樋口尚文の千夜千本 第38夜「群青色の、とおり道」(佐々部清監督)
名もなき路地のみにて映画は光り輝く
少し前のことだが、映画のロケ地としてつとに知られる地方の街に映画資料館というのがあったので、その街の風景を偏愛し、自作の舞台として愛情こめて撮り続けた映画監督をめぐる展示が当然メインの見ものとなっていることだろうと期待して覗いてみると、なんとその監督作品の資料は片鱗もなく、もう大過去の誰もが忘れ去ったような作品の資料ばかりがかき集められていた。
ちょっとその排除の極端さに焚書じみた意思を感じて少々おぞましい気分にもなったのだが、この監督の作品では本当にさまざまな着眼でご当地の風景が活かされ、観客の多くは自ずと現地を訪ねてみたいと思ったに違いなく、どれほど観光誘致に貢献したかわからない。それにもかかわらず、このありさまは何のせいだろうかと思ったら、要はその監督が地場の人びとは昔ながらのなんでもない古い町並みを守るべきであり、映画のロケ地をそのまま観光客目当てのミュージアムなどにするのはもってのほかであるという意見を表明したところ、地元の行政から大いなる反感を買ったという「不幸」があったもようである(もちろん監督ご本人から地元の人たちまで直に話を聞けば聞くほどさまざまな感情や事情が入り乱れているので、これは大枠の乱暴な要約なのだが、そういう価値観の対立が背景にあるのは間違いない)。
さて、実は私もその監督が舞台とした場所を、いったいどういう映画的な工夫であんなに魅力的に見えるものなのか、興味津々で訪ね歩いたことがある。その時何より驚いたのは、映画の数々で実に印象的に登場したロケ地群が、見事にどれもこれも「なんの変哲もない、そのへんの場所」だったということである。もう冗談ぬきに、何のいわれもない坂道や石段や小路や、もう本当にそのへんの一般のどなたかの家の軒先・・・ばかりなのだ。映画のなかでのそういった場所があまりに精彩を放っていたので、てっきり地元では知られた名所であったりするのかと思いきや、全くそうではないのである。私はそれまでてっきりこの監督が「ご当地映画」を地元にも観光客にも大歓迎されながら撮っているのだとばかり思っていたのだが(それは映画内のその地域がとても魅力的に映っていたからだ)、監督にうかがえば「僕が古くて汚い町並みばかり撮るから地元では決して歓迎ではないのですよ」ということであった。
同時にこんなこともあった。私が幼少期まで住んでいた九州の港に面したひなびた城下町があるのだが、ここも風光明媚なので『男はつらいよ』シリーズからNHK朝の連続テレビ小説までしばしばロケ地にされていた。自分はこの町には珍しいハイカラな映画館へ幼い頃に親に連れられて通ううちに映画に目覚めたのだが、写真さえ残っていない1960年代のあの映画館や町の雰囲気をもう一度この目で拝むことはかなわないのだろうか、とかなわぬ希望を持っていた。ところが、ある時なにげなく東宝の社長シリーズを眺めていたら、まさにその頃のその劇場の前で森繁久彌と藤岡琢也と関口浩が漫遊ポーズをとっているではないか!のみならず劇中ではご当地自慢のお祭りや観光地も手際よく紹介される。一瞬狂喜した私は、しかしこういうまさに「ご当地映像」はカタログのように当時の風景を蘇らせてはくれるものの、かすかな記憶のなかに残る街の空気や風情、世界観はさっぱり再現してくれないものだなと当たり前の事実を確認するばかりであった。
しかしこういうのが通常地方の観光課が求める「ご当地映画」像なのであって、くだんの監督は「ご当地」にただならぬこだわりを貫く作家であれど、特に観光課的視点でいうところの「ご当地映画」の規範は一切無視していたわけである。だが、地元を詳しく知るわけでもないわれわれよそ者にとっては、そんなことは気になるところではなく、映画の世界観に情感たっぷりにおさまっている匿名の古い路地などが絵葉書的な名所よりも(もう現地を見てみないではおれないほどに!)よほど魅力的に見えたわけだ。だが、この監督が「たとえば小津安二郎は『東京物語』で尾道という街にロケして、ひじょうに印象的な舞台にしている。でも、あの古ぼけて殺伐とした尾道の光景は、おそらく地元民が見せたいものではないのです」という話をされていたが、この「悲劇」はインディーズ映画が地方の「ご当地映画」に活路を見出そうとしている昨今、日本のそこかしこで勃発しているものかもしれない。
さて、壮大なる前置きになってしまったが、群馬県は太田市のお声がかりで作られたという佐々部清監督『群青色の、とおり道』と出会う前に、私がこうして「ご当地映画」をめぐるさまざまな思いや情報に囲まれていたことは語らないわけにはいかなかった。これはなんでも太田市長により「太田市合併十周年記念事業」として立ち上げられたものだというが、何のことだか判らなかったので調べると、人口15万だった旧太田市は2005年に三町と合併して20万を超える市になったのだそうだ。そんないわくで「十年」という設定が物語では重要な意味を持ってはいるのだが、なにかむりやり市政の沿革にからめたりとか、そういうこともない。この作品では、十年前にミュージシャンを夢見て太田を飛び出し、工場を営む父(升毅)からは勘当されたようなかたちになっていた青年(桐山漣)が、十年ぶりに母(宮崎美子)や高校生になった妹(安田聖愛)が待つ家に戻り、小学校の音楽教諭となった同級生(杉野希妃)や悪友たち(伊嵜充則、松浦慎一郎)と旧交をあたためつつ、ぎくしゃくした家族関係を恢復させてゆくという、ささやかな上にもささやかな物語がごくまっすぐに描かれるばかりである。
映画は興行という側面があるのでどうしても何か派手な見せ場やどぎつい展開などを用意することになりがちで、実はこうした実に何でもないささやかな市井の物語ほど面白かったりするのに、なかなかあえてそんな地味な世界の話を「企画」に乗せるのが難しかったりする。だが、この実に涙ぐましい予算の、映画が一本できたことが不思議なくらいのプロジェクトにあっては、もうそこでしか何も描けないわけである。佐々部監督はそこで後ろ向きになるどころか、逆に通常の商業作品では描けない小さなホームドラマを描ける好機と積極的にとらえ返している感じが素晴らしく、ここがプロ根性の見せどころという雰囲気で健闘している。これは佐々部監督自身が述懐していたが、本作を観ながら04年公開の下関を舞台にした佐々部監督の傑作『チルソクの夏』と何か似たかぐわしさを感じた。
私は思わず予算のことをこっそり佐々部監督に伺ったのだが、その制約のなかでせいいっぱい画面を豊かにしようというカメラの早坂伸の涙ぐましい工夫の跡は特筆すべきものだろう。また俳優陣もこのつつましい現場を演技で盛り立てようとする誠意がみなぎっていて、太田市だからスバルの富士重工業の下請けなのだろうか、工場の夫婦役の升毅と宮崎美子はとりわけ素晴らしく、息子役の桐山漣もせいいっぱい好演していた。芸歴の長い伊嵜充則の手堅い助演も嬉しかったが、いかにも地方にいそうな、美人なのだがどこかちょっと野暮ったい感じがたまらなくいい女性教師像を演じた杉野希妃も、彼女のこれまでの役柄のなかでひときわ鮮やかで好ましかった。
そして、こうしてひたすら親子や友人どうしの機微を描く本作で、背景となる風景がどこをとっても全国のどこにあってもおかしくないような地方都市の景色であったというのが何よりよかった。これは太田市サイドが絵葉書的な観光風景を盛り込むような愚かな注文をしなかったからであるかもしれないが、失礼ながらそもそも太田という土地に格別な観光周りの取り柄がなかったのが奏功したかもしれない。まず太田と聞いても、多くのよそ者にはイメージが湧かないだろう。しかし、くだんの決して観光風景を撮らない監督の傑作群のように、その土地の実になんでもない光景のなかに平凡な市民たちがけなげに生きていることを純粋に描けば、その土地はどんな観光風景よりも人の心をつかんで離さない魅力的な物語、世界観を手にすることができるのだ。そんな意味で、何も目覚ましい売りのない(せいいっぱいがラストの友好都市の弘前にあやかったプチねぶた祭り!)町で、何も目覚ましいことのない市井の逸話を描く、というこの一見まるで観光誘致的でない作品によって、実は太田という町は実にお値打ちな物語を手に入れたわけである。これは全国の「ご当地映画」を画策する者が規範とすべき姿勢であると思う。
さて、丁寧に地方ロケした「ふるさと物」なのに、出て来る光景が本作のように地味な匿名の場所ばかりという名作があったなと急に思い出したのが、1978年の藤田敏八監督による”帰郷映画”の秀作『帰らざる日々』と、1975年の黒木和雄監督による”離郷映画”の傑作『祭りの準備』である。これらの作品も、ほとんど観光名所のような場所は登場せず、どこにでもあるようなシャビイな郊外や商店街の景色ばかりであったが、そしてそのいちいちが余りに印象的な舞台となっていた。そしてその町とはおのおの長野県飯田市と高知県中村市(今の四万十市)であった。これらの市も申し訳ないが群馬県太田市と同じくらいイメージの湧かない町である。事ほどさように「ご当地映画」が「ご当地映画」を超えるには、その町が格別の自慢を持たないことが要件であるのかもしれないし、そういう町こそ映画を作るべし、ということでもあるだろう。ちなみに『群青色の、とおり道』にはどう見てもこの『祭りの準備』へのオマージュの場面があって、それがまた微笑ましかった。