ロッキード事件と私の45年
昨秋から今年の初めにかけてロッキード事件を巡る2冊の本が出版された。一つは元共同通信記者の春名幹男氏が書いた『ロッキード疑獄ー角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(角川書店)、もう一つは作家の真山仁氏が書いた『ロッキード』(文芸春秋)である。
いずれも「田中角栄の犯罪」とされた事件の構図に疑問を呈し、東京地検特捜部の捜査は事件の真相に迫っていないとみている。事件の主犯は右翼の児玉誉士夫であり、その児玉と最も近い関係にあった政治家は中曽根康弘である。ロッキード社の売込み工作の主役は民間航空機トライスターでなく、自衛隊が導入した対潜哨戒機P3Cということでも一致する。
ただ春名氏は米国特派員を長く務めたことから、米国の公文書を中心に取材を進め、キッシンジャー元国務長官の「田中嫌い」が事件の底流にあることを強調している。米国は独自外交の角栄を葬り、親米反共の岸信介ら巨悪を護ったという見方である。
これに対し真山氏は、角栄が日中国交正常化や対アラブ外交でキッシンジャーの怒りを買ったことは事実だが、当時の三木総理、検察、そしてメディアも角栄を叩くことが利益だった。正義の名の下に角栄を葬ったのは「世論」だとしている。
私は45年前に社会部記者としてロッキード事件を取材した。その8年後に政治部記者となって田中角栄を担当し、病に倒れるまでの1年余り、ロッキード事件で有罪判決を受け、「自重自戒」と称し目白の私邸に籠った角栄から、月に一度話を聞いた。
聞かされたのは、メディアの報道とはまるで異なる政治の実像だった。日本政治の最大の問題は野党が存在しないことで、「社会党も共産党も野党ではない。要求するだけで国家を経営しようとしていない」と角栄は言った。メディアが報道する「表」の政治と「裏」の実像との落差に驚き、私は世界ではどのように政治報道が行われているかを調べた。
すると米国に「C-SPAN」という議会専門チャンネルがあることを知った。それはベトナム戦争から生まれた。米国は正義と信じた共産主義との戦いに敗れ、国民は政治を信ずることができなくなる。「政治改革」が叫ばれ、政治を透明化する目的でケーブルテレビに民間が経営する議会専門チャンネルが誕生した。
同時に私は、米国議会でロッキード事件が暴かれたのも、ベトナム戦争に敗れた結果であることを知る。敗戦の反省から米国は反共主義からの脱却を図り、45年前の2月にロッキード事件が火を噴いたのは、軍需産業と世界の反共人脈の癒着が腐敗の象徴だったからだ。
言うまでもないが、ロッキード事件は日本をターゲットにしたのでも田中角栄をターゲットにしたのでもない。ロッキード社は世界中の反共人脈を通じて各国の政治家に賄賂をばらまき航空機を売り込んだ。西ドイツの国防大臣、オランダ女王の夫君、イタリアの副大統領らと並んで日本では児玉誉士夫が秘密代理人と名指しされた。
それまで児玉を取材することはタブーだった。しかし米国議会から名指しされたことでタブーが解け、私は戦時中に中国大陸で海軍の特務工作を行った「児玉機関」のメンバーを訪ね歩くことから取材を始めた。するとそれまで教えられてこなかった日本の裏の姿が見えてきた。
我々は戦後民主主義の明るい側面ばかりを教えられた。しかしその裏には隅々に至るまで米軍の支配下にある日本の現実が隠されている。メディアはそれを報道できないでいたが、ロッキード事件がそこに光を当てた。
新聞もテレビも独自にロッキード社に絡む日米人脈を暴き、児玉と政界との関係を追及した。毎日がスクープの連続で、この時ほど日本のメディアが生き生きとしてニュースが面白かったことはない。
私は赤坂と六本木が米軍の街であることを知った。そこで米軍と日本の官僚が定期的に会合し日米関係の諸問題を話し合う。高級クラブやディスコがその街にあるのも米軍の存在と無縁ではない。
赤坂には児玉の息のかかった店が多かった。調べていると「殺されるよ」と何度も忠告を受けた。そして児玉の秘書が中曽根の書生だったことを知り、自民党幹事長の中曽根に私は疑惑の照準を合わせた。
ところが戦後史の闇を暴く取材は2か月で打ち切られた。4月、東京地検特捜部に米側資料が入ったため、これからは金を受け取った政府高官の取材が始まると言われ、私は政界捜査に切り込む東京地検特捜部の担当を命ぜられた。
記者クラブに行って驚いたのは、情報がすべて管理されていることだ。記者は自由に取材ができない。検察幹部が1日に2回行う会見だけが記事にするのを許される。独自の記事を書くと会見から排除された。要するに検察の言いなりの記事しか書けない。
夜になると記者たちは手分けして検察幹部の家を「夜回り」する。私は検事正と特捜部長を担当した。特捜部長は「口なしのコーちゃん」と呼ばれ、何を聞いてもしゃべらない。それでも共同通信、毎日新聞と私の3人だけは毎晩特捜部長の家に通った。
特捜部長の口癖は「マスコミ性馬鹿説」だ。マスコミは「生まれつきの馬鹿」だという。記者が質問しても「バーカ」としか答えない。3人は夜遅く帰宅した特捜部長に家の前で「バーカ」と言われるのが日課だった。
私が事件の本命と見た児玉は入院し、検察は児玉ルートの捜査を断念する。一方で検察は全日空と丸紅の幹部を逮捕して政治家に捜査の手を伸ばす。政治家逮捕は「セミの鳴く頃」と言われたが、ある夜、帰宅した特捜部長が3人を家の中に入れた。ところが玄関口でくるりと背中を向けて顔を見せない。質問すると「バーカ」が返って来た。
「明日政治家が逮捕される」と直感した。翌早朝、検察庁の玄関で被疑者が連行されて来るのを待った。政治家逮捕を予想できず、記者が不在の社もあった。7時過ぎに黒塗りのハイヤーが横付けになり、降りてきたのは日焼けした顔の田中角栄だった。
日本列島に衝撃が走る。前総理の逮捕は前代未聞である。政治部は「田中金権政治批判」の記事を出稿し「民主主義の危機」が声高に叫ばれた。しかし私には違和感があった。ロッキード社から児玉に入った21億円の金の行方を特捜部は解明していない。それが忘れ去られて日本列島は「田中金権批判」一色になった。
「田中批判」の勢いは凄かった。異論が言えない雰囲気が作り出された。しかし若手の検事たちは田中逮捕で捜査を終わらせることに抵抗した。そのためロッキード事件は「捜査終了宣言」を出すことができず、検察幹部は「中締め」と言って捜査を終わらせた。
2年後にロッキード事件と同じ構図のダグラス・グラマン事件を、米国の証券取引委員会(SEC)が暴露した。早期警戒機E2Cの日本への売込み工作の対象として、岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、松野頼三の名前を米国は明らかにした。しかし東京地検特捜部は政治家の摘発を見送った。検察幹部は「巨悪は眠らせない」と言ったが、巨悪は摘発を逃れた。
ロッキード事件から8年後、私は有罪判決を受けた田中角栄の担当記者になった。月に一度私邸で角栄の話を聞いた。意外だったのは「金権批判」をまったく気にしていないことだった。「俺は自分で金を作った。誰の世話にもなっていない。財界や官僚のひも付きではない」と角栄は自慢した。外国の金など受け取るはずがないという態度だった。
そして中曽根総理にダブル選挙をやらせて自民党を大勝させ、大勲位の勲章を中曽根に与えようと考えていた。なぜそれほど中曽根に入れ込むのか。私はロッキード事件で逮捕を免れた中曽根を総理にしておくことが、自分の無罪を勝ち取る道だと角栄が考えているように思えた。
ところが田中派の政治家にはそれが不満だった。ある者は中曽根が必ず角栄を裏切ると言い、またある者は角栄が中曽根を支えている間は世代交代が進まないと不満だった。それらの不満がぶつかり田中派に分裂の芽が生まれた。金丸信や竹下登が創政会を結成し、竹下を総理候補にしようと立ち上がった。
その頃、米国のキッシンジャーが角栄の私邸を訪れた。有罪判決を受けても米国や中国の要人は必ず角栄を訪ねた。キッシンジャーは3度目の訪問だった。同席した早坂秘書に何の話をしたかを聞くと、アラスカ原油を日本に輸入する話だと言った。
田原総一朗氏が書いた「田中角栄は米国の虎の尾を踏んだ」という論文が話題になった時期がある。角栄が米国を無視し、独自に石油を輸入しようとしたことに米国が怒り、そのためロッキード事件が仕組まれたという説だ。しかしそれがまったくの嘘であることは、この1件からも分かる。
春名氏も認めているが、角栄は石油を中東だけに頼ることをせず、世界のあらゆるところから輸入しようと考えた。ただすべては米国の了解を取り付けながら行った。この時はアラスカ原油をタンカーで北海道に運び、北海道を石油精製基地にする構想が話し合われた。
私は米国が角栄を陥れたとは思わない。日米繊維交渉で米国は角栄を「使える男」として高く評価していた。キッシンジャーは確かに日中国交正常化で角栄に先を越され、対アラブ外交でも面子を潰された。しかしキッシンジャーは「ロッキード事件の摘発は誤り」と語っている。
秘密文書でキッシンジャーは角栄を罵倒しているが、ただそれだけの単純な男だとは思わない。権謀術数の世界を生き抜いてきた男は、米国の国益を揺るがす角栄に怒ってはいたが、心の中では一目置いていたと思う。でなければ逮捕後3度も私邸を訪ねたりしない。
ただ逮捕されてもおかしくなかった中曽根は、ロッキード事件で米国に弱みを握られた。かつては吉田茂の親米路線を批判し、民族自立と兵器国産化を訴えた中曽根が、一転して親米路線を誇示するようになる。「日本を不沈空母にする」と言ってレーガン大統領を喜ばせた。
キッシンジャーにとってロッキード事件は、角栄を葬り去ろうと仕組んだわけではないが、角栄に代表される独自外交を封じ込めたことで、米国の国益にかなう結果を生んだ。そして中曽根以降の日本の歴代総理は誰も独自外交をやれない。安倍前総理に至ってはトランプ大統領の言いなりに無駄な兵器を買わされ続けた。
国民はロッキード事件を「田中角栄の犯罪」と思い込んでいたが、私は初めから冤罪の可能性を指摘してきた。2003年には『裏支配―今明かされる田中角栄の真実』(廣済堂出版)を出版し、その中に中曽根康弘をロッキード事件の主犯と示唆する一文を入れた。
その後、検察取材を18年務めた産経新聞の宮本雅史氏が『歪んだ正義』(情報センター出版局)を書いて、検察捜査の悪しき例としてロッキード事件を取り上げた。しかしメディアは相変わらず「田中金権批判」と「巨悪を退治する検察」という図式でロッキード事件を捉え続け、野党も国民の意識もその枠の中にある。
ロッキード事件直後に、私は様々な役所の官僚と語り合ううち、一人で33本の議員立法を行った角栄への「恐れ」を吐露された経験がある。米国で法律を作るのは政治家の仕事だが、日本では行政府の官僚が法案を作成する。それを政治家に承認させる場が立法府と呼ばれる国会だ。
ところが角栄は自分で立法し国会で成立させた。官僚からすれば、自分たちの聖域に入り込んできた侵入者である。だから角栄は許せないと官僚は私に憤った。明治から続いてきた官僚主導の政治が角栄によって揺らいだことが、角栄を排除する動きを生んだ。私は田中逮捕の理由をそう見ている。三木総理にとっても角栄は最大の政敵だった。角栄逮捕に最も積極的だったのは三木総理である。
角栄を特捜部が逮捕した決め手は、ロッキード社の幹部を刑事免責したうえで得られた証言だ。しかし犯罪者の証言を信じることができるのか。日本の最高裁は角栄の死後、その証拠能力を否定した。だとすれば45年前の田中逮捕と、その時の国民の熱狂は何だったのか。
この45年間、ずっと考え続けてきたのは国民の熱狂の恐ろしさである。今でも「東京五輪」や「コロナ禍」で国民がみな同じ方向を向き、異論が封殺される時がある。それを見ると私は45年前の国民の熱狂を思い出す。そしていたたまれなくなる。
一方で、無実を勝ち取ろうとする角栄の執念は日本政治を捻じ曲げた。怨念の政治が始まり、今も日本政治がその影響から免れたとは言えない。そして対米従属構造は事件後さらに強まった。しかし国民は日本を独立した国家だと思い込んでいる。誰も従属国とは思わない。
そして日本の安全は米国が守ってくれると信じ、日米安保体制がなくなるとは夢にも思わない。なくなったらどうするかの想像力も湧かない。45年前の取材で戦後日本の闇の一端を見た私は、それが「金権批判」で覆いつくされたことに無念の思いがある。
そうした時に2冊の労作が出版された。それを書いた著者に敬意を払いつつ、そこには含まれていない私の経験もあるので、過去を思い出しながらこのブログを書く気になった。
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