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「サタデー・ナイト・フィーバー」「フラッシュダンス」。ダンス映画が革命を起こしたあの時代

斉藤博昭映画ジャーナリスト

ディスコでフィーバー

そんなフレーズが世の中を駆け巡ったのは、今から44年前、1978年のことだった。

その前年の1977年12月、アメリカで公開された『サタデー・ナイト・フィーバー』は、音楽とダンスがかつてないスタイルで映画と合体。数年前にアメリカで起こっていたディスコ・ブームを再燃させた。この1977年は『スター・ウォーズ』の第1作が公開された年でもあった。同作も日本では翌年の1978年7月1日に満を持して公開。そして『サタデー・ナイト・フィーバー』が7月22日公開で、今から考えるとこの夏休み興行のスゴさは歴史に残るものだった。

『サタデー・ナイト・フィーバー』が世界に衝撃を与えたのは、これまで観たことのなかった種類の映画だったから。しかも「ダンス映画」という、過去に例のないジャンルを開発したから。もちろん、それまでもダンスの魅力で引き込むミュージカル映画は『ウエスト・サイド物語』など数多く存在した。しかし『サタデー・ナイト・フィーバー』は、主人公たちが「日常を逸脱して歌って踊る」ミュージカルのスタイルではなく、バックに流れるディスコミュージックに合わせて踊るという、物語上、リアルな設定で、しかも当時としては斬新でクールを極める振付が繰り出された。まさに「ダンス映画」だったのである。

天井でミラーボールが回転し、さまざまな色でフロアがライトアップされる。めくるめくイルミネーションの世界に、主演のジョン・トラヴォルタが真っ白なスーツで右手を上げたポーズ。そして、あの小刻みな腰の動き……。多くの人がマネをして、さまざまなオマージュ、パロディを発生させた。

2018年、『サタデー・ナイト・フィーバー』に登場したピザ店の前でポーズを決めるジョン・トラヴォルタ。
2018年、『サタデー・ナイト・フィーバー』に登場したピザ店の前でポーズを決めるジョン・トラヴォルタ。写真:ロイター/アフロ

この2年前、「S・A・T・U・R……」というキャッチーな歌詞で、ベイ・シティ・ローラーズの「サタデー・ナイト」が日本でも大ヒットしていたことで、そこに「フィーバー」と加わり、タイトルだけで好奇心がソソられた。ピカピカに磨いた靴を履き、ペンキの缶を手に下げたジョン・トラヴォルタが、ビージーズの「ステイン・アライブ」に乗って歩いていく。ただそれだけの予告編が当時のアメリカでも「何か新しい映画がやってくる」と話題になった。「恋のナイト・フィーバー」、クラシック名曲のディスコバージョンなども含めた映画のサントラは、こちらも革新的で世界で4000万枚を売上。これはマイケル・ジャクソンの「スリラー」に抜かれるまでアルバムの世界記録だった。この人気にあやかって『イッツ・フライデー』(土曜の次は金曜日!?)などディスコ映画も作られた。東京の六本木では次々とディスコがオープン……と、映画がカルチャーを作るという現象を、『サタデー・ナイト・フィーバー』は証明したのである。

時代の象徴的スターに押し上げられたジョン・トラヴォルタは、本作でアカデミー賞主演男優賞ノミネート。『サタデー・ナイト・フィーバー』はダンスだけではなく、主人公トニー・マネロのホロ苦い青春ストーリーとして、いま観ても色褪せない魅力をキープしている。

『フラッシュダンス』で主人公アレックスがナイトクラブで踊るシーン。当時はかなり挑発的だと話題に。
『フラッシュダンス』で主人公アレックスがナイトクラブで踊るシーン。当時はかなり挑発的だと話題に。

その後、『フェーム』などダンスの魅力を伝える傑作が増えていくが、ダンス映画というジャンルがさらに大きなムーヴメントを起こすのは、5年後のことになる。1983年の『フラッシュダンス』だ。アメリカでは同年の4月、日本は7月公開。日本でも『E.T.』、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』に次いで、この年の洋画で3位という大ヒットを記録した。『サタデー・ナイト・フィーバー』と同様に、「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」(アカデミー賞主題歌賞受賞)「Maniac」などサントラが大評判になったが、『サタデー〜』からの変化は、当時、大流行していたMTV(ミュージック・クリップ)のスタイルを踏襲したこと。各ナンバーの流れるシーンが、その曲のPVのように演出され、そこだけでカッコよかったのである。

昼間は製鉄所に勤務し、夜はナイトクラブのダンサーとして働く主人公のアレックス。そのナイトクラブでのパフォーマンスをシルエットで見せるナンバー、そしてクライマックスでのアレックスのオーディションなどは、こちらも当時、日本のバラエティ番組などでも多くのパロディや引用がなされた。社会現象的なブームと言っていい。

そして何より、破れたTシャツや首元を広げたトレーナー、レッグウォーマーという当時の“ダンスファッション”の流行を大きくフィーチャーしたことで『フラッシュダンス』も、カルチャーを作った一本と言っていい。アレックスが交通整理をする警官とともに披露するブレイクダンスも、本作によって一般的に広く知れわたった。

『フラッシュダンス』は日本でもダンスブームに火をつけ、ソニーがCMを兼ねて製作したこちらのクリップなども、同作の流れに乗ったものである(無名時代のパトリック・デンプシーの貴重な姿も!)

『フラッシュダンス』は主演のジェニファー・ビールスも人気スターにしたが、ダンスシーンの多くはマリン・ジャハンら別のダンサーが“吹替”していたり(ジャハンはその後『ストリート・オブ・ファイヤー』で顔出しで踊った)、ストーリー的には甘い部分も多いのだが、鮮烈さという点では時代を象徴する作品となった。

『フラッシュダンス』を低予算で成功させたプロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーは、その後、同じくMTV的なスタイルを意識した『ビバリーヒルズ・コップ』『トップガン』を世に送り出し、『アルマゲドン』『パイレーツ・オブ・カリビアン』などのヒットメーカーとなる。また、ダンス映画という点では『フラッシュダンス』の後に『フットルース』もヒットし、『サタデー・ナイト・フィーバー』から一大ジャンルが完成した感もある。

公開当時、大ヒットしても長い年月とともに魅力が失われてしまう映画もある。一方で、人々の意識や流行が変わったとしても、その時代を表現し、未来で愛され続ける映画も存在する。『サタデー・ナイト・フィーバー』と『フラッシュダンス』は明らかに後者の作品として、これからも新たな世代に受け継がれていくことだろう。

2022年3月、インディペンデント・スピリット・アワードにウクライナカラーの服で参加したジェニファー・ビールス。
2022年3月、インディペンデント・スピリット・アワードにウクライナカラーの服で参加したジェニファー・ビールス。写真:REX/アフロ

『サタデー・ナイト・フィーバー』(ディレクターズカット 4Kデジタルリマスター版)

4月8日(金)より、新宿ピカデリー他、全国ロードショー

(c) 2022 PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.

『フラッシュダンス』(4Kデジタルリマスター版)

4月15日(金)より、新宿ピカデリー他、全国ロードショー

(c) 2022 PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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