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【戦国こぼれ話】桶狭間の戦いで今川義元の首を取った毛利良勝は、どんな人物だったのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
桶狭間古戦場(豊明市)。毛利良勝は今川義元の首を取る大手柄を立てた。(写真:KEI108/イメージマート)

 フジテレビの特別企画ドラマ「桶狭間~織田信長 覇王の誕生~」が3月26日に放映される。出演する竹中直人さんは、市川海老蔵さん演じる織田信長が楽しみだという。ところで、桶狭間の戦いで今川義元の首を取ったのは、毛利良勝である。いったい、どんな人物だったのだろうか。

■毛利良勝とは何者か

 永禄3年(1560)5月19日、雨が降りしきる桶狭間(愛知県名古屋市緑区と愛知県豊明市にまたがる地域)において、駿河の大名・今川義元が織田軍に討ち取られた。今川氏は数万の大軍勢を率いて尾張に迫っており、少勢の織田信長率いる軍勢は圧倒的に不利であると予想された。しかし、信長は巧みな戦術により、義元の討伐に成功したのだ。

 桶狭間の戦いで義元が討たれたのは、誰もが知っている。ところが、その首を取った毛利良勝については、ほとんど知られていないのではないだろうか。良勝とは、いかなる人物なのか考えてみよう。

 義勝の生年は不詳。新介、新助ともいう。のちに新左衛門といった。出身地は尾張国であると考えられているが、その辺りも不明な点が多い。いつの頃からか信長に仕え、馬廻衆の1人に加えられた。馬廻衆とは主君の馬の周囲で警護を担当する職で、親衛隊と言い換えてもよいだろう。良勝は剣の腕が立つ武将として、信長から評価されていたと推測される。

■今川義元の首を取る

 その良勝の名が一気に知られるようになったのは、先述した桶狭間の戦いだ。以下、織田信長の一代記『信長公記』の記述により、良勝が義元の首を取った場面を記しておこう。

 織田軍の急襲を受けた義元は、塗輿に乗って逃げようとした。当初、義元の周囲は300余の兵が守っていたが、だんだん減ってついに50余人になってしまった。その間、織田軍と今川軍は激しい戦闘をしていた。

 逃げる義元に追いついたのは、良勝と同じ馬廻衆の服部一忠だった。一忠は義元に斬りかかったが、逆に膝を斬られてしまい、無念にも取り逃がしてしまった。ただし、一忠は義元に一番槍を付けたのだから、これは大きな戦功だったといえよう。

 そこに姿をあらわしたのが良勝だ。良勝は義元を組み伏すと、見事にその首を取ったのである。義元の首は清須(愛知県清須市)で首実検が行われ、信長は大満足だったと伝わっている。その後、義元の首は、丁重にも駿河に送り返された。義元が所持していた名刀「左文字」は、信長の手に渡ったのである。

■戦後、大出世した良勝

 桶狭間の戦い後、良勝は信長の黒母衣衆に加えられた。そもそも母衣とは、矢などから身を守るため、甲冑に巾広の絹布を付けたものだ。絹布が風で靡くことで、矢の威力を弱めたのである。やがて、母衣は黒、赤、黄に染められ、主君の親衛隊を意味するようになった。良勝は黒母衣衆になったのだから、それまでの軍功が大いに認められたということになろう。

 その後の良勝は信長に近侍して、吏僚的な役割を果たしたといわれている。良勝は、天正10年(1582)3月の武田氏討伐にも出陣した。つまり、この頃の良勝は戦いだけではなく、官僚的な役割も果たしていたのである。信長の側近として、良勝が重用されたのは明らかである。

■無念!良勝の最期

 このように戦場で大活躍した良勝であったが、ついに最期が訪れた。

 天正10年(1582)6月2日未明、明智光秀が本能寺に滞在中の信長を襲撃し、見事に討ち取った。光秀は信長を殺害したことだけに満足せず、子で嫡男の信忠を討ち取ろうとした。当時、信忠は妙覚寺に滞在中だったが、信長横死の情報を得ると、ただちに二条新御所に移動した。ここで、光秀を迎え撃とうと決心したのである。

 信忠には多くの将兵が従っており、良勝の姿もあった。しかし、しょせんは多勢に無勢である。明智軍の大勢の将兵を前にして、信忠軍は圧倒的に不利だった。やがて、二条新御所は攻略され、無念にも信忠は切腹。『信長公記』の「御討死の衆」を見ると、「毛利新介(良勝)」の名前を確認できる。とはいえ、単に名前が挙がっているだけで、その最期についてはわからない。

 残念なことに、良勝の家族については不明であり、子孫がどうなったのかわからない。ただ、良勝は義元の首を取ったことで、歴史に名を刻んだのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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