Yahoo!ニュース

シリアの化学兵器攻撃から2年、「穏健な反体制派」支援がもたらす混乱

青山弘之東京外国語大学 教授
ダーイシュによる破壊前のバール・シャミーン神殿(写真:ロイター/アフロ)

シリアの首都ダマスカス郊外で化学兵器が使用されたとの情報が世界を席巻してから8月で2年が経った。この騒動は、米英仏によるシリアへの軍事介入の試みが、英国議会での否決やロシアの巧みな外交によって頓挫したことで一応収束し、その後、シリア国内では、化学兵器禁止機関(OPCW)の監督のもと、シリア政府が保有していた化学物質や関連施設を全廃した。

この事件をめぐって、シリア、ロシア両政府は、反体制派が化学兵器を使用したと主張する一方、欧米諸国やシリアの反体制派は、シリア軍の犯行だと断じている。国連の報告では、現場で採取したサンプルの調査結果や反体制派支配地域の住民らの証言から、シリア軍の犯行が暗示されている。だが「アラブの春」に端を発するシリアの紛争は「情報戦」としての性格が色濃く、誰が化学兵器を使用したかを特定することは容易ではない。

しかも、化学兵器や塩素ガスの使用は、この事件以外にも多くの事例が報告されており、シリア軍、反体制武装集団の双方に疑惑の目が向けられている。紛争において、こうした「疑惑」は、政敵を貶めるための政局となり、そのなかで「真実」が作り出されていくことを忘れてはならない。

国連は2015年8月、安保理決議第2235号を採決し、シリアでの化学兵器の使用者の特定と責任追及のため、国連とOPWCによる合同査察機構を創設することを定めた。しかし、シリア情勢は依然として流動的であり、仮に化学兵器使用の実行犯が特定されたとしても、そのことが紛争の終息をもたらす契機とはなり得ないというのが実情である。

「三つ巴」、「四つ巴」の対立

シリアの紛争の複雑なありようは、シリア政府、ダーイシュ(イスラーム国)、アル=カーイダ系諸組織が反体制派の「三つ巴」の対立、あるいはこれにクルド民族主義勢力(西クルディスタン移行期民政局)を加えた「四つ巴」の対立といった言葉で表わされることが多い。

シリア地図(筆者作成)
シリア地図(筆者作成)

8月のシリア国内の動きを見ると、イドリブ県では、同県におけるシリア政府の「最後の牙城」であるフーア市とカファルヤー町に対するファトフ軍の包囲と無差別砲撃が続く一方、ハマー県北部ガーブ地方やラタキア県東部の山岳地帯で、ファトフ軍とシリア軍との一進一退の攻防が続いている。

ファトフ軍は、3月にイドリブ県を制圧した武装集団の連合組織で、アル=カーイダ系組織のシャームの民のヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動、ジュンド・アクサー機構などからなる。

ダマスカス郊外県や首都ダマスカスでは、シリア軍が、レバノンのヒズブッラーやパレスチナ解放軍とともに、対レバノン国境における反体制派の最後の拠点であるザバダーニー市の制圧を目指して攻撃を激化させるとともに、東グーター地方のドゥーマー市、アルバイン市などに対して無差別空爆を行い、100人以上の民間人を死に至らしめた。これに対して、ジハード主義武装集団も首都ダマスカスに対して無差別砲撃を行い、多くの犠牲者と被害をもたらした。

消耗戦の様相を呈するこうした戦いのなか、シャーム自由人イスラーム運動とイランの高官がトルコで2度にわたって停戦に向けた交渉を敢行し、ザバダーニー市からの反体制武装集団の安全な退去と、フーア市、カファルヤー町の住民の避難の是非が話し合われたが、合意にはいたらず、戦闘は今も続いている。

ファトフ軍がイドリブ県で勢力を拡大した3月以降、シリア軍はダマスカス郊外県、ラタキア県、ハマー県の守備に重点をおいた作戦を強いられている。シリア軍の戦況について連日報道を続ける国営のSANA(シリア・アラブ通信)も、最近では空爆による戦果を伝えるばかりで、兵員(地上部隊)不足がかつてないほどに深刻化していると思われる。こうしたなかで勢力拡大を虎視眈々と狙っているのがダーイシュだと言える。

ダーイシュによる文化遺産破壊

ダーイシュは5月、UNESCO世界文化遺産に指定されているパルミラ遺跡を擁するヒムス県中部のタドムル市一帯に勢力を伸張した。また7月にはハサカ県の県庁所在地ハサカ市に進攻し、一時は同地陥落の危険さえ囁かれた。

ハサカ市では、シリア軍は、西クルディスタン移行期民政局人民防衛部隊(YPG)、そして同部隊を空爆支援する米国主導の有志連合と事実上連携するかたちで、ダーイシュの掃討に成功した。だが、シリア軍が単独でダーイシュに対峙しているヒムス県中部では、キリスト教徒が多く住むカルヤタイン市をダーイシュに急襲、制圧された。

カルヤタイン市を手中に収めたダーイシュは、同市にあるシリア・カトリックのデイル・マール・エルヤーン修道院を破壊、その後、破壊活動の矛先をタドムル市に向け、バール・シャミーン神殿、ベル神殿を次々と爆破していった。

非難の声は当然、ダーイシュに向けられた。だが、アル=カーイダ系組織を含むジハード主義者との戦闘に追われるシリア軍がヒムス県から戦略的撤退を続けた結果として、文化遺産破壊が生じたという事実は、シリア政府の責任を追及するにせよ、シリア軍弱体化の危険に警鐘を鳴らすにせよ、看過されるべきではない。

「穏健な反体制派」支援により複雑さを増す紛争

混乱は、三つ巴、ないしは四つ巴の対立を続ける当事者の勢力均衡によって持続しているだけでなく、諸外国、なかでも米国の対シリア政策によってより複雑化している。

米国は、「アラブの春」がシリアに波及した当初、バッシャール・アサド政権に強く退陣を迫った。この論調は現在も変わっていないが、前述の化学兵器使用事件以降、米国は、ダーイシュへの対応を優先させ、アサド政権退陣に向けた具体的な動きは見られなくなった。

米国は、「穏健な反体制派」という言葉を対シリア政策のキーワードとして頻繁に使用し、その支援をめざすと主張する。この言葉は当初、アサド政権の打倒を主導する政治勢力やジハード主義者以外の武装集団を意味していたが、ダーイシュの登場以降、意味がすり替えられ、ダーイシュと戦うための武装集団を指すようになった。だが、バラク・オバマ米大統領自身が「幻想」と述べた通り、米国の意に沿うような「穏健な反体制派」は事実上存在しないに等しい。

シリア国内で活動する主導的な反体制武装集団は、アル=カーイダ系の諸組織を含むジハード主義者であり、「自由シリア軍」を自称し、「穏健な反体制派」と認定し得るような勢力は、その指揮下、ないしは連携を通じてかろうじて存続しているに過ぎない。

こうした事態に対処するため、米国はトルコやヨルダン領内で、ジハード主義者ではない活動家に軍事教練を施し、シリア領内に投入することを計画し、2015月初めに実行に移した。これにより、3年間で約1万5,000人の「穏健な反体制派」がダーイシュとの戦闘にあたる予定だったが、6月段階で教練を受けた戦闘員の数は60人程度しかいないことが露呈した。

ヌスラ戦線と「穏健な反体制派」の軋轢に乗じてダーイシュが「安全保障地帯」に進攻

問題はそれだけではない。有志連合によってたびたび標的とされてきたヌスラ戦線が、「穏健な反体制派」派遣に異議を唱え、実力行使に訴えたのである。

米軍の教練を修了した「穏健な反体制派」は、第30(歩兵)師団の名で、アレッポ県北部のアアザーズ市近郊に7月に投入されたが、ヌスラ戦線によってその拠点を襲撃され、司令官ら10名あまりが拉致されてしまった。米軍は、ヌスラ戦線の襲撃を受けた第30師団を援護するための空爆を実施、またヌスラ戦線と共闘するスンナ軍(ファトフ軍所属組織)の拠点を攻撃した。だが、アサド政権の打倒に向けて、ヌスラ戦線を陰に陽に支援する(ないしはその活動を放置する)トルコが、こうした空爆には参加していないと表明し、米国の強硬な手法に反発した。

ヌスラ戦線、米国、トルコの間の軋轢は、ヌスラ戦線が第30師団の捕虜の一部を釈放することで収束に向かったが、混乱はなおも続いた。第30師団の派遣に先立ち、米トルコ領政府は、ダーイシュのトルコ領内(スルチュ)でのテロを受けるかたちで、有志連合によるインジルリク空軍基地の使用や、アレッポ県北部に「安全保障地帯」を設置することなどを合意していた。

この「安全保障地帯」は、アレッポ県のアアザーズ市、ジャラーブルス市、バーブ市を結ぶ東西100キロ、南北40キロの区域に位置するとされる。両国は、ここからダーイシュを排除したうえで、「穏健な反体制派」に支配を委ね、トルコ領内からシリア人避難民を移入させるとともに、有志連合が同地帯上空を飛行禁止空域に設定することで、シリア軍からの攻撃を抑止しようとした。

しかし、「安全保障地帯」の設定に向けた動きも、ヌスラ戦線によって翻弄されることになった。ヌスラ戦線は、有志連合への参加は是認できないとの理由で、「安全保障地帯」内の支配地域から撤退し、拠点を在地の「穏健な反体制派」(スルターン・ムラード旅団などシャーム戦線所属組織)に譲渡した。

だが、これと時を同じくして、ダーイシュが攻勢を強めた。ヌスラ戦線の後援を失った「穏健な反体制派」は、支配地域を次々と失い、ついには同地帯の拠点都市であるマーリア市を包囲されるにいたった。

「穏健な反体制派」をめぐる混乱は、米国、さらにはトルコの対シリア政策が、三つ巴、四つ巴の対立を刺激し、紛争をさらに複雑なものとしていることを端的に示している。こうした政策が仮に支持されるとすれば、それは、「人権」や「民主主義」の立場に根ざし、なお且つ「独裁政権」の打倒や「テロ」根絶が真に追求されている場合のみだろう。しかし、アサド政権の退陣は、米国にとっては本質的な問題ではなく、また付け焼き刃的とも言えるその優柔不断な対応ゆえに、ダーイシュ、ヌスラ戦線などの「国際テロリスト」に勢力拡大の余地を与えてしまっている。(2015年9月9日脱稿)

**

本稿は、2015年8月のシリア情勢を踏まえて執筆したものです。2015年8月のシリア情勢の推移については以下のデータを参照ください。

また2011年以降のシリア情勢をより詳しく知りたい方は「シリア・アラブの春顛末期:最新シリア情勢」(http://syriaarabspring.info/)をご覧ください。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリアの友ネットワーク@Japan(シリとも、旧サダーカ・イニシアチブ https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』など。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

青山弘之の最近の記事