SMBC日興証券事件、「安定操作」の処罰に関する“根本的な疑問”
2022年3月4日夜、東京地検特捜部は、SMBC日興証券株式会社(以下、「SMBC日興」)エクイティ本部のトレボー・ヒル本部長、アレクサンドル・アヴァキャンツ副本部長ら同社幹部4人を逮捕し、その勾留満期の3月24日、同4人に新たに1人を加えた5人と、法人としてのSMBC日興を金融商品取引法違反(違法安定操作)で起訴するとともに、佐藤俊弘副社長を同容疑で逮捕し、4月13日、起訴した。
この事件について、上記の会社幹部起訴、副社長逮捕の時点で出した記事【SMBC日興・副社長逮捕、「検察幹部」は“プーチン”化していないか!?】で、「犯意(違法の認識)」「共謀」などの事実認定の問題を中心に、検察の対応に重大な疑問があることを指摘した。
しかし、問題は、そのような事実関係だけではない。より根本的な問題は、この事件で「安定操作」に関する罰則を適用したこと自体の是非だ。日本の金商法(旧証券取引法)とその母法の米国証券取引法の規定との関係、日本での法令の改正の経過などに関して、そもそも、金商法違反として処罰の対象とすべき行為なのかという点にも重大な疑問がある。
適用された「安定操作」の一律禁止規定
「違法安定操作」だとされた起訴事実は、
SMBC日興証券株式会社が扱う「ブロックオファー」取引において、売買価格の基準となる同取引当日の終値等が前日の終値に比して大幅に下落することを回避し、その株価を××円程度に維持しようと企て、金融商品取引法施行令20条で定めるところに違反して同株券の相場を安定させる目的をもって、令和3年×月×日午後2時×分頃から同日午後3時頃までの間、指値××円の買い注文を大量に入れるなどの方法により、同株券合計×万株の買付けの申込みを行って、そのうち合計約×万株を買い付け、もって、前記有価証券市場における各株券の相場を安定させる目的をもって、一連の有価証券売買及びその申込みをした。
というものだ。
適用されたのは、
とする159条3項の規定だ。
同条項では、「政令に違反して」安定操作を行うことが犯罪とされる。その「政令」の金融商品取引法施行令20条は、
として、「有価証券の売出し・勧誘を容易にするため」に行う安定操作について「目論見書の記載」(21条)、取引所等への届出(23条)等を義務付け、それ以外の場合は、安定操作自体を一律に禁止している。
SMBC日興の事件では、ブロックオファーの取引の売買価格の基準となる同取引当日の終値を一定の水準に維持するために大量の買い指値注文を出す行為が安定操作に当たるとされているが、それは、「有価証券の募集又は売出しを容易にするために行う場合」ではない(ブロックオファー取引でも株式の購入者を募集するが、問題とされる「買い支え」は、購入者確定後の行為であり、それによって、「募集が」容易になるのではない)ので、同施行令による届出等の手続を行うことはできない。
つまり、本件は、届出等の「手続の違反」ではなく、「安定操作」という行為自体が犯罪に問われたものだ。
「相場操縦」の犯罪性の根拠
「相場操縦」として一般的なのは
すなわち、「変動操作」だ。
「売買取引を誘引する目的」については、判例([協同飼料事件上告審決定]最決平成6.7.20)では、
とされている。
大量の買付けや売付けを行えば、それによって相場が変動するが、それを認識して自己の名義と計算で大量の売買を行ったからと言って、それが相場操縦の犯罪としての「変動操作」になるわけではない。注文や売買のやり方によって、株価が上昇するように見せかけて、他人を取引に引きずり込み、株価を上昇させて、自分は売り抜けて儲けようという行為が「変動操作」の犯罪となる。
つまり、相場操縦の犯罪性の本質は、「他人の売買取引を誘引すること」にあるのであり、「相場を変動させること」は、その重要な要因となる。
ところが、今回の事件では、「変動操作」ではなく、「安定操作」が金商法違反とされた。
「相場を安定させる」のは、「変動させる」のとは異なり、「他人の取引を誘引する」効果は希薄だ(株価が動かない株を買っても、取引のコスト分、損失を被るだけである)。変動操作のように、「他人を売買に引き込んで、自分は売り抜ける」目的が考えにくい。需給関係に基づく自然な株価形成に反して相場を安定させる売買を行っても、それを止めた時点から、株価は変動して本来の株価水準に戻るだけである。自らの計算で安定操作を行っても、その後の価格の変動で損失を被ることになる可能性が高い。そういう意味で、安定操作は、「自己の利益を図るという犯罪性」において変動操作とは根本的な相違がある。
ところが、前記のとおり、「有価証券の売出し・勧誘を容易にするため」に行う安定操作は、一定の手続きをとることで適法とされるが、それ以外の場合は、安定操作自体が一律に禁止されている。
「有価証券の売出し・勧誘を容易にするため」に行う安定操作が許容される理由については、
と説明されているが、有価証券の募集等の場合以外の安定操作が一律に禁止される理由については、ほとんど説明が行われていない。
「需給関係に基づく自然な株価形成」を阻害することがすべて「犯罪」だというのであれば、安定操作もすべて犯罪性が認められるということになるだろう。しかし、そのような考え方は、少なくとも、上記の最高裁判例ではとられていない。
ではなぜ、「有価証券の売出し・勧誘を容易にするため」以外の場合の安定操作が一律に禁止されるのか。その根拠となる、安定操作に関する金商法施行令20条の規定は、どのような経緯で制定されたのか。
安定操作に関する政令改正の経緯
1948年に制定された日本の証券取引法(現在の金商法)は、米国の証券取引法を母法とするものである。安定操作に関する金商法159条3項は、米国証券取引所法9条A項6号の
を禁止する規定と全く同じ文言であり、同規定が日本法にそのまま導入されたことは明らかだ。
では、日本の証券取引法の制定時の安定操作の禁止の範囲は、どのようなものだったのか。
金商法施行令の附則を見ると、昭和46年7月1日の施行の際に、「安定操作に関する規則(昭和二十三年証券取引委員会規則第十八号)は、廃止する。」とされている。当時の証券取引法の代表的基本書に、
との記述がある(鈴木竹雄=河本一郎著「証券取引法」法律学全集・有斐閣、1968年、238頁注(八))。
そして、当時の証取法の実務家と研究者の間の座談会でも、「有価証券の募集・売出しを容易にならしめるため」以外の安定操作は禁止されていないとの認識で一致していた(「証券取引法研究会」インベストメント昭和41年3・4月合併号)。それが、昭和46年の政令改正で、現在のような「有価証券の募集・売出し」の場合以外の安定操作を一律に禁止する規定とされた。
これについて、当時の大蔵省証券局担当官の解説では、
としているが(長谷場義久「財経詳報」899号12頁~)、同政令改正の際の証券取引審議会答申の報告書(「企業内容開示制度等の整備改善について」昭和45年12月14日)では、
とされ、前記のような証券取引法制定時の安定操作に関する規制と同様の認識が示されており、安定操作の処罰範囲についての記載は一切ない。
これらによれば、制定当初の「安定操作に関する規則」は、母法である米国証券取引法と同様に「有価証券の募集又は売出」の際の安定操作のルールを規定するものであったところ、昭和46年の政令改正において、処罰の範囲が拡大されたものと考えられる。
しかし、そもそも、法律改正によることなく政令改正で処罰範囲を拡大することが、「罪刑法定主義」の原則の下で許されるのか、それ自体に疑問がある。しかも、そのような処罰範囲の拡大について審議会等での母法の米国法との関係も踏まえた議論が十分に行われた形跡もない。
改正後の政令で処罰された安定操作の事案
このような経過から、現在の安定操作についての金商法施行令には重大な疑問があるが、同規定が、その後、どのような安定操作の事例に適用され処罰が行われてきたのか。確認できるのは以下の5件である。
①東京時計製造事件 (東京地判昭51.12.24)
粉飾決算を続けていた東京時計製造は、運転資金獲得のため、取締役会で時価発行の決議をして証取法(当時) に基づく安定操作の届出をしたが、同社の代表取締役が、それとは別に同社の株価を公募価格よりできるだけ高く安定させるため、他人名義で委託注文を出して買い付けるなどの一連の売買取引を行った事案。
②日本熱学工業事件 (大阪地判昭和52.6.28)
昭和49年に倒産した日本熱学の会社の実態を隠すため、同社の役員たちが粉飾決算(違法配当)や違法な自己株式の取得等、商法違反の行為を繰り返し、その一環として、株価を下落させないように、証券会社に他人名義で委託して、自社株を買い付けたことが「安定操作」に当たるとされた事案。
③協同飼料事件(最決平成6.7.20)
同社が時価発行公募を含む増資を行うに際し、同社の資金等で同社の株式を大量に買い付けるなどして株式の売買取引を誘引する目的をもって、買い上がり買付け、買支え、仮装売買など、相場を変動させるべき一連の売買取引をし、「変動操作」により引き上げられた同社株式の権利落後の相場を安定する目的で、一連の売買取引を行ったとされた事案。
④丸八証券事件(名古屋地判平成20.9.9)
冷凍食品会社が名証第2部に新規上場した際、同社役職員らが、同社の株価を公募価格以上に維持しようと、個人顧客への勧誘等により、顧客から指値等による同社株の買付注文を受託させて買い支えるなどの方法で、公募価格を割り込みかけた同社の株価を一定の範囲に固定させたとされた事案。
⑤夢の街創造委員会事件(東京高判平成30.5.8)
私自身が弁護を担当した事件である。同社の創業者の花蜜伸行氏が、同社の株価が割安に放置されていたことから、僅かな資金を元に信用取引で同社の株式を保有しようとして、仮装売買、買い上がり買付けなどの方法によって、株価を数倍に上昇させ、その後、株価が下落を始めた後、追証が発生しないよう防戦買いを行ったものであり、株価を上昇させた期間の取引が変動操作、その後、防戦買いで下落を食い止めようとしていた期間の取引が安定操作とされた事案。
米国における安定操作に対する規制
日本の金商法における「政令」に相当するのが米国法の「SEC規則」である。
現在の米国証取法のSEC規則では、安定操作に対して、どのような対応が行われているのか。
SEC規則における安定操作に関する規定は、以下の「Stabilizing and other activities in connection with an offering募集に関する安定操作その他の行為」と題する104条(a)項である。
同項は、(1)「有価証券の募集」に関して「安定操作」等がSEC規則に反してはならないとし、(2)「詐欺的、相場操縦的若しくは欺瞞的な行為の結果であると知り又は知る理由がある価格」で行う安定操作を違法としている。つまり、「有価証券の募集」について安定操作のルールを定めていることに加え、「違法に形成された価格」を維持する安定操作を違法としている。日本の金商法施行令のように一定の場合以外の安定操作を「一律に禁止する」のではない。
現在の米国のSEC規則に照らして、日本の安定操作の摘発例を見ると、上記の5例のうち、①、③は、株式募集の最中に行われた安定操作の事案であり、SEC規則の上記(1)の規制の対象となる安定操作である。③、⑤は、「変動操作」によって形成された価格を維持するための安定操作であり、(2)で違法とされる事案である。④も、新規上場による株式の売出し・勧誘の後に顧客を勧誘したものであり、「顧客を誘引した」と言えるので、いずれも、SEC規則でも違法性が認められる安定操作と言えるだろう。
②は、粉飾決算の事案で、その手段として株価を会社の実態に反する水準に維持しようとした特異な事案であるが、会社の実態を偽って株式を購入させようとする面において、「他人の売買を誘引する目的」も認められる事案だったと考えられる。
日本での安定操作についての規定は、証取法制定時には母法の米国証券取引法と同様だったのが、昭和46年政令改正で処罰範囲が拡大され、一定の場合以外には「一律禁止」となった。しかし、それ以降の適用事例を見ても、(事実認定の問題はともかく)、処罰の対象とすること自体に疑問があるものはなかった。
SMBC日興の事件は、処罰の対象とすべき安定操作なのか
ところが、SMBC日興の事件は、上記のとおり、「有価証券の売出し・勧誘を容易にするため」の事案ではなく、相場操縦によって形成された価格を維持しようとしたものでもない。また、SMBC日興が自己売買部門で自己の計算で行ったものなので、上記④の事例のように顧客を勧誘したものではなく、また、検察が主張するように終値の下落を防止することでブロックオファー取引を確実に成立させようとしたとしても、市場での売買を引き込もうとするものでもないので、「売買を誘引する目的」がないことも明らかだ。まさに、昭和46年の政令改正による一定の場合以外の安定操作の「一律禁止」の適用そのものであり、母法の米国証券取引法における安定操作の規制の趣旨との関係でも疑問がある。
しかも、SMBC日興の事件に関しては、ブロックオファーでの購入者側が、買値の基準となる取引日の終値を下落させる目的で、「空売り」を行っていたとされている。「買い支え」が、そのような「空売り」による株価の下落を防止する目的だったとすると、「相場が自然な需給関係に基づいて形成される『本来の株価の水準』」を「維持しようとする行為」と見る余地もあり、米国証券取引法では違法性を一層認めがたい事案のように思える。
ブルームバーグの英文記事(【‘The Morgan Stanley Fade’: U.S.Probe Dredges Up Years of Animus】)によると、米国でも、モルガンスタンレー証券の「ブロックオファー取引」についてSECの調査が行われているようだが、そこで問題にされているのは、ブロックオファー取引の情報が漏洩することによって空売りで株価が不自然に下落していることであり、日本のSMBC日興の事件のように、証券会社の自己売買部門の「買い支え」が問題にされているのではない。
証券取引等監視委員会の強制調査が開始されたのは昨年6月以降、SMBC日興側は、一貫して違法性を否定し、徹底抗戦してきた。9か月後の今年3月4日、検察は、会社幹部4人の逮捕という「強硬手段」に出たが、4人は、「通常の業務の範囲内」と述べて違法性を否定し、「無罪主張」の構えを崩していないようだ。佐藤副社長も、同様に違法性を否定し、容疑を否認していると報じられている。
トレボー・ヒル本部長ら外国人幹部が同社の取引について違法性を否定し、徹底して争う姿勢を示しているのも(ウォールストリート・ジャーナル【SMBC日興米国人元幹部、「困惑と憤慨」の逮捕劇】)、米国の証券取引ルールでは違法とされるような行為ではないとの認識が背景にある可能性がある。
SMBC日興については、本件に関連して内部管理体制上の問題が指摘されているが、その点も、本件の金商法罰則適用が適切であったか否かによって、その問題の重大性は異なってくる。
経済取引のグローバル化が一層顕著となる中で、証券取引ルールの国際的な整合性が不可欠となっている。今回の事件で適用された日本の「安定操作に対する規制」自体の妥当性を、日本の法令改正の経緯や米国の証券取引ルールに照らして、十分に検討する必要がある。