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【河内長野市】こんな場所に近鉄駅プラットホームの名残りが!河内長野駅に今もある痕跡を見に行った

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

南海と近鉄のターミナル駅である河内長野駅は、南海の方は和歌山県の橋本まで複線になっているのに対して、対照的に近鉄線は単線でかつ終点ですね。

ところで、近鉄線は終点だからでしょうか?今とは違うかつての河内長野駅の名残りのようなものが河内長野駅東口に残っているのを見つけました。

河内長野駅の西口はロータリーになっていて、多くのバスが発着する場所ですね。その向いにノバティながのなどのビルが立ち並んでいますが、東口は対照的に静かな出入口となっています。

ところがこの東口をよく見ると、この中にかつての駅の名残りが残っているような気がしました。例えば今はいったん階段で2階に上がって、そこにある改札を通らないといけませんが、恐らくずっと昔は1階に改札があって、そのままホームに行けたのだろうと。

今でもある事例としては、近鉄滝谷不動駅や汐ノ宮駅、南海の大阪狭山市駅のようなものだったのではないかと想像できます。

少しでもその名残りがないか、東口周辺をじっくり見てみることにしました。

ここで、改めて河内長野駅の歴史を見ると、次のような経歴が出てきました。

  • 1943(昭和18)年2月1日:当時の名称、長野駅が大阪鉄道の会社合併により、南海鉄道と関西急行鉄道の駅となる。
  • 1944(昭和19)年6月1日:両社の会社合併により近畿日本鉄道の駅となる(この時期は、両社の線路が繋がっていた)。
  • 1947(昭和22)年6月1日:高野線譲渡により南海電気鉄道と近畿日本鉄道の駅となる。
  • 1954(昭和29)年4月1日:長野町と他5村が合併し河内長野市が成立。同日に河内長野駅に改称。
  • 1958(昭和33)年:木造駅舎を鉄筋コンクリート造に改築。
  • 1976(昭和51)年10月16日:橋上駅に改築。

この中で気になるのは1944年と1976年の記述です。前者はかつて南海と近鉄線が繋がっていたと書いてありますし、後者は橋上駅に改築とあります。

実際に近鉄南大阪線や長野線は南海線と同じ線路幅(狭軌1,067 mm)で、それはJR在来線とも共通しています。

この位置から駅を見ると、連絡通路のような物が見えますね。あれが1976年に改築した橋上駅です。

東口から駅に入っていきます。

ここはかつての駅の名残りがよくわかりました。まず目の前の屋根の先をよく見ると、ずっと遠くまで、つまりそのまま現在のプラットホームまで続いているのがわかります。

さらに右を見ると、錆びたレールが見えます。つまりかつてはこのあたりも近鉄線のホームの一部で、現在使用されていない錆びたレールがかつては南海線の線路とつながっていたと考えられます。

手前の壁や先に見える壁もあとから付け加えたのは間違いないでしょう。

そして壁とは反対側を見ると紛れもない事実を発見しました。

こちらです。これは東口から階段を上がる途中で見つけました。単なる通路なのになぜか柵の方にある白い四角の存在。加えてその先の形は、駅のプラットホームそのもの!

駅の改築前まではこのあたりまで車両が入って来たんですね。ここに歴史の名残りを見つけました。

駅の橋上化までは、東口は近鉄専門の入口で、すぐに改札があってホームに行けていた。しかし、南海や西口に停まるバスとの乗り換えをスムーズにするためにこのような工事をしたということでしょうか。

となれば、近鉄線に乗るのにいったん橋上駅の改札まで上がらないといけなくなったのが残念な面と言えそうですね。

東口にあるハイキングコースの看板です。紹介されているハイキングコースに行く場合は、通常西口に出てバスに乗ることを考えると、もしかしたら工事前からこの場所にあったのかなと想像してしまいます。

階段の先にはエレベータ乗り場になっています。ここに鍵のかかったドアがありますが、このドアの先は改札内つまりプラットホームと考えられます。

エレベーターの方まで歩いてみましょう。

途中の網目の先を除くとホームになっているのが見えます。

エレベーターに乗りました。このエレベータは改札外の人と改札内の人が共用で使えるものですね。

2階に上がります。

ということで近鉄線の改札に出てきました。

この後富田林市方面に行く必要があったので、改札の中に入ります。

壁の反対側は、先ほど通ったエレベーター乗り場に向かう通路。逆方向から見た場合です。

というわけで、今の近鉄線のプラットホームに来ました。

改めて近鉄線のホームを見ました。とくに東口通路に痕跡が残っていた方です。

ここも後から建物が増築されたのがまるわかりですね。

今では、マルチプルタイタンパー軌道モーターカーレールの運搬車といった線路の保線系の車両だけが停車するホームとなってしまいましたが、今でもかつての名残りを見ると、昔の近鉄駅がどんな感じだったのか、いろいろ想像してしまいました。

近鉄河内長野駅
住所:大阪府河内長野市本町29
アクセス:近鉄河内長野駅直結

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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