「光る君へ」で、藤原氏全盛時代に中宮の生母となる高階貴子の高階氏とは
大河ドラマ「光る君へ」のクレジットを見ていると、姓名が記されている登場人物は「藤原」さんだらけで覚えるのが大変だ。しかし、当時の朝廷がそうだったためやむを得ない。
そうしたなか、「藤原」さん以外で主要な登場人物となっている人物に板谷由夏演じる高階貴子がいる。
藤原兼家の長男道隆の嫡妻で、NHKの公式サイトには「宮仕えの経験があり、はきはきした知的な女性」と紹介されている。また「娘の定子の教育に力を入れる」ともあり、中宮定子と清少納言の関係もあって、しばらく登場しそうだ。
この藤原氏全盛の時代において、藤原氏以外から中宮の母となった高階貴子の「高階氏」とはどういう一族だろうか。
高階氏のルーツ
高階は清原氏などと同じく天皇家の分家にあたる。第40代天武天皇の子孫である。
奈良時代の宝亀4年(773)、天武天皇の孫である安宿王(あすかべのおう)が皇族を離れ、「高階」の姓を賜って臣籍に降下したのが祖である。
承和11年(844)には安宿王の弟桑田王の子孫である峯緒王も高階姓を賜って天皇家を離れた。この他にも天武天皇の子孫のうちいくつかの系統が高階姓を賜っている。
こうして誕生したいくつかの高階氏のうち、子孫が繁栄したのは高階峯緒の末裔で、貴子もその子孫である。
高階貴子の登場
高階氏は比較的新しい天皇家の分家だったが、平安時代には中級の貴族となっていた。しかし、高階成忠の娘貴子が和歌をよくして円融天皇の時代に宮中に出仕したことで出世の足がかりを得た。
貴子は時の権力者藤原兼家の長男道隆の妻になると、道隆は関白・摂政を歴任。さらに娘定子は入内して一条天皇の中宮となったことで、貴子は中宮の生母という高い地位に昇った。
すると貴子の父成忠は従二位に叙せられて公卿に昇進、中流貴族にすぎなかった高階氏は一躍発展を遂げた。この時代、娘を入内させることは一族全体の発展にもつながった。
しかし、道隆の子孫(中関白家)は道隆の弟道長との権力争いに敗れ、高階氏も一緒に没落していった。
高階氏のその後
成忠の子孫は公家として続くことはできなかった。むしろ子孫が続いたのは、受領(ずりょう、現地に赴任した国司)となっていた成忠の弟敏忠の系統である。
平安時代末期に後白河法皇の側近であった高階泰経や、寵妃丹後局(高階栄子)らが子孫にあたり、以後南北朝時代まで公家として続いた。しかしこちらも室町時代には没落している。
かわって登場したのが武家の高階氏である。清原氏が清(せい)家、藤原氏が藤(とう)家といったように、高階氏は高(こう)家と呼ばれた。室町時代初期に足利氏の執事として活躍した高師直が有名である。