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ロコ・ソラーレ北見、吉田夕梨花&鈴木夕湖。クソガキコンビによる「ちびの恩返し」

竹田聡一郎スポーツライター
海外遠征に出るとジュニアの選手に間違えられるというちび部のふたり(著者撮影)

「クソガキで迷惑かけたけど、やっと大人になれました」

 昨秋の代表決定戦に勝利し、夢の五輪への出場が決まった記者会見が思い出される。セカンドの鈴木夕湖はかつての自分と、その変化について質問されそう言った。彼女なりの本橋麻里への感謝の言葉らしい。

 そしてそのクソガキはどうやらコンビらしい。

 相方はロコ・ソラーレ北見(以下LS北見)のチームメイトでリードの吉田夕梨花だ。合わせて身長300cmに満たない小柄なフロントエンドふたりは「ちび部」という部活を、同じく背の高くないSC軽井沢クラブの両角公佑(165cm)らと立ち上げ「ちびでも金」を合言葉に研鑽を続けてきた。サイズはないがトルクとウエイトジャッジで勝負する日本のWエース・スイーパーであり、2010年のチーム創設からのオリジナルメンバーで、盟友でもある。

 元々、LS北見は「時間がかかるのを覚悟で、お互いが何でも言い合える密なコミュニケーションを持つチームにしたい」と本橋が立ち上げたが、そのコンセプトを聞いた第一回のチームミーティングで“クソガキコンビ”は「私たち本当に何でも言いますからね」と本橋に宣言したらしい。チームの方向性への同意であると同時に宣戦布告にも聞こえる言葉だ。本橋に「夕湖選手が自分をクソガキだったと言っていたけれど」と報告すると、笑って否定も肯定もせず述懐してくれた。

「最初に思ったのは『ああ、昔の私みたい』でしたね。私も生意気ちゃんでしたから。懐かしくて、嬉しかった。でも彼女たちの意見で気づかされることも学べることも多かったんです」

 本橋流のチームビルディングと彼女らのキャラクターがマッチした。五輪まで8年という時間を要したが、お互いが辛抱強く相手を観察しながら成長を続けたのだろう。

 14/15年シーズンからは吉田知那美、翌15/16年には藤沢五月がチームに加入し、ポジションも流動的になる。そのシーズンまでは本橋がスキップ、吉田夕がサードという構成だったが、本橋の出産もあり吉田夕-鈴木-吉田知-藤沢という並びで16年の世界選手権に出場すると銀メダルを獲得。16/17シーズンはアイスに復帰した本橋をセカンドやサードに据えるラインナップなど模索したが、結局、16年の世界戦のオーダーで五輪を戦った。

 チーム創設から指揮を執る小野寺亮二コーチは言う。

「能力のバランスという意味ではチームで一番は麻里かもしれない。夕湖にいきなり『スキップやれ』って言っても無理だけど、麻里は1番から4番までどのポジションでも高いレベルでこなしてくれる。リザーブにああいう選手がいるとチームは伸びるよね」

 1番とはリード、4番とはスキップあるいはフォース。投げ順を示すポジションのことだ。実際に本橋は今季もリードやセカンドとしてアイスに乗り、高いレベルで好ショットを連発している。スクランブル出場もあったが「フィフスとして準備するのも、しっかりチームに安定感をもたらすのも当たり前のこと」と本人はサラリ。本橋がフィフスとして待機している事実は、鈴木や吉田夕に「麻里ちゃんがいてくれるという気持ちもあるし、麻里ちゃんにあそこ(コーチボックス)に座ってもらってるんだから下手なプレーはできない」と、安心感と危機感を植え付けた。

 迎えた五輪本番でも本橋はコーチボックスでスコアをつけ、ストーンチェックをこなし、ハーフタイムの補給食を仕込み、メンバーに万が一のことがあれば高いレベルで代役以上のパフォーマンスを披露できるように自身のコンディションを高め、チーム内に質の高い緊張感を生んだ。史上初のメダル獲得を支えたのは間違いなく頼れる主将の存在だろう。

 だからこそ、冒頭のクソガキ発言があった代表決定戦では鈴木も吉田夕も勝利後、小犬のように本橋の元に駆け寄り強いハグを求めた。本橋は涙でそれに応じた。昨夜のゲーム後もちび部に泣かされた。本橋が今日、25日のメダルセレモニーで首にかけるのはクソガキふたりの、ちびの恩返し、その結晶だ。彼女は三たび、泣くだろうか。

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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