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二つ玉低気圧通過後の週末からは広い範囲で行楽日和が続く

饒村曜気象予報士
日本付近を通過中の二つ玉低気圧の予想(10月23日9時の予想天気図)

二つ玉低気圧

 全国的な晴天をもたらした高気圧が日本の東海上に去り、東シナ海には前線を伴なった低気圧が発生しています(図1)。

図1 地上天気図と衛星画像(10月21日21時)
図1 地上天気図と衛星画像(10月21日21時)

 この低気圧は、東日本から西日本の沿岸を通過し、10月22日夜に日本海西部で発生する前線を伴なった低気圧とともに、日本列島を挟むように北東進して通過する見込です(タイトル画像参照)。

 このような天気図を「二つ玉低気圧型」といい、全国的に雨が降る天気図の型です。

 これらの低気圧や前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が非常に不安定となり、局地的に雷雲が発達するおそれがあります。

 雨雲が予想より発達した場合には、警報級の大雨となるおそれがあります。

 気象庁では、5日先までに警報を発表する可能性を、「高」「中」の2段階で予想し、早期注意情報を発表しています(図2)。

図2 10月22日と23日の大雨に関する早期注意情報
図2 10月22日と23日の大雨に関する早期注意情報

 大雨に関する早期注意情報によれば、10月22日は西日本と沖縄県で、23日は近畿・四国と北陸、および北海道で大雨警報を発表する可能性が「中」となっています。

 最新の気象情報の入手につとめ、低い土地の浸水、河川の増水、土砂災害に十分注意してください。

 また、竜巻などの激しい突風や落雷にも注意してください。

低気圧通過後

 二つ玉低気圧の通過後の週末は、大陸から高気圧がはりだす見込みです。

 気温は、極端に暑くもなく、かといって極端に寒くはないという、屋外で何をするにしても適した気温です。

 標高の高い山では紅葉も始まっており、各地で行楽日和になる見込みです。

 そして、この行楽日和はしばらく続く見込みです(図3)。

図3 各地の週間天気予報(ウェザーマップによる)
図3 各地の週間天気予報(ウェザーマップによる)

 新型コロナウイルス感染症により落ち込んだ旅行需要を喚起するため、宿泊を伴う旅行および日帰り旅行代金の最大5割を国が補助する観光支援策「Go To Travel キャンペーン」が始まっています。

 密にならないように気を付けて、しばらく続くこの行楽日和を楽しんでもらいたいと思います。

秋雨の東西決戦、関ヶ原の戦い

 今から420年前の慶長5年9月15日(1600年10月21日)、徳川家康率いる東軍7万5000人と石田三成率いる西軍8万2000人との間で天下分け目の戦いが始まりました。

 石田三成が先手をとり、夜間、雨に濡れながらの長距離移動で兵力を関ヶ原に移動させ、有利な布陣で家康を待ちかまえました。

 しかし、短い休息で戦った西軍は、午前中に互角の戦いをするのが精一杯でした。

 もし、今年の10月21日のように、晴天で、西軍主力が元気な状態で午前中に押しまくっていたら、小早川秀秋などの裏切りもなく、西軍が勝っていたかも知れません。

 関ヶ原の戦いのように、日本で政権をめぐる戦いは、ほとんどが東西決戦でした。

 また、日本の首都は奈良や京都にあり、主な交通路は東西方向でした。

 加えて、農耕民族である日本人は太陽を意識して生活しますので、太陽が昇る東と、沈む西が重視されたと考えられます。

 このため、昔の日本では東西南北の組合せでは、東西を先にする表現をしていました。

 今でも、東北地方、東南海地震、西南戦争、都の西北(早稲田大学校歌)など、東西が先に来る言葉が残っています。

 また、明治初期までは方向を十二支で表現することもあり、図4のように十二支順に名前がつけられていました。

図4 十二支の風向の表現
図4 十二支の風向の表現

 したがって、いまでいう北東方向は、十二支順に丑寅の方向(丑の方向と寅の方向の間)になりますが、昔の記録で十二支を使わない表現の場合は「東北の暴風が甚だしい」というように東西が先に使われていました。

天気予報から南北を先にする表現

 長距離を移動する狩猟民族や、世界を股にかけて航海している人々にとっては、南北を示す磁石や北極星や南十字星が無事に目的地に達するために必須でした。

 このため、欧米先進国では、南北という意識を強く持ち、Southeast、Northwestなど、南北を先にした表現が使われています。

 欧米で使われていた南北先行の考えが、明治時代に日本に持ちこまれ、現在では、「低気圧が北東に進んでいる」など、東西南北の組合せでは、南北を先にする表現をしています。

 この変化は、天気予報と深い関係があります。

 明治になり、日本で気象観測を行なうようになり、明治13年(1880 年)に気象観測法が刊行されています。

 これは明治5年(1872年)にアメリカのワシントンで刊行されたものを、保田久成が訳したものですが、ここで、Southeastは南東、Northwestは北西というように言葉の順に訳されています。

 日本独自の観測法は、暴風警報や天気予報を始めたEクニッピングが明治15年(1882年)に著した「観測要略」が最初で、ここでも南北先行の言葉が使われています。

 そして、南北先行の言葉は、天気予報を通じて一般国民に定着してゆきました。

 天気予報の用語は、それを意識しないほど、私たちの生活の中に深く浸透しています。

 

タイトル画像の出典:気象庁ホームページ。

図1、図2、図3の出典:ウェザーマップ提供。

図4の出典:饒村曜(平成16年(2004年))、雨と風の事典、クライム。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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