「鎌倉殿の13人」、慈円は当時を代表する名家の出であった
「鎌倉殿の13人」で、声優山寺宏一演じる慈円。
ドラマ中では「中世きっての名僧」として登場しているものの、何やらあやしい雰囲気を醸し出している。この慈円とは一体何者だろうか。
慈円は当時を代表する僧侶で、日本史の教科書にも『愚管抄』の著者として掲載されている他、『新古今和歌集』に92首が収められているなど、一般的には歌人として紹介されることが多い。また、公家九条兼実の弟としても知られている。
鎌倉時代初期の公家
平安時代の朝廷は、藤原氏の嫡流藤原北家が天皇家の外戚となることで支配していた。しかし、平家政権の誕生で脇に追いやられ、さらに平家を倒した鎌倉幕府によって朝廷の力そのものが力を削がれている時代だった。
ところで、平安末期から鎌倉初期にかけては、武家や公家の間で日常的に名字が使われるようになった時代でもある。
鎌倉幕府でも、将軍家こそ姓である「源」を名乗っているが、それ以外の武士は、「北条」「三浦」「和田」「畠山」「比企」「八田」と名字を使用している。もちろん彼らは皆「平」(北条・三浦・和田・畠山)、「藤原」(比企・八田)という姓も持っている。
同じように、公家の世界でもこの頃から姓である「藤原」以外に使用していた「家号」が、次第に名字として固定化していった。嫡流以外では平安時代終わりころから「花山院(かさんいん)」「大炊御門(おおいみかど)」「持明院(じみょういん)」などが固定していたが、慈円の頃からは藤原氏嫡流でも家号が使用されるようになった。
藤原氏嫡流の流れ
藤原氏嫡流は、摂政・関白を務めた藤原忠通の子の代で大きく2流に分かれた。
忠通の子基実は「近衛(このえ)」家の祖となり、その弟兼実は「九条」家の祖となった。そして、近衛家から鷹司家が、九条家から二条家と一条家が分家、この5家を五摂家といい、藤原氏の嫡流として現代まで続いている。この5家の中では近衛家が嫡流とされ、第二次大戦中に首相をつとめた近衛文麿は近衛家の直系の子孫である。
慈円は、この近衛基実と九条兼実兄弟の実弟である。また、兼実の娘宜秋門院(ぎしゅうもんいん)は後鳥羽上皇の中宮(皇后以外の妃)のため、慈円から見れば後鳥羽上皇は姪の夫にあたる。
後鳥羽上皇が天皇だった頃には、その推挙で37歳で仏教界最高の地位である天台座主(ざす)につくなど、公家の頂点に立つ2人の兄を持ち、上皇の妃の叔父にあたる慈円は、その家柄的にも当時を代表する人物であった。