東欧で何が起きているのか(1)スロバキアと極右とウクライナ戦争、ロシアとEU
ポーランドが8年間にわたるナショナリズム・極右から脱したのとほぼ時を同じくして、スロバキアは逆の道を選んだようだ。
スロバキアの新首相となったロベルト・フィツォ氏は、移民とウクライナに反対する選挙運動を展開していた。その様子は、親ロシア的メッセージと陰謀を帯びたナショナリズムに移行していたという。
9月30日に行われた総選挙(一院制・比例代表制)では、単独過半数にはるかに及ばない党ばかりだった。連立交渉の末、3党連立となり10月に政権交代が起きた。
この国では連立政権が当たり前で、しかもそれも安定しないことが多い。このことは社会が安定していないことを意味するだろう。
第1党となったのは、かつて二度首相を務めたフィツォ氏が率いる「方向・社会民主主義」党である(Smer-SD:以下、スメル党)。全150 議席中、42議席獲得した。
連立3党のうち、一つの党は、第3位につけた「声・社会民主主義」党(HLAS–SD)で27議席。これで合計69議席。過半数の76議席に、あと7議席及ばない。
ここで重要な役割をもったのが、極右政党「スロバキア国民党」(SNS)である。順位は7位でしかない少数派だが、10議席獲得している。この10席のおかげで、過半数を3席超えるのだ。
今後、極右寄りの政権となることが懸念されている。
新首相より環境大臣に指名された人物は、気候変動の二酸化炭素(CO2)問題を「共産主義を押し付けるグローバリズムの詐欺」、日本でも問題になっている動物のクマを「ブリュッセルより送られた生物兵器」と呼んだという。
さっぱりわからないと首をかしげるだろうか、苦笑するだろうか。
しかし、このような言葉には、現在スロバキアや東欧が抱える深刻な状況が反映されている。それは同時に、欧州とヨーロッパ連合(EU)全体の問題でもある。
欧州大陸がどうなっているか、あまり日本では知られていない。
「欧米」という言葉は便利で筆者も使うが、特にウクライナ戦争が関わる文脈の情報では、「欧米」と言われることのほとんどは「英米」である。そこに欧州大陸・EUの27加盟国は入っていない。
読み切りシリーズで送る「欧州・EUで何が起きているのか」。第一回は東欧のスロバキアと極右の問題をお伝えする。
スロバキアはどのような国?
本題に入る前に、日本にはあまり馴染みのないスロバキアとはどんな国か、紹介したい(不要の方は、次の見出し「ハンガリーを真似ると公約」に飛んでください)。
スロバキアは人口約545万人、面積は約5万km2の小さな規模の国だ。
人口は兵庫県くらいで、面積は北海道の6割ほどである。
内陸国で海はなく、5カ国に囲まれている(以下の地図参照)。北はポーランド、東はウクライナ、南はハンガリー、西南部はオーストリア、西北部はチェコである。
これらの国々のうち、東のウクライナ以外の5カ国は、EU加盟国だ(スロバキアは2004年に加盟)。つまり東側はEUの境界線になっている。さらにNATOの境界線でもある。
経済で言えば、スロバキアとオーストリアだけがユーロ貨幣を使っている。ポーランド、チェコ、ハンガリーは規定を満たしておらず、使用されていない。
首都のブラチスラバは、オーストリアの首都ウィーンと同じく、ドナウ河沿いにある。この2つの首都は「世界一距離が近い首都」として知られており、鉄道やバスで1時間ほどで移動できる。
ドナウ河沿いには平原が広がる一方、北部にはカルパチア山系のタトラ山脈が占めている。
(日本人には比較的わかりやすいと思うが、山や山脈というのは、人々の暮らしや個性を形つくるものだ)。
宗教は、ローマ・カトリック56%、プロテスタント(ルター派)5%等とのこと。
カトリックが多数派と聞いて、意外に思う方もいるかもしれない。
歴史を見れば、昔はスラブ系の大モラビア国の領域だった。10世紀からはハンガリー王国の支配下に入り、16世紀には同王国がハプスブルク家(オーストリア)の統治下に入った。どちらもカトリックの国だ。
独立は、第一次大戦後の1918年、まずはチェコスロバキアとしてだった。第二次大戦後は、東側陣営としてソ連の衛星国だった。冷戦終了後の1993年、チェコとスロバキアは分離独立した。紛争のない協議離婚という意味で「ビロード離婚」と呼ばれた。
日本とは2016年にワーキングホリデーの協定を結んでおり、両国の若者を1年間相互に送り出して、交流を深めている。
ワーホリ協会の公式サイトによると、「首都ブラチスラバの最大の魅力は、その『田舎っぽさ』にある」という。「スロバキアには背の高い建物が少なく、街並みや建築物は淡い色合いで小さくかわいらしいものが多い」、「オモチャのようにかわいらしく、どこを切り取っても絵になる」、「ゆったりとした時間が流れている」とのことだ。
ハンガリーを真似ると公約
さて、ここからが本題である。
新首相となったスメル党のフィツォ氏の掲げる綱領では、隣国ハンガリーの外交政策と一致させることを公約し、選挙運動を展開した。
「紛争を長引かせるだけ」という理由で、「ウクライナへの軍事援助を拒否」して、スロバキアはもはやウクライナに「一片の弾薬」も送らない、と断言。さらに
「ロシアよりも欧州に害を与える制裁」に反対し、モスクワとの「関係正常化」について語った。
ハンガリーのオルバン首相は、フィツォ氏のことを「一緒に仕事をするのが常に良い愛国者」と言っている。
今までオルバン首相はEU内で孤立していたが、新たに同志が一人増える可能性が高い。
連立を組んだ極右政党「スロバキア国民党」の党首アンドレイ・ダンコ氏は、今年の夏、モスクワが征服した領土は「歴史的にウクライナのもの」ではないと宣言した。
プーチン大統領と温かく握手したダンコ氏は、ラブロフ外務大臣に「親愛なる友人」と語り、ロシア議会下院議長と自撮り写真を撮ったという。
「ウクライナ人は恩知らず」
なぜスロバキアは、このようになったのだろうか。
現地の様子を知らせる秀逸なレポートが仏紙『ル・モンド』に掲載されたので、一部を紹介したい。
選挙期間中、スロバキアの西にある小さな村、ソフォラッド(Suchohrad)に小規模な選挙運動チームがやってきた時の様子だ。村の人口は685人とのことだ(wiki.skによる)。
テーブルが素早く設置されて、ビールの栓を抜く音が鳴り、調理器から熱々のソーセージが出てきて、振る舞われる。
このような「娯楽」は珍しいので、住民のほとんどがやってきた。特に退職者を喜ばせるものだった。
写真が紹介できないのが残念だが、伝統的な村の風景の中に、真新しくて真っ白な選挙キャンペーンのテントが張られている。テーブルにはお持ち帰り自由の筆記用具やバッジ、党所属の政治家の小さなビラが並び、スメル党のマーク入りのエコバッグが配られる。
そして農民か元労働者かという雰囲気のお年寄りが集う。キャンペーンのスタンドで働くのは、若い女性である。
スメル党に属する地方議員ボリス・ススコ氏が、演説をする。
「私達は、最も貧しい人々と、退職者に焦点を当てたいのです」。
そしてスロバキアはウクライナに軍事援助をし、移民を受け入れたのに、ウクライナ人は「とても恩知らずだ」と批判する。
確かにスロバキアは、約11万人のウクライナ人難民を受け入れた。数としては多いほうではないかもしれないが、人口比で考えると約2%である。
日本の人口比でイメージするなら約251万人やってきたのと同じ、つまり京都府人口が全員ウクライナ人とイメージすると近い。
そんな時、穀物問題が起きた。
ロシアによる黒海封鎖のために、ウクライナの穀物は、以前のように海を渡って輸出ができなくなった。そのため、安いウクライナの穀物が陸伝いに大量に東欧を通ることになり流出し、スロバキアの農家は大打撃を受けた。
自国の農家を守るために政府は、ポーランドとハンガリーと共に、通商禁止の措置を決定した。禁止措置を延長したら、ウクライナ政府は反対して苦情を申し立てた。このことをこの地方議員は「恩知らず」と批判しているのだ。
(余談だが、筆者も当時「ウクライナ側の、その苦情の訴え方はマズいのでは、もっと言い方があるだろうに」と思った。「決して乞うことなく、誇り高く」なのかもしれないが・・・。それに切り取りだったかもしれないが・・・)。
ある70歳の退職者は「ウクライナ人はウクライナに留まって、私達のことはほっておいてくれますように。私達のところにやって来たのは、大きな車に乗った裕福な人達なんです」とボヤいたという。
さらに、地方議員は、LGBTに対して「わたしたちは性的マイノリティにこれ以上の権利を与えることを拒否する」、そして移民を「病気をもたらす」「テロネットワークに関係している」と述べたとのことだ。
突然現れたシリア移民
奇妙な出来事が、選挙1ヶ月前くらいから起き始めた。
8月末以降、スロバキアに突然、数万人の移民が到着したのだ。隣国ハンガリーから、毎日数千人の規模でやってきた。
彼らの大多数はシリア人だという。バルカン半島を経由してトルコから逃れ、ドイツへの到着を目指している。
今まで同国には、移民の流れは無いわけではないが、多くなかった。今まではハンガリーから、西のオーストリアを経由してドイツを目指していたのだ。
上掲の地図を見ればわかるが、オーストリア経由がドイツへの近道である。スロバキアを通る場合、チェコやポーランドも通らなければドイツにたどり着けない。
それなのに、彼らは、選挙の1ヶ月前から大量にスロバキアにやってきた。
スロバキアの政治指導者の中には、オルバン首相が自分の弟子を優遇するために、国境管理を意図的に操作した、移民を送り込んだのだと非難している人達がいる。まるでベラルーシのルカシェンコ大統領のように。
ただし批判者は証拠はないことは認めているし、陰謀論だと反論する人々もいる。
ハンガリーから最初の入国地域であるヴェルキー・クルティシュ県(Veľký Krtíš)のイペルスケ・プレドモスティエ村のルスターヤンスキー村長は説明する。
到着する移民の数の増加に伴って村民の態度が変化した。 当初、地元住民は食べ物や飲み物を提供して助けてくれようとしたが、移民グループの流入がどんどん増えることで不安が高まったのだと。『ユーロ・ニュース』が報じた。
県知事のアンブロソワ氏は、このタイミングについて「大きな偶然」だと、『ル・モンド』に語った。
彼女は「彼らは危険ではありませんが、多くの住民は慣れておらず、本当に怖がっています」と心配している。
国境は、徒歩で簡単に渡れる小さな川。村民は毎朝、畑で迷っている移民を目撃するのだという。
ある高齢者と赤ちゃんを連れた少数の移民グループが、警察に取り押さえられた。登録センターに移送することになるが、父親は、私達がここに来たのは密航業者がGPSポイントをくれたからです、と答えたということだ。
隣国であるオーストリア、チェコ、ポーランドは10月23日深夜からスロバキアとの国境を封鎖することを決定した。この措置は最低10日間継続される。
またスロバキアは、長さ677キロメートルあるハンガリーとの共通国境を閉鎖することを決定したという。
全般的に、東ヨーロッパの内陸の人は、肌の色の異なる人々に慣れていない。地域によっては、旅行者ですら大変珍しいだろう。ましてや移民である。
今まで移民が来るとしたら、それは同じ白人でキリスト教徒であった。このことは、西欧(特に地中海地方)とは大きく違う点である。
肌の色も髪の色も浅黒い、文化も宗教も異なるシリア人が、突然大勢で村にやって来れば、度肝を抜かれるほど驚くだろうことは想像がつく。いまや驚きを超えて、恐怖と拒絶の雰囲気があるというが、無理もないかもしれない。
問題は、移民を政治利用する人物たちである。
左派と極右の奇妙な連立
スメル党のフィツォ氏が首相となるのは、これが三度目である。
今回の復帰は、2006年から2010年、そして2012年から2018年まで首相を務め、街頭で辞任を強要された彼の大いなる復讐であるーーと、ラジオ・フランスは描写している。
気がかりなのは、スメル党とフィツォ氏が、対外政策でどんどん右傾化していることである。隣国で戦争が起きているのだから仕方ないのかもしれないが(日本も他人事ではない)。
スメル党は、一般には左派と言われることが多い。社会民主主義を名乗っているし、2006年に彼が初めて首相になった時には「低所得者に優しい社会福祉国家の創設」を目標に掲げていた。国民に対する社会政策は、左派だろう。
大きな不安要素は、極右政党との連立である。「スロバキア国民党(以下、国民党)」は、戦争前から人種差別を非難されている党で、「キリスト教徒・国家(国民)・社会福祉」を党是としている。
実は、スメル党が極右と連立を組むのは、今回が初めてではない。2006年の時もそうだった。この時は「左派政党が極右と連立!?」と驚きをもって受け止められた。
驚きは欧州レベルだった。
スロバキアがEUに2004年に加盟を果たし、初めての総選挙だった。中道左派政党が第1党になったと思ったら、極右と手を組んだのだから、びっくり仰天であった。極左と手を組んだなら(旧東側陣営だし)理解の範囲だったかもしれない。
それに、極右が政権入りすることそのものが、当時の欧州では極めて珍しかった(2000年のオーストリアの例はあったが)。
このような現象は東欧的で、西欧的ではないと感じさせる。中道右派と中道左派があいまいになったり、中道右派が極右よりになったりするのは西欧でも見られる現象だが、左派が極右とくっつくというのは、西欧的ではないだろう。
それだけ、共産主義国家が突然、資本主義で自由な民主主義になった激変のひずみと混乱は、今もって厳しいのだ。東欧全般が厳しさにさらされている。
欧州には、欧州規模の政党である「欧州社会党」というものがある。EUの欧州議会の中道左派グループと、メンバーはほぼ同じである。スメル党は仮メンバーだった。
欧州社会党は、スロバキア国民党を「人種的・民族的偏見や人種的憎悪を扇動したり、あおろうとする政党」と糾弾した。特にハンガリー人やロマに対して扇動的である。
そして連立を組んだスメル党をも非難して、人種差別主義政党と同列になったことを意味するとみなして、仮メンバー資格を停止したのだった。
その後、スメル党は4年間政権を担ったが、2010年には連立に失敗し、中道右派の4党連立に政権の座を明け渡した。
2012年の総選挙では、スメル党はこの国には珍しくも単独過半数を獲得、フィツォ氏は再び首相の座に就いた。しかし2016年の選挙では議席を大幅に減らし、また極右国民党を含む4党連立となった。
2018年に首相の座を追われたのは、調査報道ジャーナリストの暗殺事件のためだった。
ジャーナリスト暗殺の衝撃
殺されたヤン・クツィアク氏は、ビジネス界や政界の汚職事件を頻繁に調査していた。
彼は、スロバキアの政治家に近い実業家に対する脱税と汚職の疑いについて、同国ナンバーワンのタブロイド紙『ノヴィー・チャス』の調査ウェブサイト「アクチュアリティ・スク」を代表して捜査していた。
『ル・モンド』の報道によると、彼はフィツォ首相が居住する不動産複合施設のオーナー、バステルク氏が関与した脱税疑惑に関する調査結果を公表していた。
さらに、彼は、EUからスロバキアへ渡される欧州構造基金(EU内の格差を減らすためにEUから分配されるお金)に関して、イタリアのマフィアが組織した詐欺容疑に最近取り組んでいたという。スロバキアに詳しいイギリス系カナダ人の調査ジャーナリスト、トム・ニコルソン氏は同国のメディアに語った。
そして、2018年2月、自宅で婚約者と共に暗殺された。27歳だった。婚約者のマルティナさんは、花嫁衣装で葬られたという。
この殺人事件はスロバキア全土に衝撃と不信感を与えた。ジャーナリストの銃撃事件は、同国が2004年にEUに加盟して以来、初めて発生したのだ。
スロバキアだけではない。東欧では大きなニュースとなり、欧州やEUでも注目すべきニュースとなった。
クツィアク氏と知り合いだったNGO「透明性インターナショナル」のガブリエル・シポス氏は言う。
「ジャーナリスト殺害事件の90パーセントは、汚職が蔓延している国で起きています。 しかし、殺人の動機については引き続き注意する必要があります」
2016年3月に極右と連立になって以来、スロバキアのマスコミは、政府が関与したいくつかの汚職事件を報道してきた。そのような緊張状態の中で、事件は起きた。
ジャーナリストが殺されるというのは、正義や真実を追求したら殺されるという、社会の恐怖なのだ。
殺人の判明後、全国各地で追悼の集会が開かれた。ブラチスラバでは、政府の汚職を批判する、最大4万人のデモ参加者が結集したという。
フィツォ首相は辞任を余儀なくされ、内閣は総辞職した。総選挙は回避し、スメル党のペルグリニ氏が首相となった。
(彼は後に離党し、新党を結成。それが今回の選挙で3位につけ、スメル党と極右党と連立を組んだ「声・社会民主主義」党(HLAS–SD)である)。
記者会見の最中に、権力にとって恥ずかしい暴露について質問されたフィツォ首相は、ジャーナリストの一部を「反スロバキアの汚い売春婦」と呼んで侮辱したことがあるという。
フィツォ氏はNGO嫌い・メディア嫌いと言われるが、この時既に始まっていたと言えるのだろう。
ロシアやウクライナもそうだが、旧東側諸国には、汚職と腐敗がはびこっている。それは王政→ソ連の体制が培ったものだろうが、冷戦崩壊後は、国外からマフィアが入り込み、国内の権力者(の一部)と結びついた。
国の崩壊と建国ーーそれは一攫千金のチャンスなのだ。
しかしEU内では汚職と腐敗は、たとえ撲滅は難しいにしても、許されないことだ。そのために、EU機関もNGOも闘っているのである。
極右の億単位のスキャンダル
極右のスロバキア国民党はというと、スキャンダルに見舞われていた。
まず、EUの欧州構造基金の横領疑惑である。
同党所属のプラヴカン教育・研究大臣が2016年に立ち上げた、産業研究におけるイノベーションを促進するためのプロジェクト。EUによる6億ユーロ近くの援助が使われるはずだった。
しかし、確固たる実績のある大学ではなく、親戚を優遇したとNGO「透明性インターナショナル」は糾弾した。7人の学長は共同書簡で、政府に対し、すべての申請が奇妙にも却下されたことに驚きを表明した。
フィツォ首相はこの極右党の大臣を更迭したが、EUの欧州委員会は、不正が起こらない措置をとるまで、資金を凍結すると政府に通告した。EU構造基金は2014年から2020年にかけて150億ユーロに相当する。いわば「元栓を締めた」わけだ。
こうしてやっと調査が開始されたのだった。
国民党には、別のスキャンダルもあった。
ハンガリーの領土がスロバキアとオーストリアに分割され、ハンガリーが地図から削除された地図が、国民党の公式ウェブページの議論フォーラムに掲載されたというのだ。
メディアに注目され、地図は直ちに削除された。党は、投稿者が添付ファイルで載せたもので、フォーラム欄の自由アクセスポリシーに言及して責任を否定したという。
極右は、ハプスブルク家に統治される前のハンガリー王国の地図に不快感を示すと言われている。そして、スロバキアの南に住むハンガリー系住人は自治を望んでいると考えていると言われる。
極右は少数派であるが、このような歴史問題は微妙な側面があるかもしれない。
コマールノというドナウ河沿いの街がある。河はハンガリーとの国境を成している。
そこでハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世の新しい銅像の除幕式を行うことになった。式に出席するためのハンガリーのショーヨム大統領の入国を、フィツォ首相が拒否することがあったという。
ドナウ河をまたいだこの地域は、今は河の向こう側とこちら側で二カ国に分かれているが、もともとはローマ帝国が河をまたいで要塞を築いたことから発展した土地で、一つの地域だった。そしてハンガリー初代国王の出生地に近いのだ。
そのようなことで揉めなくてもいいようにEUは建設されたはずだが、まだまだ両国にはEUのエスプリは浸透していないようだ。
環境大臣は極右のポスト?
そして今。スメル党&フィツォ氏が極右と再び連立しても、もはや誰も驚かない。
しかも、フィツォ首相は、またしても環境大臣を、極右の党の人物に与えようとしている。
2006年からの連立時に、極右の環境大臣は、散々問題を起こしたはずだ。
まず、最初の環境大臣の辞任は、縁故主義のためだった。次の人はスロバキアの温室効果ガスの余剰排出枠を、近隣諸国よりはるかに安い価格で売却するという大スキャンダルのために解任。その次の人は、国営暖房プラントの飛灰除去に関する怪しげな契約のために、3ヶ月で更迭。
ここにきて、やっとフィツォ首相は、環境大臣のポストを極右国民党に与えるのをやめたのだ。それまでは環境大臣は極右の持ち分で、党内で人物を替えれば良いという姿勢だったようである。『The Slovak Spector』が報じた。
こうして詳細を見るとわかるように、環境大臣の地位はカネになる。
(ちなみに、極右政党の建設大臣も、極右党首スロタ氏と親しい人物に有利な契約を与えたとして、更迭された)。
それなのにフィツォ氏は、この2023年にまた環境大臣のポストを、極右政党に与えようとしている。闇の深さを感じずにはいられない。
このたび環境大臣に指名された極右政党議員のルドルフ・フリアク氏は、「クマはブリュッセルから送られた生物兵器」と言って、EUへの敵がい心をあらわにした。EUを嫌うのは、EU内の極右らしくなったと言うべきか。
「生物兵器」はよくわからないが、極右というものは、コロナ禍で陰謀論と親和性を一層高めたことと関係あるのだろうか。
この人物は、二酸化炭素(CO2)問題を「共産主義を押し付けるグローバリズムの詐欺」とも言った。
「グローバリズムの詐欺」は、アメリカや西側、日本も含む、反動的で陰謀論に傾倒する人々に見られる世界的な傾向として理解できるとして、そこに「共産主義」が加わるのはなぜだろう(西欧では思いもつかないセリフだ)。
極右は、一般的にマフィアとの親和性が指摘されている。自由主義体制下で生きるマフィアは反共であることと関係あるのだろうか。あるいは、「EU加盟国なのだから」と、厳しい手段を用いてでも民主化を促し、気候変動への取り組みを急き立てるEU・ブリュッセルが、共産主義を「押し付けた」ソ連・モスクワのように見えるのだろうか。
この点は、さらなる研究が必要だと思っている。
最も親露な国?
驚くことに、シンクタンク『Globsec』が今年5月に実施した世論調査によると、スロバキア人で、「ウクライナ戦争の責任はロシアにある」と考える人はわずか40%に過ぎなかった。これは昨年2022年の50%より10ポイントも下回った。さらに、「西側諸国が戦争を挑発した」と考える人が34%もいた。
この質問の調査対象になった東欧・バルトの8カ国(※注)のうち、最も親ロシアであることを示していると言えるだろう。さらに言えば次はブルガリアで(44%・32%)、ハンガリーはその次である。
ちなみに、スロバキアの混沌とした状況や、オルバン政権を真似ようとする様子は、ブルガリアを思い起こさせるものでもある。
なぜこのような事態になっているのだろうか。
それはスロバキアがディープ・フェイク(深刻な偽情報)に対して、大変脆弱であることが、大きな原因の一つだと言われている。
(第二回へ続く)
「NATOから離脱」が3人に1人のスロバキア。偽情報とディープフェイクの影響とは。EUとロシア(2)
※注 ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・リトアニア・ラトビアの8カ国。
<最新の情報>
新内閣は、スタートから波紋が広がっている。
首相により指名された極右政党のフリアク環境大臣候補。気候変動の存在を否定し、活動家たちを脅迫したとして、ズザナ・チャプトバ大統領に任命を拒否された。
同国の大統領は、直接投票で選ばれる。彼女は2019年に当選、社会の平等、環境保護、LGBTの権利、中絶の権利を訴えている。所属は、今回の総選挙で第2位につけた親EUでリベラル寄りの「スロヴァキアの進歩」党。
ただ、ちょっと驚いたことがあった。
EUで各国首脳が集まる欧州理事会では、ウクライナへの軍事援助を含む支援の結論に至ったが、これに対してフィツォ首相は支持を与えたのだった。
そのうえ、ウクライナへは、同国の汚職に対する保証やスロバキア企業の機会などの条件が満たされれば、5000万ユーロの金融援助に貢献する用意があるとまで述べた。
極右党のダンコ党首は、選挙戦で述べていたことと異なると、不満を表明している。
また、ダンコ党首は、第3党から選出されたドラッカー新教育大臣にも不満を抱いている。
極右の党はロシアと同じように、海外から資金を受け取っている国際的なNGOのような組織を「外国代理人」として認定する法律を可決することに大変熱心だという(フィツォ氏も望んでいたという報道もある)。
しかし新教育大臣は、「学校におけるNGOは、問題ない」と言ったのだ。
スロヴァキアは、その名で独立してからまだ30年の若い国である。ソ連の時代が刻まれている世代、冷戦終了からEU加盟までの混乱の約15年、そしてEU加盟してからはまだ19年である。
政治が安定しないこの国で、長年に渡って政界を泳いできたフィツォ氏は、人心を見るのに長けているのは確かだろう。氏がどのような舵取りをするのか、今後も注視が必要だ。
次回は1週間以内にアップの予定です。
その後は、親EUの政党が極右に勝ったポーランド、歴史的な観点からなぜ東欧は極右に振れやすいのか、そしてEU全体の極右の問題と欧州議会を、何回かに分けて執筆予定です。