人生を変える一枚の写真 若者500名の岐路を映し支えるフォトグラファー
履歴書に貼る証明写真代がきつい
検索サイトで「的野弘路」で調べると錚々たる人物写真を撮られてきたことがわかる。第一線で活躍するフォトグラファー的野氏との出会いは、2011年に選出していただいた日経ビジネス「次代を創る100人」の撮影のときだった。
優しい表情と声でレンズの向こうに映る人間をリラックスさせながら、「じゃあ、右手を少し前に出してみましょうか」と的確な指示を出す。撮影中はプロの顔、撮影の前後は、誰とでもフランクに話してくれるお兄さんのような存在だ。
的野氏との出会いを前後して、 育て上げネットの若者支援の現場職員から話をもらった。ハローワークで、「とにかくたくさんの企業にチャレンジしていきましょう」と助言を受けた若者から相談を受けたと言う。
それは、就職活動で使う履歴書に貼付する「証明写真」の費用がかさみ、交通費などを含めて就活を続けていくための生活費を削るのもつらいというものであった。最初は写真代くらいと思ったが、育て上げネットが運営する若年者就労基礎訓練プログラム「ジョブトレ」に通う若者たちに聞いてみたところ、街中で手軽に取れるスピード写真は一回の撮影で700円前後かかり、印刷枚数も限られる。ナビゲーションや説明があるものの、納得のいく“いい表情”を撮ることに苦労しているとの声があった。
確かに、何度か撮り直しはできるものの、そもそも私たちは自分で自分を撮影するようになって久しく、日常生活のなかで履歴書に貼付する証明写真を“自撮り”することはない。これが私という人間を最もよく表現している写真だと自信を持って貼れるひとは稀だろう。何より、履歴書を大量に送ることになれば、なかなか就職が決まらない焦りに加え、スピード写真であっても費用がかさんでいく。
ふと的野氏が浮かんだ。証明写真も写真のひとつであり、何かよい助言をいただけるかもしれないと話をしてみたところ、撮影スタジオを設営して証明写真を撮影すること。加えて、補正した写真データをいつでも印刷できるようデータで若者に提供することをご提示いただいた。そこから育て上げネットと的野氏との「証明写真プロジェクト」がスタートした。
500名を撮影しても悩み続けている
証明写真プロジェクトは、これまで全国10都道府県で開催し、若年無業者を中心に500名を越える撮影をしてきた。収入がなかったり、経済的に苦しい若者を対象にしている。この活動は、篤志家からのご寄附や企業スポンサーの方々に支えていただいている。現在は、J.P.モルガン社との協働事業である「YOUTH DRIVE FOR SECURE JOBS」の一貫で継続している。
撮影にあたっては、若者支援者が撮影に臨む若者の身だしなみを整えたり、スーツを合わせたりと、的野氏のアシスタントを務めている。いきなりスタジオ撮影となれば、一層緊張してしまうため、普段から若者と関係がある支援者が、若者の緊張をやわらげられるようサポートする。
これまで数々の政治家や企業トップを撮影してきた的野氏にとって、これから前に進んでいこうとする若者を撮影することとはどういうことなのかを聞いた。
的野氏:これまで全国で500名以上の若者を撮影してきましたけど、いまでも悩みながらやっています。緊張が強かったり、明らかに不安な様子の若者に対して、「いまのは言い方がきつかったかもしれない」と思うこともあれば、否定的な言葉を使ってしまって「あっ」となることもあります。
証明写真は日常の一風景を切り取るものではなく、意中の企業担当者に提出し、人生の岐路となり得る非日常の一枚である。これまで何社受けても不採用であったり、これから人生で初めて就職活動をする若者にとって、“この一枚”を撮影するにあたって大きな不安を持っていることもある。
的野氏:やっぱり第一印象は大事なんです。9割とは思わないですが、第一印象や見た目が影響しないとは言えません。若者には、コミュニケーションには大切な5つの基準- 「表情」「声」姿勢」「身だしなみ」「話の内容」- があって、できるだけ相手の目を見て大きな声ではきはき話せるようになるといいですね、と伝えています。
的野氏は撮影中、よく「たこ焼き」という言葉を出す。自然でやわらかい表情を作るためには、頬にたこやきを作るイメージですよと、人差し指と親指を合わせて頬にあてて説明をしている。大頬骨筋肉と眼輪筋など筋肉の名称を使うこともあり、相手に合わせて言葉を選んでいる。傍から見ると和やかに撮影が進んでいるように思えるが、的野氏は「悩みがつきない」と言う。どうしても表情が作れない若者に、どうしたらいいか思い悩むこともあれば、こうしたほうがいいよという声かけが入っていかないとき「なんで通じないんだろう」と考え込んでしまう。
的野氏:一人ひとりの抱えていることはわからないですし、一度も就職をしたことのない若者と、働いていたけれどつまずいてしまった若者では、伝える術が異なるでしょう。「ジョブトレ」と「地域若者サポートステーション」、首都圏と地方でも少しずつ違いがあるのかもしれません。ただ、経験を重ねているなかで若者が固くなってしまうキーワードはなんとなく見えています。「面接」は固くなります。その他、面談、相談、就活、就職など、就職活動にかかわる言葉は、表情や身体に緊張感が出るので気を付けています。毎回勉強ですし、一人ひとりの若者から勉強させていただいています。
大掛かりなスタジオを設営する意図
証明写真ということで、大半の若者はスーツで撮影に臨む。持ち合わせていない若者には撮影用にスーツを貸与し、ワックスや化粧も準備する。慣れていない若者にはアシスタントである支援者がサポートにはいる。実際、スーツを身にまとって撮影することに的野氏はさまざまな考えを巡らしている。
的野氏:スーツを借りるひとはいいのですが、自分で着用してくる若者のなかに、特にシャツのサイズがあってないひとが非常に多い。測ってもらっていないのかな。ここからは想像ですが、店舗で店員さんとうまく話ができず、なんとなくでサイズを選んでいるのではないでしょうか。ちゃんと測ってもらったほうがいいし、苦手ならボタンを留めて指が一本くらいのものにしてね、と伝えています。社会性がないとか、経験がないというより、周囲にアドバイスをくれるひとがいないのかもしれません。ネクタイもあるものをつけているようなので、選挙は赤、パーティーは黄色、面接などの初対面はブルー系を選ぶひとが多いんですよと雑談しながら伝えたりしています。
東京から遠く離れた場所でも、的野氏はスタジオ設営のための荷物を持ち運ぶ。毎回の移動も負担が大きい。それでも的野氏は意図を持ってスタジオ設営にこだわる。
的野氏:スタジオはあえて大掛かりにしている部分もあります。スタジオがあればよりきれいに撮れることは間違いありませんが、なくても技術でそれなりのクオリティーを保つことは可能です。しかし、それ以上に大切にしたいのが、大掛かりなスタジオで撮影をすることで、若者に「これ以上の証明写真はない」と自信を持ってもらいたいんです。それは“度胸付け”も意識しています。部屋に入った若者がと驚いている姿も見ます。彼らは写真を撮ることがゴールではなく、その先に面接があり、人生があります。“あそこに座って表情を出せた自分”という経験を自信にしてほしい。面接に限らず、緊張の場面でも本来の自分がしっかり出せるようになれば世界も広がっていくと思うんです。
いい写真が撮れることに意味はない
写真撮影に臨む若者は基本的に無業であり、これから仕事に就いていこうとしている若者である。それだけの写真撮影を重ねた的野氏は、いま、何を考えているのか。
的野氏:すぐに笑顔が作れる。受け答えがはっきりしている。表情も姿勢も素晴らしい。非の打ち所がない用に見える若者がいるとき、なぜ彼/彼女は仕事に就けないのだろう。何があるのだろう、と考えることがあります。正直、僕にはなぜなのかがわからない。
ただ、それを知ることが証明写真の質を変化させるのかはわからない。何より、僕が“いい写真が撮れた”と思うことに意味はないんです。若者たちが、日常的によい表情を出せることを少しお手伝いしているわけですが、これから先、彼らが面接に行ったり、職場で初めてのひとと出会ったり、プライベートで多くのひとたちと接点を持つなかで、一人ひとりが本質的に持っている笑顔だったりの表情が自然に出せるようになることが一番大切ですから。
「私はこんな素敵な表情ができるんだ」と思ってもらえる一枚を、本プロジェクトを通じて撮影できたら本望です。少しでも人生が変わるきっかけを、彼ら/彼女らの人生に寄与できるように引き続き撮影をしていきます。
プロフィール
的野 弘路
1974年福岡生まれ
九州産業大学芸術学部写真学科卒
K2写真研究室にて写真家 熊切圭介 木村恵一に師事
講談社週刊現代編集部カメラマン
日経BP社カメラマンを経て
2005年よりフリーランス
政治・経済、自然科学、紀行を中心に撮影を行う