きわめて稀な障がいのあるわたし。障がい者=不幸というネガティブなイメージを乗り越えるために
イギリスのエラ・グレンディニング監督によるドキュメンタリー映画「わたしの物語」は、タイトル通りに、彼女自身についての物語だ。
股関節がなく、大腿骨が短いというきわめて稀な障がいが生まれつきある彼女は、障がい者差別が未だに根強く残るこの社会を前にして、こう思い立つ。「自分と同じ障がいのある人と直接会って話してみたい」と。
「わたしと同じような脚の人は果たしているのか?」「いたとして実際に会ってもらえるかしら?」と少し不安に思いながらも彼女は、SNSで同じ障がいのある人を探すことに。
こうして始まり、コロナ禍や自身の出産という中断を挟みながらも、自分自身と自分の障がいと向き合い続けた4年間が記録されている。
確かに収められているのは、障がい者としての彼女のひじょうにパーソナルな部分に触れることだ。
ただ、プライベートな物語ではあるけれども、ここで語られることはどこかわたしたちの人生や生活の営み、いまの社会にもつながっている。
ひとつの旅路といっていい彼女の日々の記録は、どこか画一的に語られがちで枠に収まってしまっているような「障がい」について、新たな面を見せてくれるとともに、障がいがあろうとなかろうと関係のなく直面する「この社会の中でどう生きればいいのか?」「自分らしく生きることとはどういうことなのか?」といったテーマへと結びついていく。
「障がい者」を「障がい者」としてしまうのは、果たして「障がい」なのだろうか?
この社会は、大切な何かを見過ごしてはいまいか?
ふと、そんなことを考えてしまう、気づきの多い作品になっている。
自身と同じ障がいのある人々と出会い、何を考え、作品を通して、何を伝えたかったのか?
エラ・グレンディニング監督に訊く。全五回/第四回
アーカイブ映像で印象に残ったケヴィンとの出会い
前回(第三回はこちら)、自身の幼いころの主治医であったタッカー医師の障がいに対する考えや姿勢に共鳴するところがあったことを語ってくれたエラ・グレンディニング監督。
作品においてはもうひとり、監督が深く共感を寄せる人物がいる。同じイギリスで暮らすケヴィン・ドネロンだ。
当時、つわりに苦しむ妊婦に広く処方されていたサリドマイド製薬を妊娠中に母が投与されたことから彼は障がいをもって生まれた。
本作「わたしの物語」においては、ケヴィンが幼いころ、学校をはじめをとした生活の場や当時の医師の考えなどを記録したアーカイブ映像を使用。
この映像では「かわいそうな存在」として描かれているところがある。
でも、実際のケヴィン本人は明るく前向きな性格で「当時は超音波検査なんてなかったから、私が生まれたことは皆にとってショックだった。母は最初の2日間、私の顔を見ることもできず、病院に置いていくよう勧められた。結局、母は私を家に連れて帰り、私は幸せで守られた子供時代を過ごした。障がいの有無が、問題になることはなかった。友達もたくさんいたし、みんなでゲームをして遊んだが、私の人生で大きく異なったのは、ジャーナリストがいつも家に電話をかけてきたことだ!子供の頃、母にいつになったら手足が生えるのかと尋ねたことを覚えている」と今回コメントを寄せている。
現在、彼は妻や子どもに恵まれ、その現在の姿も映し出される。
「ケヴィンについての質問は大変うれしいです。というのも、わたしは彼の大ファンなんです。
彼の存在を知ったのは、本作で使用されているアーカイブ映像を見てのことでした。
障がい者についての作品のプロジェクトを始動するにあたり、いろいろなリサーチを始めました。
その中で、障がい者についての映像もリサーチをすることにして。『こういった障がいについての映像はないか』といったいくつかの条件を提示して、リサーチャーの方に符号する映像を見つけてくれるようお願いしたんです。
その中には、たとえば障がいについて科学の点から考察した、サイレンス・フィクション的なものや、障がい者の歴史に関する映像もありました。
ほんとうにいろいろな映像があって、BBCのドキュメンタリーにもかなり目を通しました。
その中に、あのケヴィンが出てくる映像があって。わたしは彼の物語にすごく心を惹かれました。
劇中でも使ったのですが、ケヴィンは当時、もうほんとうにかわいい男の子で。障がいはあるけれども、ほかの子たちと変わらず元気いっぱいで毎日を過ごしている。
でも、一方で彼の母親は悲嘆に暮れていて……。彼には何も期待していない。このままだと結婚もできないだろうし、子どもをもつことも難しいだろうと嘆いていた。
ものすごく悲しい映像で……。わたしはお母さんの気持ちがわからないわけではないけれども、ちょっと憤りも覚えたんですね。『不幸かどうかを勝手に決めるのはどうか?』と。
それでケヴィンにすごく興味をもって、まずフェイスブックで探してみたんです。するとすぐに見つかって。そこには少年から立派な大人になったケヴィンの姿と彼の家族の写真が掲載されていました。すごく幸せそうなその写真を見て、彼にメッセージを送ったんです。こういった経緯であなたのことを知って、調べてたどりついたといったことを。
そうしたら彼から返事がきて、あのようにオンラインでいろいろと話す機会を持つことができました。
彼との関係はいまも続いていて、連絡をとりあってたまにいろいろと話しています」
障がい者=不幸というネガティブなイメージについて
さきほど触れたように、ケヴィンの母は、当時、彼の障がいをかなりネガティブにとらえている。それに対して、現在のケヴィンは「すごく自分の障がいが母親に悲劇的にとらえられていることが嫌だった」と明かしている。
このことは、どう感じただろうか?
「そうですね。さきほど、ケヴィンの母親がかなり悲嘆していることに、『少し憤りを感じたところがあった』と言いましたけど……。ただ、一方的にお母さんを責められないとは思うんです。
ケヴィンは1960年代に生まれて、1970年代に幼少期から青年期を過ごしています。当時は、世界としても、社会としても、障がい者に対して、そういうイメージがあったと思います。ネガティブなイメージが普通だった。
時代を経て、だんだんそのイメージは変わっていきました。
わたしは1992年生まれですから、イメージも多少は変わっていた。障がいがあっても社会に出て活躍する人も現れていて、必ずしもネガティブだけのイメージではなくなっていったところがあると思うんですね。
ですから、当時は仕方ないところがあったのは確かだと思います。
でも、いまも障がいのある子が生まれてきたら、おそらく多くの親御さんがありのままを受け入れられないと思うんです。
自分になにか問題があったのではないかと自らを責める母親は多いですし、障がいのある我が子の将来を危惧する親も多いと思います。
その中で、わたしの両親はもちろんいろいろと戸惑ってネガティブな気持ちになったときもなかったわけではなかったと思います。
でも、最後はすべて受け入れて、ありのままのわたしをありのままに受け入れてくれた。
それはすごくラッキーなことで、わたしはいい両親に恵まれたなと思いました」
(※第五回に続く)
【「わたしの物語」エラ・グレンディニング監督インタビュー第一回】
【「わたしの物語」エラ・グレンディニング監督インタビュー第二回】
【「わたしの物語」エラ・グレンディニング監督インタビュー第三回】
「わたしの物語」
監督・出演:エラ・グレンディニング
製作:ナターシャ・ダック/ニッキ・パロット/リサ・マリー・ルッソ/マーク・トーマス
公式サイト www.pan-dora.co.jp/watashi
全国順次公開中
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