学校の授業では教えてくれない歴史をパーソナルな視点で。思い出は生きていく上での糧になってくれる
昨年12月1日(木)から4日(日)の4日間にわたって開催された<フランス映画祭2022 横浜>。
30回目の記念すべき開催を迎えた今回は、長編10作品、短編6作品の計11本の上映(短編6作品は併映として6作で1本とする)のうち、9作品が満員御礼に。
大盛況の中、フランスからの来日ゲストも多数来場(※一昨年は新型コロナ感染拡大で来日は叶わなかった)し、華やかに閉幕した。
上映作品は例年に負けない注目の最新フランス映画がずらり。
3年ぶりに復活した観客賞を受賞した「あのこと」や、現在日本公開の始まった「エッフェル塔~創造者の愛~」をはじめ話題作が並んだが、中には残念ながら日本公開が決まっていない作品もある。
その未配給作品の1本が、アラン・ウゲット監督が手掛けたパペットアニメーション映画「イヌとイタリア人、お断り!」だ。
イタリア移民の歴史をパーソナルな視点から描いた本作について訊く。(全三回)
祖母の目線から語ることで、祖父がどんな人物だったのかを映す
前回(第二回はこちら)、祖母との対話形式にした理由についての話が出た。
ただ、実質的な主人公は祖父になっている。その理由をこう明かす。
「実は、作品でも描いていることですが、祖父はわたしが生まれる前に亡くなっている。なので、直接は知らなかったんです。
でも、祖母が亡くなったのはわたしが12歳のときですから、それまでの間にいくつもの思い出がありました。当然、祖母と話したことも覚えています。
たとえば、祖母はチーズをクリーム状にフォンデュみたいにすると、それに焦げ目をつけてわたしたちにふるまってくれたりしました。
そういった祖母の思い出がいっぱいあります。
その記憶があるので、わたしが対話をするのはやはり祖母が最適と思って、この形にしました。
また、祖母の目線から語ることで、祖父がどんな人物だったのか説得力をもって映し出されるだろうと思いました」
親から子へと受け継がれているものはきっとある
本作を見ていると、親子代々引き継がれるものがあることが感じられる。
「ここまでお話ししたように、わたしは父、そして祖父から、『工作』というものを引き継いでいて、いま仕事にしています。
ただ、仕事を引き継ぐがどうかは、さして重要なことではないといいますか。
たとえば親子代々続いている仕事を受け継ぐかどうかは、人生の岐路に立ったときに本人が決めればいい。
それとはまた別で、なにか親から子へと受け継がれているものはきっとあると思うんです。
親や親族らとともにした時間や体験、とりわけ子ども時代に経験したことは、自分のどこかに残っている。それが自分という人間を形成しているところがある。
ある瞬間に、『あのとき、そういえば母親はこんなこと言ってたな』とか、『このことでひどく父親に怒られたな』とか思い出すことがある。
それは、ある種、記憶や思い出を引き継いでいることで、それは生きていく上での糧になってくれることがある。
そういうものが感じられる作品になってくれたらとの思いがあります」
パーソナルであればパーソナルであるほど
人々の心に届く可能性が高くなるのではないか
本作は、アラン・ウゲット監督自身の家族についての物語ではあるが、イタリア移民の歴史にも言及した作品になっている。
個人から歴史を語ることもまた本作を作る上で大切にしたことだという。
「わたしは、その物語というのが、パーソナルであればパーソナルであるほど、多くの人々の心に届いて、受け入れられるのではないかと思っています。
個人の体験や経験というものは、みなさんも身近に感じられるところがあるのではないでしょうか?
どこか大きすぎて遠く感じてしまう政治や経済といった話も、個人の視点からみてみると、自分に密接にかかわっていることがわかったりする。
ですから、パーソナルであればパーソナルであるほど人々の心に届く可能性が高くなるのではないかと、わたしは考えています。
その個人の物語を語るときに大切なのは、正直であることです。ちょっとでもなにか嘘があると、人の心は離れていってしまう。
ちょっとでも自分を良く見せようとか虚飾してしまったりすると、伝わるものも伝わらない。
ですから、わたしは今回、すべて包み隠すことはなく、真摯かつ誠実に自分の物語を語ることにしました。
このことがなによりこの作品を作る上で大切にしたことです」
9年の間、冒険の連続でエキサイティングな日々を過ごすことができました
最後に今回の作品制作についてこう振り返る。
「すべて合わせると、9年という時間を費やすことになりました。
ただ、そのうちの2年ぐらいは、コロナ禍に翻弄されて、事が進められない状況が続きました。
この2年の期間というのは、仕方ないことではありましたけど、やはり我慢の時が続きました。
ただ、それ以外の時間というのは、わたしにとっては冒険の連続でエキサイティングな日々を過ごすことができました。
あるアトリエをスタジオにして制作をしたのですが、ヨーロッパ各国からスタッフが集まったんです。
ベルギー人、ポルトガル人、スイス人、イタリア人などなど、ほんとうに『チーム・ヨーロッパ』といった布陣で制作に取り組むことができた。
これはわたしにとってひじょうに大きな経験になりました。
あと、余談になりますけど、スタジオの一部に、撮影する中でちょっと壊れてしまった人形を修理するスペースを作ったんです。
そうしたら、誰が言うようになったかわからないのですが、そこをみんな『病院』と呼ぶようになって。
人形になにかあると、そこへ駆け込むようになっていました。
あるとき、祖母の人形が壊れて、たぶん修理中で動かないように釘で止められていた。
そうしたら誰かが『祖母がまだ死にたくないといっているよ』と言って、みんなで笑い合いました。
パペットアニメーションの制作というのは時間もかかるし、粘り強さも求められる。
でも、このようにいいチームでいい雰囲気の中で楽しく作品を作ることができました」
※場面写真は(C)Les Films du Tambour de Soie