鉄道の強いレジリエンス(回復力) 相次ぐ被災を乗り越えて #あれから私は
昨年7月の豪雨で被災したJR九州久大本線の豊後森~由布院間が、3月1日に運転を再開した。本来ならばもっと時間がかかることが予想されたものの、バス転換する日田彦山線の鉄橋を運んできて設置し、工期が短くなった。
鉄道が被災すると、必ず早期の復活の声が起こってくる。地元だけではなく、各地にいる鉄道ファンも気にかけ、その声が復旧を後押しする。
鉄道には、レジリエンスがある。レジリエンスとは、不利な状況に置かれても、それを跳ね返す力のことであり、物理学や心理学で使われる言葉だ。それが機能している限り、鉄道は生き残り、復旧する。
東日本大震災で、東北の鉄道は大きな被害を受けた。またその後の各地の風水害で、やはり大きな被害を受ける。そのたびにどうすれば鉄道をもとのように走らせることができるか、議論される。
東日本大震災で復活した鉄道と、BRTになった鉄道
2019年の三陸鉄道の全線復旧・運転再開は、なんとしても地元に鉄道を残そうとする強い意志を感じさせるものだった。旧山田線区間が大きく被災したものの、この区間をJR東日本から三陸鉄道に移管し運営するということで、鉄道は残った。
いっぽう、JR東日本の気仙沼線や大船渡線はバスを使用するBRTに転換することになった。ただしこれは、費用は誰が負担するのかという問題があった。どちらであっても、路線図上ではっきりと路線が走っているということがわかる形にはした。
BRTにしたのと鉄道にしたのでは、それぞれに考えに差はある。BRTで早期に公共交通を復活させようという考えもあれば、地域の人々の心の支えとなっている鉄道をなんとしてもよみがえらせようという考えもある。どちらも正しい。しかし、鉄道にして地域の中心となる乗り物を残したいという考えはよくわかる。鉄道がなくなったら、だれも来なくなる可能性があるからだ。
事実、三陸鉄道には多くの鉄道ファンが押し寄せ、復活を大きく祝った。鉄道は単なる交通機関ではなく、シンボルとしても存在する。それを守っていくことが、地域存続につながるということが、沿線の自治体や岩手県はわかっていたと思われる。
2020年3月には常磐線も全線復旧した。ここは津波の被害だけではない。福島第一原発事故による放射性物質の拡散により、まだその影響が残っている地域が、常磐線沿線にはある。常磐線は富岡町・大熊町・双葉町を通り、線路付近は特定復興再生拠点の解除区域として特別に避難指示を解除されている。線路を少しでも離れると、まだ人が立ち入れない区域があるのだ。
もし津波だけならば、まだなんとかなっていた。10年をはるかに超え、帰れない場所が東日本大震災の被災地にあるということについては、福島第一原発事故によるものが大きいと考える。
正直なところ、このエリアで人がふつうに暮らせるようになるにはかなりの時間がかかり、すでにふるさとに戻らない決意をした人も多い。そもそも福島第一原発の廃炉作業にどれだけの時間がかかるのか見当がつかない。おそらく筆者の生きているうちには終わらない。
それでもなお鉄道を通したということの意味を考えてほしい。鉄道がもとのように通ることでこの地域を見捨てないという意志を示し、なんとしてもこの地域を人が暮らせるようにするという考えが県や国にはあるということだ。そしてそれを果たさない限り、原発事故は終わることはできない。なかったことですませるわけにはいかない。
鉄道のもつ強いレジリエンスが期待されて、まだ原発事故の影響が大きく残るこの地に鉄道を通したといえるだろう。
九州――相次ぐ災害でも復旧を模索
地震・豪雨と九州は大きな災害に襲われている。2016年の熊本地震では、JR九州豊肥本線や南阿蘇鉄道が被災し、豊肥本線は2020年に復旧した。南阿蘇鉄道は2023年の復旧をめざす。豊肥本線は熊本と大分を結び、特急も運行されている重要な路線であり、復旧する必要はあった。南阿蘇鉄道は廃線の可能性もあったが、復旧しようとしている。
2017年7月の九州北部豪雨では、日田彦山線の添田~夜明間が被災し、地元で鉄道による復旧かバス転換かが話し合われた。議論の末、一部区間をバス専用道にすることにした。利用者が少ない一方で、これまでの道路では時間がかかるという理由だ。JR九州も鉄道での運行費用負担を地元に求めたことも背景にある。
2020年7月の豪雨では、肥薩線やくま川鉄道が大きなダメージを受けた。くま川鉄道は存続を決定したものの、肥薩線はどうなるかわからない状況が続いている。費用負担の問題が大きく、そもそも運行されていたころから乗車する人が少ない状況が続いていた。
くま川鉄道は、沿線の高校生などが乗車するなどといった利用がある。しかし肥薩線の被災区間は、そもそも利用者が少ないといったことがあり、観光列車などで誘客に努めていた状況がある。
そもそも乗客が少ない――これがJRの場合は、復旧をするかどうかの決め手となる。
過疎化と災害が復旧を拒む北海道
JR北海道根室本線の東鹿越~新得間は、台風の被害により長く運行されていない。駅によっては、草刈りなどの手入れが行われておらず、廃線跡なのではないかという状況になっている。
また日高本線の鵡川~様似間は、2015年に高波で被害を受け、存廃の論議が行われていた。議論は長く続いたものの、JR北海道の経営が悪化を続け、バス転換するしか方法はなくなっていった。この3月末をもって代行バスも運転を終了し、正式に廃線となる。
北海道は人口の札幌一極集中が進み、各地の過疎化が進んでいる。また道路整備も進み、鉄道の地位が相対的に下がりつつある。利用者も減っているなかで、鉄道が被災するとどうなるか。鉄道自体は強いレジリエンスを持っていても、それどころではなくなるという状況になっている。
鉄道を復旧しようとする意志を持っている地域は、まだ地域自体にレジリエンスがあるといえよう。そのために鉄道は強い支えとなる。しかし、どこかでそれが機能しなくなる。このレジリエンスが機能するかどうかが、地域が災害を乗り越えられるかどうかであり、その重要な役割を担っているといえる。いっぽう、それが機能しない地域は厳しいのではないか。
東日本大震災から10年。各地の鉄道がさまざまな形で被災し、その状況を乗り越えられたところも難しいところもある。しかし鉄道の存在が、地域の力であるということは確かだ。廃線になると地域に力がなくなるのではなく、鉄道を支える力も意志もないから、廃線するしかないという状況に追い込まれる。
地域を守るには、まず鉄道である。そのことが再確認されたこの10年だった。