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球界の「仕事人」、台湾へ渡る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
高須洋介コーチ(味全ドラゴンズ)

台湾に渡った「バファローズ戦士」

「僕の中に近鉄っていうイメージはないですね。近鉄時代はほとんど怪我してたんで」

 ファンにとっても現役15年のうち8年を過ごした楽天時代の「仕事人」のイメージが強いだろう。近鉄時代はあの2004年のオリックスとの合併騒動を経験、楽天イーグルスでその才能を開花させ、チームの草創期を勝負強いバッティングとセカンドでの堅実な守備で支えた高須洋介は、今、台湾でチームを優勝に導こうとしている。

 台湾に渡ったのは2020年のことだ。新型コロナが猛威を振う中、実に21年ぶりに台湾リーグCPBLに復帰した名門チーム・味全ドラゴンズからのオファーを受けてのことだった。

「近鉄時代の先輩、古久保(健二, 現楽天モンキーズコーチ)さんから声を掛けてもらったんです。古久保さんは当時富邦ガーディアンズにいたんですけど、うちのチームのシャオ・イージェ(蕭一傑, 元阪神・現味全コーチ)が監督から要請を受けて、それを古久保さんにつないでくれたんです」

 前年限りでコーチをしていた古巣・楽天を退団し、地元・仙台の放送局で解説の仕事が決まった矢先のことだった。台湾での現場仕事と地元でのネット裏の仕事を秤にかけ、悩んだが、結局、コロナが背中を押すことになった。NPBのシーズン開幕が延期になる中、高須は台湾に渡ることを決心した。

 台湾にプロ野球があることは知っていたものの、そのイメージは湧かなかった。大学(青山学院)時代に国際大会出場の経験はあったが、アメリカやキューバ、韓国とは相まみえたものの、台湾との対戦はなかった。おまけにチームは、前年にファームリーグに参入し、トップリーグにはその年に初参戦(形式上は復帰)したばかりだった。

「来た時はチームができたばっかだったので。本当、若い選手が多かったですね」

 できたてのチームという点では、楽天イーグルスもそうだった。ただし、楽天の場合、近鉄を吸収合併したオリックスがプロテクトした選手以外の選手が核になっていたこともあり、若い選手よりむしろベテランの方が多かった。

「雰囲気は全然違いましたよ。楽天にいったとき、僕はもう29歳になっていたんですが、それで真ん中くらい(笑)。年配の方もある程度いて、個性豊かでしたよ」

 雰囲気的にはむしろ、高須が現役の最後を送った独立リーグの方が似ているといっていいだろう。高須は、楽天でのプレー後、ルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCに選手兼コーチとして入団、ここで現役生活を終えるとともに、指導者としてのスタートを切った。若い選手に囲まれた環境という点では、味全はむしろ新潟に似ていた。

「独立リーグも移動はバスじゃないですか。こっちでもそうですから。でも環境的には、もちろんこっちのほうがいいですよ。食事はちゃんと出してもらえるので」

指導しない指導法

 選手のレベルは、もちろん独立リーグよりWBCの代表メンバーも顔を揃える台湾の方が上だ。しかし、選手間の実力差は同じ一軍でもかなりあると高須は言う。

「トップの方は、いい選手います。でも、一軍でも下のレンジはちょっと広いかな。そこに二軍もあるって感じですね。ギャップはやっぱり、あります。文化の違いであったり。そういう選手の反応とか対応の仕方はちょっと違いますね」

 それでも指導に苦労するということはないと高須は笑う。

「ずっとコミュニケーション取ることだけ考えてます。もう日常会話だけ。飯がうまいとか、この店がいいとか。中国語には敬語ってないんですよ。それだからかな。上下関係っていうか、指導者と選手の壁も日本ほどないですよ。選手たちは僕のこと友達くらいに思ってます」

 高須には指導者として独特のポリシーがある。

「そもそも選手にあんまり指導はしないんで。指導っていうか、自分からこうしろ、ああしろってアドバイスもしませんね。もちろん監督からオーダーがあればそれに応じますけど。台湾だからってわけじゃなく、それが僕のスタイルなんです。やっぱり、選手自身が困った時にちゃんと聞いてくると吸収しやすいので」

 中国語はもちろん話せない。選手への応答は通訳を介してのことになる。そうなると、自分が伝えたいことがうまく伝わらないのではないかとも思うが、それについても高須はあまり気にしない。

「同じ野球ですから、日本と変わりませんよ。ある程度言うことを理解したら、アドバイスをどう受け取るかはもう相手側の問題なので。細かいところまでああしろこうしろっていうのは全くないです」

独自の指導論を語る高須コーチ(台北・天母球場にて)
独自の指導論を語る高須コーチ(台北・天母球場にて)

台湾野球の課題

 先日閉幕したアジア大会は、「アジアビッグ3」の絶対的優位が過去のものになりつつあることを感じさせた大会となった。1994年の正式競技採用以来、兵役免除を賭けトッププロを集めた韓国、プロ若手とアマチュアトップを集めた台湾、そして社会人選抜で望むのが常の日本によるメダル争いの歴史が繰り返されてきた。この牙城を崩すべく、中国がこの三強に割り込もうとするのだが、その実力差は大きく、常に跳ね返されてきた。

 しかし、今大会では、その中国が予選リーグにあたるセカンドステージで日本に完封勝ち。台湾が3連覇中の韓国を同じくセカンドステージで撃破するなど、アジア野球の構図に大きな変化の兆しがあることを示した。

 一方で台湾はWBCでここ2大会、ファーストラウンドを突破できていないなど、国際野球シーンでは、トッププロが参加する台頭する新興国に押され気味であることも事実である。   

 そのことについて話を振ると、高須はトップリーグCPBLの使用するボールについて言及してきた。

「僕が最初来た時は、飛ぶボールだったんです。だから、バッティングがすごいクローズアップされる。ホームランは出るし、チーム打率も3割くらいありました。それを次の年からだったかな、変えたんです。だから野球じたいも変わってきていると思いますよ。点が入らなくなると、戦術面でも、やっぱりバントだったり、どうやって点取るかってなりますよね。多分それで日本人コーチが増えてきてるんじゃないでしょうか。そういったところが、ちょっと変わってきたのかなとは思います」

 日本人指導者が口をそろえるのは、台湾人選手の身体能力の高さである。逆に言えば、彼らはその恵まれた素質を生かしていないとも言える。

「他のチームの日本人の指導者の方と会うこともあるんですけど、台湾あるあるみたいな話にはどうしてもなりますね。日本では当たり前のことがそうでない。守備なんかとくにそうですね。僕らの当たり前が通じない。だから台湾での指導経験の長い富邦二軍の酒井光次郎さんからは、選手に対して頭ごなしに言うんじゃなくて、フラットな関係でアドバイスするように教えられました」

 高須はじめ、日本人指導者は台湾野球をどう変えていくのだろうか。

メジャー流と日本流のミックスで変わりゆく台湾野球

 友達のような関係性の中、台湾の選手を指導する高須。選手は果たして「仕事人」だった彼のことを知っているのだろうか。しかしそこは今時の若者。SNSで日本からやってきた「師」の現役時代をしっかりチェックしている。しかし、彼らの中に日本野球に対する憧れはあまり感じないと高須は言う。

「今はどっちかっていうとメジャーじゃないんですか」

 発足当初、味全球団はインターナショナルなチーム作りを目指し、国外から指導者を招いた。高須は自分に声がかかったのもその延長線だったと考えている。

「いろんな文化を取り入れたいっていうのがあったらしくて。アメリカからカルロス・ポンセ(元大洋)とかも呼んできてました」

 チームは最初、メジャーの名門、ニューヨーク・ヤンキースの守備シフトを導入した。意外かもしれないが、メジャーリーグのプレーには細かいマニュアルがある。守備面では特にそうで、サインひとつで野手は動くことになっている。しかし、それを丸々アジアの野球に導入することには高須は疑問を感じていた。

「メジャーって多種多様な人種がいるから、マニュアルがないと統一性がなくなっちゃうんですよ。でもやっぱり、ゲームって常に動いてるので。臨機応変に対応できるようにならないと、なかなか難しい部分があると思います。そこらへんをやっぱり、考えていけるような選手を今後、育成してかないというところが台湾の課題でもあると思います」

 異国にあって、それなりの苦労はあるものの、高須は台湾を楽しんでいるようだ。それは台湾のスタジアムの醸し出す空気がそうしているのかもしれない。

「ファンは野球を楽しんでますね。応援もあるし、チアガールもいるし。ライブ会場みたいな感じです。日本もトランペットとかの応援がありますが、それよりもリズミカルなので。みんな踊るんですよ」

 無論日本でプレーしているときも、外野席から盛大な応援を受けていたが、現役時代はプレッシャーの方が強かったと高須は言う。

「かえってアウェーの方が楽でした。誰も応援してくれないから(笑)。こっちでは、みんな楽しんでるので、ゲーム終わって、負けても、頑張れって言ってくれるファンの方が多いと思います。まあ、野次言われても分かんないですから、楽っていうのもあるんですけど」

 とは言え、台湾のファンも熱狂的だ。それ以上に、選手との距離が非常に近い。試合前の球場では早くから入り待ちが、試合後も遅くまで出待ちのファンが関係者口に陣取っている。さぞかしプライベートの外出も大変だろうと思ったが、高須の答えは意外なものだった。

「普段はなにもないですよ。日本にいる時も仙台ではありましたけど、近鉄のときはなかったですよ。大阪はやっぱりタイガースですから」 

 現在47歳。指導者としては脂が乗り切っていると言っていい。このまま台湾野球の発展に尽力していくのか、日本球界にその経験を伝えてゆくのか。

「先のことはまだ考えてないですけど。どうなるんですかね(笑)。どっちかっていうと、これまでやりがいのあるほうを選んできてるので。こっちに来て、選手が成長していく過程を見るっていうのが面白いのかなと思います」

 そう語る高須の表情は「仕事人」のそれだった。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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