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ラグビー日本代表 新ジャージを作った71歳の名工

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
兜(かぶと)をイメージしたラグビー日本代表の新ジャージ(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 9月20日に開幕するラグビーワールドカップ(W杯)で、史上初のベスト8を目標に掲げる日本代表。選手は兜(かぶと)をモチーフとして日本の武士道精神を表現したジャージに身を包んで戦う。開発を担当したのは、「株式会社カンタベリーオブニュージーランドジャパン」をグループ会社に持つ、「株式会社ゴールドウイン」(本店:富山県小矢部市、本社:東京都)である。新ジャージは「日本伝統の匠の技と最先端のテクノロジーの融合・調和」をコンセプトに作られた。日本代表の躍進を支えるジャージ開発の技術はどのように進化してきたのか? 

ゴールドウインテクニカルセンター技術主席の沼田喜四司さん(筆者撮影)
ゴールドウインテクニカルセンター技術主席の沼田喜四司さん(筆者撮影)

 開発を手掛けるのは、ゴールドウインテクニカルセンター技術主席の沼田喜四司(71)さん。06年に「現代の名工」に選ばれたスポーツウエア設計の第一人者である。2003年に初めて日本代表ジャージを手掛けて以来、工夫を重ねて体にぴったりフィットし、破れにくく、速乾性に優れ、軽くなった。日本代表ジャージの進化と、沼田さんが歩んできた「名工への道」を紹介する。

進化し続けてきた日本代表ジャージ

 それまでラグビージャージといえば綿素材で、どのチームもほぼ同じシルエット、柄はストライプ。桜のエンブレムが入った日本代表選手が着用するジャージも例外ではなく、生地は分厚くて、水分を吸うと重くなり、乾きにくいというのが当たり前だった。

歴代のラグビー日本代表ジャージ。2003年以降はゴールドウインが手掛けた(ゴールドウイン提供)
歴代のラグビー日本代表ジャージ。2003年以降はゴールドウインが手掛けた(ゴールドウイン提供)

 しかし、沼田さんらが手掛けて以来、薄手の素材で、体にぴったりフィットする斬新なデザインになった。新商品を初めて見た時、「逆に、何で今まで、綿素材にこだわっていたのだろう」と思わせられた人も少なくないのではないか。動きやすく、相手から捕まりにくいという特性を備えたジャージにより、プレーの質まで進化した。W杯4大会ごとにデザインは一新され、強度・伸縮性・速乾性は向上している。沼田さんの情熱も高まっていった。

「W杯が近づき、スポーツニュースなどで桜ジャージを見ると、自分も気持ちが高まります。2015年W杯、日本が初戦で強豪・南アフリカ共和国に勝った時はすごく嬉しかったです。15年は情熱・努力・成果が一致しましたね。そういう体験をすると、『また新しいものを作ろう』と思います」

ポジションに応じ3タイプを開発

 日本代表ジャージは、ポジションに応じ三つのタイプの選手の体型を3Dスキャンで測定し、それぞれのポジションに求められる動きも検証したうえで、人間の体の形に添って作ってある。当たり負けしない耐久性や胸の部分が盛り上がった体型に合わせた「フロントロー用」、攻守ともに多彩な動きに対応できる「セカンドロー・バックロー用」、軽くて伸縮性に富み、相手につかまれにくい「バックス用」と、並べてみるとシルエットの違いが分かる。

フロントロー用の新ジャージ(ゴールドウイン提供)
フロントロー用の新ジャージ(ゴールドウイン提供)
セカンドロー・バックロー用の新ジャージ(ゴールドウイン提供)
セカンドロー・バックロー用の新ジャージ(ゴールドウイン提供)
バックス用の新ジャージ(ゴールドウイン提供)
バックス用の新ジャージ(ゴールドウイン提供)

 ゴールドウインによると、「体の動きの測定を、以前は富山県南砺市にある県産業技術研究開発センター生活工学研究所に依頼していたが、2017年からは社内でできるようになった」とのこと。体にポイントをつけて撮影し、動きによって体のどの部分の生地が伸びるかなどをデータによって分析する作業も自社で何度も検討を重ね、今回の2019年W杯に向けて知恵を絞ってきた。15年大会ではポジションごとにシルエットを変え、19年は素材にもこだわった。

「03年、07年11年、15年、19年と生地はすべてポリエステル100%ですが、繊維の編み方はすべて違います。今回はポジションごとに素材も変えています。フォワード(FW)用は福井、バックス(BK)用は和歌山の生地メーカーとそれぞれ、共同開発しました」

 FW用は、スクラムの時、生地が伸び過ぎて体がずれ、力が分散しないように配慮した経編(たてあみ)。BK用は伸縮性に優れ、軽量化に成功しつつも耐久性もある丸編(まるあみ)とのこと。「その時々のベストの技術が凝縮されているのが、我々のスポーツウエア」という沼田さんの言葉に、深く納得させられる。

「現代の名工」の沼田さんは半世紀以上、スポーツウエアの開発に携わってきた。前回の東京五輪が開催された時は高校2年生。ちなみに“東洋の魔女”と言われた東京五輪バレーボール女子日本代表のユニホームを手掛けたのもゴールドウインである。1951年の創業以来、スポーツウエア専業メーカーとして歴史を重ね、沼田さんは、東京五輪の翌年の65年に入社している。

防寒と競技の特性に配慮した製品を工業化

 スポーツ歴は中学生のころに剣道をした程度だったが、趣味と実益を兼ねてスキー、ゴルフ、テニス、登山など多くの競技に挑戦した。沼田さんが最初に手掛けたのは、1970年に仏・フザルプ社との提携によるスキーウエアである。日本で初めて、防寒と競技の特性に配慮した立体裁断の機能的な製品を開発、工業化した。

「岐阜県の流葉スキー場へよく滑りに行きました。うちのウエアを着ている方を見つけると感想を聞き、『ちょっと袖が長くて……』とおっしゃると、持ち帰って直したこともありました。このような些細なことですが、ユーザーとの接点を大切にしてきました」

「あんどん作り」が立体裁断のベースに

 立体裁断が導入される前と後では商品に大きな違いがある。70年代以降のスキーウエアは、ひざの部分が伸び縮みしやすく、縫製によって補強され、体の形と動きにマッチした構造になっている。沼田さんは70年代、フランス人のデザイナーから「デザインを立体的に考えよ」とよく言われたそうだ。洋服は欧米の文化であり、日本人は着付けをする段階で体格にフィットさせる和服の概念がベースにあった。3D CADなどのない時代、まったく新しい発想で着衣を考えることが求められた。とはいえ、沼田さんの頭の中には早い段階から「立体的な発想」が育まれていたという。

「子どものころに体験した“あんどん作り”がベースになっていると思います。竹細工が好きで、小学校3年ぐらいから携わりました。高校生のころには、青年団の先輩が考えた平面上のデザイン画を、どうやったら立体で再現できるか、寝床に入ってからも考えました。当初、立体裁断とあんどんがつながっているとは思わなかったけれど、後にそう気づきました」

「津沢夜高あんどん祭」のあんどん(とやま観光推進機構提供)
「津沢夜高あんどん祭」のあんどん(とやま観光推進機構提供)

 ゴールドウインの本店がある富山県小矢部市内で毎年6月に行われる「津沢夜高あんどん祭」が、沼田さんの発想の原点である。祭りでは武者絵が描かれた長さ12メートル、高さ7メートルの大きなあんどんが、市街地を練り回る。祭りの見どころは、あんどん同士が激しくぶつかり合い、相手側の山車、釣り物を壊す「喧嘩夜高あんどん引き廻し」。立体造形の美しさとともに、ぶつけ合うことから、あんどんには強度も求められる。現在のラグビー日本代表ジャージ開発につながる日本伝統の匠の技が、地域の祭りにあったのだ。

「子どものころに培われたことといえば、仕事に対する価値観もそうです。高校2年生の時に出会った物理の先生は、教科書をあまり使わないでアインシュタインの相対性理論などを論じるような人でした。『世の中の真実は相対的なものだ。人も物も一緒。価値は相対的である』と言われました。誰かの役に立つ、誰かにとって価値のあるものを作ることが大切だと思っています」

着る人がどれだけ喜んでくれるかが価値

 アスリートの動きや体型に合わせてウエアを作り、「着る人がどれだけ喜んでくれるかが価値になる」と信じている。沼田さんはトップアスリートの思いや説明を聞き、自分の言葉に置き換えて相手に投げかける。そういうやりとりを何度も繰り返すという。登山やヨットなど自然が相手となる競技では着衣の性能が安全を左右し、生死を分けることもあるため、真剣なディスカッションが繰り返される。

スポーツウエア開発についての培ってきた技術をまとめた資料を披露する沼田さん(筆者撮影)
スポーツウエア開発についての培ってきた技術をまとめた資料を披露する沼田さん(筆者撮影)

「こちらが言い換えた言葉によって、アスリートはどれくらい自分の思いを理解しているかを確認しているのだと思います。競技への情熱を共有するうちに、頭の中で疑似体験しながら着衣を作っています。だから担当したアスリートが大会で好成績を収めると、自分も嬉しいのです。進化したプレーが生まれると、それによってクリエイトされる技術がある。スポーツウエアを通じて、選手と一緒に戦う幸せを感じています」

71歳、体が動く限り現役を続ける

 W杯が近づき、スポーツニュースなどで新ジャージを見る機会が増え、沼田さんも気持ちの高まりを感じている。日本開催なので、レプリカユニホームを多くの人に着てもらえることも嬉しいという。

「スポーツウエアの開発は今後、『地球に優しい』がテーマになる」と沼田さん。リサイクルを考え、製造過程でのロスや環境破壊を生じないことがより求められていくと感じている。現在、71歳。体が動く限り現役を続けることを目標に掲げ、「ラグビーのW杯はもちろん、2020年東京五輪・パラリンピックの後も頑張ります」と話す。日本代表ジャージは、これからも進化を続けるだろう。

富山県小矢部市にあるゴールドウイン本店では、これまで手掛けてきたスポーツウエアが展示されている。中央は1964年東京五輪バレーボール女子日本代表のユニホーム(筆者撮影)
富山県小矢部市にあるゴールドウイン本店では、これまで手掛けてきたスポーツウエアが展示されている。中央は1964年東京五輪バレーボール女子日本代表のユニホーム(筆者撮影)

※ラグビーW杯については、こんな記事も書いています。

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北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは「東洋経済オンライン」、医療者向けの「m3.com」、「AERA dot.」など。広報誌『里親だより』(全国里親会発行)や『商工とやま』(富山商工会議所)の編集も。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしたい。

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