はロスター外となり、厳しい競争の中にいることも事実である。ただ、今の中村は「自分の置かれている状況から逃げ出さず、まずは韓国のスタイルを受け入れて、その中で自分にできることは何かを考えて実行することが大切」と受け止められるようになった。これは異国で生き抜くための大きな前進である。

 レギュラーシーズンは4月6日に終了する。ケガ人が復帰してからのDBは強さを発揮しているが、上位6チームが進出するプレーオフへの道のりは険しい。残り5試合に全勝して、相手の敗戦も必要な状況だ。そんな中で中村は「与えられた時間の中で自分にできることをして、起爆剤になってやるくらいに思っています」という意気込みで残りの試合に臨む。そして、アジア枠でプレーしたからこその“気づき”をもっと得たいと思っている。

◆KBL公式サイト

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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