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樋口尚文の千夜千本 第103夜「シェイプ・オブ・ウォーター」(ギレルモ・デル・トロ監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(写真:Splash/アフロ)

半魚人が表通りに出て来た日

ギレルモ・デル・トロは誰もが知っている通り、円谷英二と本多猪四郎に敬虔なる尊敬と愛情を捧げ、ニッポンの怪獣たちが大好きである。来日してインタビューに答えている時にサプライズでピグモンが出現した時の大喜びぶりはホンマモンであった。だから、異形の者と純真な女性との奇跡的な愛情を描く作品と聞いた時も、『美女と野獣』というよりは『ガス人間第一号』みたいな映画なのかな、と思ったのだが、はたしてそういう感じの作品であった。

この作品はヴェネツィア映画祭の金獅子賞を獲ったというが、いちおう冷戦時代を背景にしていることもあって、審査員は何かこれを大仰な寓話と好意的に誤解したかもしれない。でもこれは純正の怪獣映画の佳作であって、そのことが何より映画史的に意義深いことだろう。私は『七人の侍』とともに『ゴジラ』があの年のヴェネツィア映画祭で受賞しても何らおかしくなかったと思うし、まさにモダン特撮とハリウッド的なハードボイルド・タッチ、そして幽玄なオリエンタリズムのアマルガムであった『ガス人間第一号』などはベルリン映画祭などで受賞したって全く不思議ではないクオリティであった。ただ、それらの作品は自らをキワモノ的な見世物映画としてつつましく自己限定する謙譲の美徳に貫かれていた。

そういうSF映画や怪獣映画のジャンルの自己限定をぶち壊して、「一般の映画」の側へと解放したのは、しかし特撮方面の作家ではなく、アート作品を手がける作家的な監督たちであって、それこそSF映画はゴダール『アルファヴィル』やタルコフスキー『惑星ソラリス』『ストーカー』がその嚆矢であるが、怪獣映画について言えばアンジェイ・ズラウスキー『ポゼッション』と大島渚『マックス、モン・アムール』はその代表例だろう。しかもともに、異形の者と人間の女性の交歓を描いていて、ズラウスキーはエイリアン的な怪物とイザベル・アジャーニを、大島渚はリック・ベイカーが手がけた猿とシャーロット・ランプリングを同衾させ、カンヌで話題を呼んだ。

逆に商業的な娯楽作から発してアート作品の側へと怪獣映画を越境させたのはデヴィッド・クローネンバーグで、『ハエ男の恐怖』のリメイクで『ザ・フライ』(これもまた異形の者と女性の愛の映画)を撮ったことなど『大アマゾンの半魚人』にインスパイアされて『シェイプ・オブ・ウォーター』を撮ったギレルモ・デル・トロによく似ているが、クローネンバーグもそういったタイプの作品歴を重ねながら全米批評家協会やカンヌでの受賞を実現していった。このたびの『シェイプ・オブ・ウォーター』の映画祭での快進撃は、こういった先人たちの「越境」の試みが積み重なっていった結果のたまものだろう(わが国における画期的な「越境」の嚆矢は1995年の金子修介監督『ガメラ大怪獣空中決戦』で、この作品は怪獣映画としては初めてキネマ旬報ベスト・テンに入り、映画芸術ベストテンでは首位を獲得して話題を呼んだ)。

さて、試写で『シェイプ・オブ・ウォーター』を観た時は、何よりもまずその「悪びれずに怪獣映画」である正々堂々感に驚いた。これはキワモノでも添え物でもなく、広い観客層に向けられた映画でありながら、真っ向からフツーに怪獣映画であった。1962年という設定も巧みだった。キューバ危機で核戦争の危機に世界が震撼した時代ゆえ現在にも通ずるアクチュアルさを含みながら、戦前からのクラシックな意匠も残っている。いま現在に人魚が登場したらロン・ハワード『スプラッシュ』みたいなスラップスティックにならざるを得ないが、本作の半魚人は冷たい研究所を抜け出して滅びゆくクラシックな映画館の屋根裏部屋に『オペラの怪人』みたいに隠棲することになる。お話としては半魚人は軍の施設で研究され、主人公の女性も発話障害の清掃員…という、『美女と野獣』のおとぎ話にならないリアリズムを施されつつも(この女性があられもなく自らを慰める部分もその等身大性の表現ということなのだろう)、この愛のポエムの背景となる世界は些かレトロなものであって、このあんばいがとてもいい。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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