平安京さんぽシリーズ⑤ 新旧の多彩な魅力「三条通」を歩く(前編)
三条通は平安京の三条大路にあたり、平安時代は、東三条殿や朱雀院といった貴族の邸宅が並び、二条通とともに東西の主軸をなした。
現在、最大をとると、山科の四ノ宮から嵐山の渡月橋北側まで、東西に延びた約15キロの道となる。今回は東海道の起点となる三条大橋から、西の嵐山へと続く道を歩きながら見所を紹介したい。
まずは三条大橋から西へ。三条大橋は、創建年代ははっきりしないものの、室町時代にはかかっていたとされる。現在の規模になったのは豊臣秀吉の時代で、五奉行の一人である増田長盛によって造営され、当時の擬宝珠も残っている。
幕末には西側で「池田屋事変」があり、西から2つめの南北の擬宝珠には、その時できたと伝わる刀傷が残されている。近年、橋の西側には弥次さん喜多さんの像、東側には駅伝発祥の石碑も建てられた。
河原町通を横切ると、アーケードのある三条名店街商店街へ。すぐ北側には「三條本家みすや針」がある。江戸初期の創業で、宮中に納めるようになり、後西天皇から「みすや」の名を賜った。江戸後期には、上質でかさばらない針は京土産として絶大な人気を博していたそうだ。
寺町通まで来ると、北東の角に小さいながら活気ある矢田寺がある。本尊の地蔵菩薩は開山の満慶上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊を再現したものとして俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として信仰を集めている。また、本堂前の梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として使われてきた。12月23日に行われるかぼちゃ供養では、かぼちゃの振る舞いもあって多くの参拝者が集う。
寺町通を過ぎると景色は一変し、近代建築が並ぶ日本でも有数のエリアとなる。順に挙げてみると、1928ビル(毎日新聞の京都支局・昭和3年築)、旧家邊徳時計店(明治23年築、三条通最古)、SCARAビル(旧不動貯金銀行京都支店・大正5年築)、日本生命京都支店(大正4年築)、分銅屋(江戸末期築)、京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店・明治39年築)、中京郵便局(明治35年築、日本初のファザード建築)など、烏丸通までに次々と文化財指定された建造物が現れる。
昭和初期にメインストリートが四条通に移るまでは、三条通が最も賑わっていたことから、これほどの密度で貴重な近代建築群が残った。メインストリートがそのまま三条通だったとしたら、この光景はなかったはずで、まさに歴史の偶然が生み出した産物といえる。
烏丸通を越えると、祇園祭の山鉾町となり、商売関係のエリアがしばらく続く。いよいよ祇園祭の宵山も近づいてきた。次回は今月活気づく三条通の山鉾町エリアから始めたい。