野性爆弾くっきー!に信頼された男がアイドル業界で人生再出発、「一番おもろい芸人は誰や」と尋ねられた夜
「なにがあっても天狗になったらアカン。もしそうなりそうなときは、野性爆弾のことを思い出すようにしています」
そう話すのは、大阪のインディーズのバンドシーンでは知る人ぞ知る存在であり、「ムッケンさん」の愛称で親しまれている向濱(むこはま)明彦さんだ。向濱さんは、スカやR&Bなどを取り入れたロックバンド、ロス・テーラーズのボーカリストとしてかつて活動。その愉快なキャラクターも相まってさまざまな人を引き付けてきた。
そんな向濱さんがリスペクトしてやまないのがお笑いコンビ、野性爆弾のくっきー!だ。唯一無二の世界観を持った笑いだけではなく、所属バンドのひとつであるジェニーハイではベーシストとして活躍し、イラストなどがアートシーンでも高く評価されている。
「川島さん(くっきー!の本名の苗字)には20年近くお世話になっているんです。川島さんと出会った当時、のちにメジャーデビューする盆地で一位だけではなく、THE REE-DEE'S(ザ・リーディーズ)というバンドもやっていて。“ラモーンズ・ミーツ・メロコア”って感じで、川島さんはギターもめちゃくちゃ上手くて本当に格好良かった。すごく良いバンドだったので、僕が企画していたイベントにもよく出ていただいていました。ただそのときは、野性爆弾は大阪でも一部の人しか知らないコンビ。僕は『こんなに野爆っておもしろいのに、なんで人気が出ないんだろう』とお笑いが嫌いになりそうなほどだったんです。しかも僕のバンドと対バンすると必ず川島さんは、こっちのTシャツやCDを買ってくれるんです。年に1、2回くらいしかテレビに出ていなかったし、決してお金があったわけではないはずなのに。すごく義理堅い方なんです」
「一番おもろいのはキングコングに決まってますやん」で大爆笑
何度も対バンして徐々に親交を深めた、向濱さんとくっきー!。ある日、ライブ後の打ち上げの席でくっきー!から「ムッケン、いま一番おもろい芸人って誰や?」と尋ねられたという。向濱さんはそこで「キングコングに決まってますやん」と即答。当時のキングコングはアイドル的人気を誇り、全国番組にも引っ張りだこ。野性爆弾とは対極のコンビだった。向濱さんはそういった現状を見越してその名前を挙げた。そうすると、くっきー!は「お前、しばくぞっ!」と声を荒げ、周囲を爆笑させたという。ただそのときの「キングコング」という咄嗟のチョイスが絶妙だったこともあり、「くっきー!さんも『こいつ、おもろいな』となった気がします」と振り返る。
音楽的に共鳴し、屈託がないやりとりも重ねていったふたり。その後、野性爆弾は全国的に大ブレーク。向濱さんは「遅咲きでしたが、野爆が売れたときはホンマに嬉しかったです。川島さんは誰からも愛される人。川島さんの性格を知っていたら、きっと助けてあげたくなるはず。だから千原ジュニアさんたちも『やりすぎコージー』(テレビ東京系)に野爆を何度も呼んだんだと思います。もちろんその前提には、野爆がめちゃくちゃおもしろいというのがありますし」
「野爆愛」を貫く向濱さん。「ご本人は覚えてはらへんと思いますけど」と前置きしながら、くっきー!からかけられたこの言葉が心にずっと刻まれているという。
「ムッケン、お前は信頼できるヤツや」
40歳をこえて借金300万円「いろんな人を笑わせて、アホやなって思われようと決めた」
ただ向濱さんは、人気者になっていく野性爆弾とは真逆の人生を歩むことに。高校卒業後は35歳まで、バンド活動やインディーズレーベルを主宰しながら、溶接工として働いていた。その後、ライブハウスに転職。本格的に職業としてエンタテインメントの世界に足を踏み入れていく。さらに個人で音楽事務所を立ち上げたり、バーを経営したりするなどした。
しかし、どれもうまくいかなかった。40歳をこえたところで300万円の借金を抱えた。しかも向濱さんは2度の離婚経験があり、子どもらへの養育費用の支払いや20代で購入した家のローンものしかかった。
「金銭面はもちろん大変でした。でも川島さんはどんなときも人を笑わせていた。そういう姿を知っているから、苦しくても同じような気持ちでやっていました。いろんな人を笑かして、アホやなって思われて。誰かに見上げられるような存在になったら、人に好かれへんと僕は思ってます。300万の借金を抱えたあと、実家に帰って電気工などになって、数年で借金を返すことができました。この前、家のローンも払い終えました。あと息子が結婚して、子どももできたんです。来年で僕は50歳になるんですけど、もうおじいちゃんですわ」
アイドルグループのプロデューサー就任「音楽に自信がある」
そんな向濱さんがあらためて、エンタテインメントの世界で人生を再出発させる。2023年4月29日にポルックスシアター(大阪)でデビューするアイドルグループ、ROOM 0205のプロデューサーに就任した。
過去にアイドルグループのプロデュースも経験しているが、そのときは良い結果が出たとは言い難く、今回も引き受けることに躊躇があったという。ただ「2022年にRoom 205というアイドルグループが大阪にできて、短期間で活動を終了してしまったんです。楽曲がとても良くて気に入っていたので残念に思っていました。ちょうどその頃、僕は無料配布の写真集『神戸美少女図鑑』やアイドル雑誌『IDOLOOKIN』を制作するなどアイドルとの関わりが出てきて、そのなかでRoom 205の曲を引き継ぐようなグループを作る話になりました。あのクオリティの楽曲を眠らせておくのはあまりにも惜しいと感じて」と受諾の経緯を説明する。
ROOM 0205の楽曲は、日常における女性の感情の機微を歌った内容から、今この瞬間をどのように生きて未来へつなげていくかをストーリー性たっぷりに描いたものまで、実に幅広い。共感性が高い楽曲が揃っている。
「ROOM 0205はアイドルという枠組みではありますが、音楽好きにウケるはず。アーティストとして見てもらえると思います。彼女らも、自分たちがやろうとしている音楽には自信があるんじゃないでしょうか。あと、メンバーは僕の性質をよく分かっています。『ムッケンさんの考え方は若い人には響かないので、自分たちでできることはやります』って(笑)。ほんまにその通りなんです」
「日本武道館でライブができたとしても」
メンバーは5名。向濱さんはまず「エリ・センパイはもともと別のグループで活動していたけど不本意な終わり方をしたんです。『二度とアイドルをしない』と言っていたけど、韓国までダンスを教えに行くなど踊りが抜群なので絶対に入ってほしくて声をかけました。ハナザワPAもアイドルの経験があり、一生懸命努力するだけでは報われないことを知っています。アイドルの悲哀が身に染みている分、歌の見せ方などいろんな勉強をしています。カエデチャンも以前、アイドルグループに所属していました。はっきりとものを言う性格で、中途半端な接し方ができません。だからこそ芯を食った話ができるし、1から10までちゃんと説明する重要性に気付かされました。『大人の言うことに黙って付いてきたらええねん』は古いやり方だと再認識しましたから」と3人の経験者の特性を紹介。
続けて「カナワンワ!はヘアアレンジ系のインスタグラムでフォロワーが多く、またチラシなどのデザインもできて、どうすれば若い世代にウケるかを考えて行動しています。アイユ・エオはほかの4人から遅れて合流したんです。古いオーディション情報を見て応募をしてきて。4人組での活動が決まっていたので断ろうと思ったけど、試しにダンスレッスンに参加してもらったらダンスの先生が『この子は絶対に入れるべき』と。カエデチャンが『4人組でデビューすると最初に決めたことを運営がころころ変えるのはどうかと思います。それでもアイユちゃんは入れるべきです』と言ったことも決め手でした」とメンバーの背景などを語ってくれた。
何度もピンチに陥った人生。それでも根底に笑いがあるから、向濱さんは前進することができた。
「野爆の川島さんの姿勢を見習ってやっていきたいです。たとえROOM 0205が日本武道館でライブができるようになったとしても謙虚さは忘れません。なにより僕はお笑いが好きだし、たくさんの人に楽しんでもらえるグループにしていきたいです」
野性爆弾よりも遅咲きの人生が始まった。