飾らず真っすぐに駆け抜けた、阪神タイガース・新井良太選手のプロ12年間
10月11日の午後、西宮市にある阪神タイガースの球団事務所で、新井良太選手(34)の引退会見が行われました。
前日の10日、各スポーツ紙の1面に踊っていた『新井良太、引退!』の文字と、そこから拡がっていくニュースなどで驚かれた方は多いでしょう。私も同じです。この日はチームの今季最終戦で、既に引退を表明している安藤優也投手(39)の引退試合でもありました。それが新井選手のラストゲームになるとは…。その時点で正式発表はまだなかったものの、試合前から新井選手の動きが“それらしかった”と聞き、私もそのつもりでテレビを見ました。
場内を一周する際、安藤投手に促されて歩き出した2人。安藤投手が先に、そのあと新井選手も続いて金網越しの握手会が始まったんですよね。まさか全部?と思ったら、三塁側も全部でした。手が届かない外野では何度もお辞儀をして。2人の感謝の思いは、テレビ画面からもひしひしと伝わってきます。別れることは辛くて寂しいものですが、とても心に残るセレモニーでした。なんといっても安藤投手が、挨拶の中で「1軍を目指して鳴尾浜で頑張っている選手たち」と言ってくれたこと、私は絶対に忘れません。
そして、今季はその鳴尾浜で過ごすことが多かった新井良太選手。真っ黒に日焼けした顔は、甲子園の明るい照明の中で、何度も何度も歪みました。涙をこらえて。でも最後まで見せてくれたフルスイングは、同じようにスタンドで「片時も見逃すまい」と涙をこらえていたファンの方々の目に、胸に、しっかりと残ったはずです。お疲れ様でした。本当にありがとうございました。
では11日に行われた新井良太選手の引退会見の、コメント全文をご紹介します。
泣くのを我慢するのに必死だったラストゲーム
「私、新井良太は今シーズンをもちまして引退させていただきます」という挨拶で、会見が始まりました。
まず、2打席に立ち守備もこなした10日の最終戦について。「正直、安藤さんの引退試合ということでしたので、僕は目立たないようにと言いますか、こっそりやろうと思っていたんですけど。ほんと皆さんがああいうふうに送り出してくれて。本当にもう感謝しかないです」。“こっそり”、と思っていたんですね。それは無理でしょう。
安藤投手と2人で場内一周も。「申し訳ない気持ちと、あとは、何ていうんですかね。ファンの方にありがとうと感謝の気持ちを示せて本当によかったです」。プレー中は?「先ほども言いましたが、安藤さんの引退試合っていうのがあって、と思っていたんですけど…泣くのを我慢するのに必死でした」
打席でも少しウルっと来ていたのでは?「そうですね。いろんなことがね、思いが走馬灯のように頭の中を駆けめぐっていたので。ほんと、泣くのを我慢するのに必死でした」。今も?「今はもう、すごくスッキリしています!」
安藤投手が投げている時に、いい守備もありました。「安藤さんには公私ともお世話になっていまして。ボールが飛んできて、たまたまですけど処理できたのが、運命とは言わないですけど、すごい巡り合わせだなと思いましたね」。打撃の結果は?「真っすぐを投げてくれたんですけど、打てなかったんで。まあ、だからダメなんじゃないですか?はい(笑)。なんとかホームランを打ちたいと思ったんですけど、ダメでした」
安藤投手に続いて行われた胴上げには「福留さん、鳥谷さんが言ってくださって、ああいう形になったらしいんですけど。ほんと先輩、後輩に感謝しかないです」と新井選手。スタンドから、特に女性の悲鳴に近い声が。「ファンの方あってのプロ野球だと、自分はずっと思って今までやってきましたし、改めて野球をやらせてもらったっていう感謝しかないですね」
“数字”のケジメをつけないといけない
12年間のプロ野球人生を振り返って「一年、一年が勝負っていうのは、この世界はもちろんそうなんですけど、ことしは本当に一番強い覚悟を決めて臨んだシーズンでしたので。そういう…腹をくくって臨んだシーズンだった」と表現しています。腹をくくった今季、どんなシーズンに?「いい意味で、いろんなことを考えさせられましたし、経験できたシーズンでした」
まだできるのでは…。「やっぱり数字のね、ケジメを取らないといけないのかなっていう気持ちでしたね」。それは1軍で活躍すること?「そうですね。プロ野球選手ってのは、やっぱり1軍の舞台にいて、それで結果を出してなんぼだと思います」
金本知憲監督、また家族や兄・新井貴浩選手には?「一番最初に、こういう相談をしたのは兄で。7月のオールスター明けくらいから考えて、兄とは相談していました。兄は本当に『お前が決めたらいい。やる、やらん、どちらにしてもお前が決めたらいい』というふうに、親身になってアドバイスをくれました。両親はもうちょっとやってほしそうでしたけど。それも兄が『お前の人生だから。お前が決めたらいい』と言ってくれました」
お兄さんはどんな存在?「自分の一番の味方であり、兄の一番の味方は自分だと思っています」。ともに阪神でプレーしたことは、ファンの記憶に残っています。仲のいい2人の姿も。
阪神での活躍のきっかけを聞かれ「2011年の秋のキャンプで、片岡さん(1軍打撃コーチ)につきっきりで指導していただいて、2012年にちょっと試合に出してもらったので、ほんと片岡さんに感謝しています」と答えました。まさに、つきっきりで。「はい。これでダメだったら、もういいって思えるくらい教えていただきましたし、この人の言うことについていこうと思える方でしたので。片岡さんと出会えたことに、すごく感謝しています」
ここで「ちょっと待ってください!」と新井選手が質疑応答を止めたので、何かあったのかと驚いていたら「パシャパシャするので目が乾いて(笑)。泣いてもいないのに」と、カメラのフラッシュが多くて目が乾き、瞬きをしすぎたようです。以降は少しパシャパシャが減ったようで、カメラマンの皆さんが気遣ってくださったのかもしれませんね。
選手冥利に尽きる大声援
インタビュー再開。片岡さんが昨年から再び1軍コーチとなり、同じ甲子園にいて、そこでユニホームを脱ぐことになったのも縁でしょうか。「去年、ことしと思うように結果を出せなくて申し訳ないというか。もっと自分が打って恩返ししたかったですけどね」。金本監督はどんな反応?「『おお、そうか。わかった』みたいな感じでした」。ビックリしていた?「いや。でも、わかっていたんじゃないですかね。たくさん言葉はなかったけど、雰囲気で感じてくれたかと」
阪神での7年間、プレーで印象に残っていることは?「サヨナラヒット、サヨナラホームランとかもすごく印象的ですし、兄と一緒のアベックホームランも印象的なんですけど、やっぱり…きのうの試合が一番です」。ファンの声援もすごかったですね。「あれだけ大声で『良太、良太』と言ってくださってね。本当にもう選手冥利に尽きます」。温かさも感じた?「温かさ、しか感じなかったですね、はい(笑)」
阪神で過ごしたプロ野球生活を振り返ると?「まあ、そうですねえ。つらいこと、苦しいことがほとんどでしたけど、やっぱり甲子園でプレーできること。タイガースファンの方の大歓声の中でプレーできる、お立ち台に立てるってこと。そのことを励みに頑張ってこれたし、それがあったから頑張れましたね。監督、コーチ、裏方さん、チームスタッフの皆さん、そして先輩、可愛い後輩たち。みんなに、ほんとよくしてもらって。こんなによくしてもらっていいのかなってぐらい、お世話になった7年間でした」
下手くそで不器用で、でも声と元気は
最終戦のグラウンドでみんなと話はした?「守備につく前にね、鳥谷さんが『キャッチボールしようぜ』って言ってくれて。鳥谷さんから言ってくれてね。ほんと一番お世話になった方なんで。あと後輩は、なんか僕が涙をこらえているのを気まずそうに見ていましたね(笑)。話しかけていいのかどうかって」
新井選手と言えば、常に声を出して、チームに元気を与えてくれた印象です。「まあ下手くそで不器用でね、ほんとそれしかなくて。それだけでやってきたんでね。そのプレースタイルは最後まで貫けたんじゃないかなと思います」。片岡コーチも“良太の声が戦力”と。「声とか気持ちとかで結果が出るほど、プロ野球の世界って甘くないのはわかっていますけど、それがないと戦うことができないと自分は思っているので。最後までやりきれましたね」
一夜明けて、プロ野球生活を振り返る時間はあった?「いや本当にスッキリしています。おかげさまで。最高の思い出になりましたし、スッキリしています」。今後は?「ほんと、まだ何も決まっていないんで。ちょっとゆっくり考えたいと思います」。野球から離れるのはさびしい?「そりゃやっぱり、寂しさはありますね」
最後にファンの皆さんへ。
「12年間、中日ドラゴンズは5年間、阪神タイガースは7年間、こんな僕をたくさん応援していただいて、励ましていただいて、本当にありがとうございました!最高の12年間を、皆様のおかげで送ることができました。感謝しています。ありがとうございました」
「やめよう」「まだやれる」を繰り返した日々
テレビの会見が終わったところで球団から花束を渡され、続いて記者陣による囲み取材です。
最初に、お兄さんはどんな様子だったかと聞かれ「いやもう、なんかこう穏やかな感じでしたね。きのうも見に来てくれて。終わってすぐ電話でしゃべったんですけど、『最高によかった。見ていて感動した』って。僕が、ありがとうって言ったら『お疲れ様』というふうに」という答え。
会見でも話していた、こみ上げた思いとは?「さっきも言いましたけど、野球をやらせてもらっている、おかげさまっていう、ありがたいなという思いから、ちょっとこう感極まったというか」。感謝?「その思いだけですね。あんなに声援をね。ありがたい、感謝の気持ちだけですね」
自身は“4番目”と言っていたけれど、4番を打った経験も。「やっぱりチャンスはそんなに多くないし。まあでもその中で自分はたくさんチャンスをね、最初はチャンスをつかんだというか、もらえるように結果が出て、そこから奪い取る、つかみ取るっていうとこまではいけなかった。それはやっぱり自分の技術不足というか、それしかないから。でも本当にたくさんチャンスは、人よりもらった。結果を出せなかったのは自分の未熟さじゃないかなと思いますね」
決断するまでに、まだできる、やりたいという気持ちはあった?「それはね、ありました。毎日ね、ファームで試合が終わったら『やめようかな』。でも打ったら『まだいけるんちゃうかな』っていう、ずっとその繰り返しの毎日だった」。そこで決断に至った要因は?「最後はもう自分でね。要因は…もう決めたって感じ。最後は自分の気持ちだけですね」。なお片岡コーチからは「ほんと、よく頑張ったと。きのう試合が終わって『いい最後の姿を見させてもらった』と言ってもらった」そうです。
ここで、最終戦の大きなファウルについて聞かれた新井選手は「ファウルだからね」と一笑。ちょっと色気も出たとかは?「いやいや。最後は(中日の)福谷くんも小川くんも、真っすぐを投げてくれるとわかっていて、それをああやってファウルしちゃうし、ミスショットするんだから。そういうことじゃないですか。はい」
最後の質問は、中日での5年間の思い出でした。「ドラゴンズの時もたくさん応援してもらったんですけど、ほぼ1軍におれず2軍の5年間だったので、こんなに応援してもらったのに申し訳ないという気持ちが強いですね。最後に回った時、僕の看板みたいなの(応援ボード)を持って、みんな手を振ってくれてたんですよ」。それは中日ファン?「はい、中日ファンです。レフトの上の。だから、ほんと感謝しています」
良太選手の魅力は練習の姿
鳴尾浜でよく新井選手をごらんになっている、とある女性ファンの方に“新井良太という人の魅力”は何かと尋ねたところ、こんな回答をいただきました。
「やはりフルスイングでバットを約2、3メートル先に飛ばす姿…と言いたいですが、真面目から笑顔まで多くの表情で、まっすぐ練習してる姿です。追い込むように必死に、ティー打撃でひたすら振り抜くところ。ティー打撃の時のボールを見る目の力強さ。練習の姿が一番、焼きついています。また、喜怒哀楽の表現はタイガースで一番豊か」
わかります!いい言葉ですね。まっすぐ練習している姿って。“まっすぐ”が一番似合いますよねえ。そして、私も練習中の新井選手が、なぜかすごく印象に残っています。ベンチで練習を見られる遠征先でのことですが、選手は守備から打撃へ、また走塁へという練習メニューの合間にベンチへ戻って、水分を摂ったり着替えたり。そこで新聞記者と短く会話することもあるんですが、新井選手はその時間も“全力”な感じがしました。キビキビ動いて(もちろん他の選手も同じですが)、休息も真剣に取っているという感じで。
夏場は少し走っただけでも汗だくになり、新井選手はその都度ヘルメットや帽子を水で手洗いします。打撃練習が終わって洗い、走塁をしてまた洗う。何年か前、練習後に「帽子も水で洗っちゃうんですね!」と驚いて聞いたら「汗をいっぱいかきますからね」と爽やかな笑顔で答えてくれたことがありました。でも今季は、そんなことを聞けないような、どこか緊迫した雰囲気が新井選手を覆っていた…と、今そう思います。けっして無愛想だったわけではないのに。
前述のファンの方が「来年からいないと思うと寂しい…」と言われ、ああヘルメットに洗っているところも見られないんだなと、改めて思いました。自分が活躍しても、必ず「僕はいいから若い子に聞いてあげて」と笑うところ。野球教室で熱く真剣に指導する姿。もう見られないんですね。
若い子たちの道しるべ
最後に、フェニックス・リーグで宮崎滞在中の筒井壮ファーム守備走塁コーチに聞いてみました。ことし筒井コーチは外野守備走塁担当だったので、新井選手と直接的な関わりはありませんが「ファームのコーチとして、良太にはすごく感謝している」と言います。今回の引退表明は「突然のことで驚いています。よっぽど悩み抜いた決断だったでしょうね。記事を見ましたけど、結果が出ないからと。男らしいですね。潔い」と。
鳴尾浜で一番大きな声の主は筒井コーチで、それに勝るとも劣らないのが新井選手でしょう。グラウンドで、ベンチで、練習中も試合中も、うんと年下の選手より元気な声が出ています。筒井コーチいわく「誰よりも早く来て準備をして、練習に取り組んでいた。表現すると“元気ある好青年”ですかね。まあ1軍にいた選手だから、見られていることや視線を意識した動きができますよね。今成も」。それはプロとして大事なポイントです。
「1軍でクリーンアップも打った選手にしては珍しく、ムードメーカーでしたね。盛り上げるのが上手。コーチとしてはありがたい選手ですよ。良太がファームにいる時は、本当に助けられました。元気あるし、よくやってくれた。ここまでの実績や年令に関係なく、いつも積極的にやってくれる。1軍の選手だからということもなく、協調性を持ってチームを引っ張ってくれる。若い子たちの“道しるべ”ですね。先輩がどういう取り組みを見せていくかって、本当に大事。良太がみんなに感謝と言っていましたけど、僕の方こそ感謝しています」
これはもう最大限の賛辞と言えますね。新井選手が残してくれた指標を、次の世代がしっかりとつないでいかなくてはなりません。ただ、そんなムードメーカーが去った寂しさも…と言いかけたら、筒井コーチはこう続けました。
「終わりがあれば、始まりもある。若い選手にとってはチャンスなんですよ。そこを誰が獲りにいくか。チャンスをつかめるよう、我々もしっかり協力していきます」。みんなが1軍で活躍する姿を、きっと新井良太さんは誰よりも喜んでくれるでしょう。
<掲載写真は筆者撮影>