AI(人工知能)が人間の仕事を奪うかを議論する以前に、知っておかなければならない事実
野村総研の発表によると、技術的にはAI(人工知能)やロボット技術が発達していけば日本の労働人口の約49%が代替可能になるとのこと。この「置換率」について多くの人が懐疑的に見ている中で、着々とAIの技術は進化していっています。
AIを広義の意味でとらえると、現在AIの能力で特筆すべきことは「認識能力」と言えるでしょう。画像や音声を認識し、学習するスキルは人間のそれと比較するとまだまだ低レベルかもしれませんが、以前の技術レベルからすればドラマティックに向上しています。
「誰かがどこかを指さしている画像」を見たら、普通はその指が向けられている方向へ目を移動させてしまうもの。しかし人間が無意識のうちにやっているそのような所作をコンピュータにさせることは至難の業です。その画像に込められた意味合いを過去に学習した経験が不可欠だからです。しかし、AIの技術があれば、そのようなことも認識するという。
このように高度な認識能力を備えたAI技術は、ビジネスにおいて大きく生かされる可能性があります。そして前述したように、人間から決して少なくない量の仕事を奪っていくリスクもまた同時にあるのです。
ただ、それ以前に私が気になっていることがあります。
私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントです。経営者やマネジャー、担当者と深くコミュニケーションをとって、目標から逆算した戦略や行動計画を策定し、効果効率的にマネジメントサイクルをまわすことが仕事です。
そのような仕事をしていてつくづく痛感させられるは、AIの技術を考えるまでもなく、人間が人間本来のポテンシャルを正しく発揮できていないことが多すぎるという事実です。
たとえば情報処理の最小ユニットは「入力」「処理」「出力」で構成されています。このことを疑う人は誰もいないでしょう。何らかのデータが処理装置にインプットされ、適切に処理・加工されて出力装置からアウトプットされる――。これが最小ユニットです。AIであろうが人間であろうが、コンピュータもロボットも機械も、突き詰めていけばすべて同じことをしています。
しかし現場にいると、先述した「マネジメントサイクル」をまわすうえで、この最小ユニットさえ壊れている関係者が多すぎることにがく然とするのです。そしてそのほとんどの問題が、「処理装置」ではなく「入力インタフェース」にあるのです。認識能力がおかしくなっているのです。
「2週間前にこの資料を書いて提出してくださいと言いましたが、どうなってますか?」
「この2週間、大変忙しくて、そんな時間とれなかったんです」
「部長、他の部長さんも課長さんも全員が提出しています。もしわからないことがあったら、いつでも連絡くださいと言いましたよ」
「連絡する時間もなかったということです」
「この資料を作成するのに30分もかかりません。その30分もなかったということですか」
「そもそもですね、なぜこのような資料を作る必要があるんですか。わが社は他社とは違って特殊なんです。外部のコンサルタントが支援して本当に成果を出せるのか、私は甚だ疑問ですな」
「この資料の必要性は、1ヶ月前の説明会で社長を含め、幹部の皆さんにも説明しています。あなたも『異論ありません』と言ってました」
「異論ないと私が言った?」
「そのときの議事録をお見せしましょうか?」
……このようなやり取りは日常茶飯事です。もっとややこしいこともたくさんあります。正しく認識していない人が多すぎて、正しく仕事がまわらないのです。それだけのことなのですが、これが非常に大きな問題となっています。
入力データが正しく脳に届いても、バイアスがかかって正常に処理されないこともあります。こういうケースだと出力データ(ほとんど行動)がおかしくなります。
AIやロボットの技術が人間の仕事をどれほど奪っていくのかはまだわかりません。ただ、情報処理、知的生産の最小ユニットが正常でない人間が「AIなど恐れるに足らず」などと言っていても説得力がないでしょう。
AIがビジネスや生活をどのように変えていくのかを考える以前に、まずは原始的な処理ぐらい、人間が普通にできるようにならないといけません。ますますコンピュータ、スマホやAI、ロボットといった新たな技術が出現するたびに我々は振り回されることになるからです。