ワグネルとは何か。軍産複合体の民営化とロシアの構造的危機。総司令官交代の7番目の理由とは
前の記事で、なぜロシアの統括司令官はスロビキンからゲラシモフに交代したのか、欧米メディアが語る6つの理由を紹介した。
おそらく全部本当なのだと思う。でもどうしても筆者には、100%の納得に届かないのだ。
この記事では、7番目の理由を考えるとともに、ワグネルの存在と、ロシアが抱える構造的な問題を考えてみたいと思う。
ゲラシモフのサポート不足?
筆者の目をひいたコメントは、ローレンス・フリードマン卿の意見だった。
英ガーディアンに掲載され、軍事作戦の政治について書かれた『コマンド』の著者である。
「私は、このことは、プリゴジン・スロビキン軸と見られるものに対する、保守派の動きだと疑っています。ソレダル・バフムート戦に関するワグネルのプロパガンダと、ゲラシモフのサポート不足に対する不満に促されたものです」と。
ゲラシモフのサポート不足・・・とは。
ゲラシモフ参謀総長とショイグ国防相は、ワグネルを支持するような超保守派や超国家主義者からは、批判の的になっていた。ウクライナ侵攻以降、ロシア軍は目立った成果がないのだから、当然かもしれない。
実際、ゲラシモフは侵攻作戦を計画した中心人物の地位にあったから、批判が集中するのは自然だろう。
侵略当初の失敗以降は距離を置いていたようで、ウクライナ国内(占領地)の作戦司令部を訪問したと報告されたのは1回だけだったと、CNNは報告している。
頻繁に見る機会のあるショイグ国防相と異なり、ゲラシモフは何週間も公の場に姿を見せないこともあった。昨年2022年の戦勝記念日のモスクワでのパレードにも姿を見せなかったため、当時は彼の立場について憶測が飛び交った。
現在ゲラシモフは、ウクライナ作戦の直接指揮と、軍事的な「紛争解決」などの問題に関する、米国との主な主席対話者を兼ねている。最後に会談したのは、ウクライナの防空ミサイルがポーランドに着弾した11月、ミルリー米統合参謀本部議長とだったという。
何をしていたのやら、よくわからない。
派閥争いでワグネルは敵方とみなされているものの、今まで10年以上もワグネルは「ゲラシモフ・ドクトリン」と呼ばれる、ロシア国家の軍事戦略に沿って活動をしてきたと言ってよいのだ。それなのに、この不在。やっと登場したと思ったら、スロビキンに替わる統括司令官。クレムリンに近い人々ですら驚いたという。
ゲラシモフがワグネルと国防総省の間に立って、どの程度「調整役」を果たすことができるのか、それともワグネル派閥を潰しにかかるのか。どの程度総統括司令官の能力があるのかは、未知数であるが、大変な立場に立たされたことは確かである。
ワグネルとは何か
そもそもなぜ、ロシア国防省とワグネルは、これほどまでに対立しているのだろうか。
米国財務省は、民間人が運営しているとしながらも、ワグネルを「ロシア国防省の指定代理軍」 と認定している。つまり、正規軍 VS 指定代理軍の対立と言えるだろう。
問題は、代理軍のほうが能力が高いと受けとめられていることだ。
とはいうものの、ワグネルにどの程度国が関与しているかは、実際には不透明で、正確にはよくわからない。なぜなら、1996年の法律で、ロシア国民が金銭的利益を得るために海外での武力紛争に参加すること、いわゆる傭兵になることは禁じられているからだ。
ただし、プーチン政権下で成立した法律では、国営企業が幅広い活動範囲を持つ民間軍を結成することは認められているという、曖昧な存在である。
ウクライナのドンバスで、シリアで、アフリカのリビアや中央アフリカで、スーダンで、モザンビークで、マリで、マダガスカルで、その他の場所で、ロシア国家とつながりロシア国家のために働いたと言われながらも、公式にはロシアの軍組織として認められておらず、公式には存在しない。それがロシアの、民間軍事会社であり、「指定代理軍」ワグネルである。
不透明だから、メディアは国とどのようにつながっているのか、実態を探ろうと努力してきた。しかし、わざとわからないように複雑にしているので、難しい仕事である。
特に軍事情報機関(GU)と密接な関係を維持していることが示唆されている。ロシアのスペツナズ(特殊部隊)旅団の基地の近くにワグネルの訓練所があることは、確認されている。また、ロシア国防省や他の国家安全保障機関と密接な関係を持つ会社もあるようだ。
ロシア国家は、地政学的な目標の達成や、金銭的利益の確保のために、民間軍事会社を使っている。彼らは世界中の不安定さを利用する、非正規戦争のための道具なのだ。
では、実際に上述の国々で何をしているかというと、各国の権力者、高官の警備サービス、身辺警護、警備の軍事訓練を提供するだけではなく、各国の軍隊の支援も行っている。直接の戦闘、訓練と助言、防衛システムと航空機の配備の監督などである。
アフリカでは、ダイヤモンド鉱山への進出や、金部門の投資なども行っている。
現地の独裁的な権力と契約することが多いが、権力側は自国の安全保障よりも、いわゆる「クーデター防止」や、反政府勢力対策のために雇うことになるようで、より深刻な事態になる。
ロシア民間軍事会社は、現地の治安を一層悪化させていると批判されている。さらに住民や現地国民に対する暴力や虐待、レイプなど、犯罪と人権侵害を行い助長していると非難されている。
それではなぜ、正規軍ではなくて、民間軍事会社なのか。
アメリカ議会調査局は、ロシア国家は、紛争に先立って民間軍事会社を使用して戦場を準備し、紛争中には彼らを配備して、ロシアの低コストなパワー投射能力を増加させることができるかもしれないと、報告している。
具体的に4つの利点を報告してる。言葉を変えながら説明したい。
1)否定性
民間軍事会社を利用することで、ロシア政府は「我々は関わっていない」と、紛争に直接的に関与したとの非難を否定し、そらすことができる。否認のレベルは微妙なことが多いが、ロシア政府は自らの責任を完全に隠蔽するというよりも、帰属関係を混乱させ、複雑にするために彼らを利用しているように見える。
2)犠牲者の回避
民間軍事会社なので、公式な死傷者を回避することができる(これは他の国の軍事会社も同じである)。正規軍の軍人に死傷者が出ると国民の注目をひくが、「会社員」なので精査されることはない。通常の部隊よりも消耗品と見なされる可能性がある。
3)迅速な展開と撤退
民間軍事会社はロシア政府にとって、容易に拡張できる戦力となる。また、短期間で戦力を投入・撤退させることができるので、柔軟性が高まる。
4)低コスト
従来のロシア軍よりも低コストですむ。民間軍事会社だから後方支援を必要としない。官民の動機の組み合わせによっては、ロシア国家に直接奉仕しない場合でも、私的な金融事業(例えば、貴重な天然資源の資産保護など)を通じて、その存在を維持することが可能である。
アメリカの民間軍事会社と違って、ロシアでは、「民間」と言いながら、民間と国家の利害が一致しているのは、大きな特徴だろう。
民営化された軍隊
ワグネルはエフゲニー・プリゴジンが創設者である。
確かにそうで、プリゴジンという人物は異色で異彩をはなつ、強烈な人物ではある。
しかしそれを、ビル・ゲイツがマイクロソフトを創設したとか、イーロン・マスクがテスラを、などと同じように考えると、意味を間違えてしまいかねない。
ワグネルに代表されるロシアの民間軍事会社は、ソ連の軍産複合体が「民営化」したこと、プーチン政権下で国家の安全保障を再整備したことに根がある。プーチン政権で大いに発達したものの、始まりはその前である。
ソ連は崩壊、共産主義の終わりになって軍は大幅に縮小、大量の余剰人員や失業者が出た。
プーチンは諜報機関KGBに勤務していたが「生活のためにタクシーの運転手をしたことがある」という時代だった。
国営企業は主に、そのように余剰人員となってしまった特殊作戦の経験豊富なベテラン兵士を私兵として採用してきた。
多くの軍事会社は、ロシア連邦保安庁(FSB・旧KGB)、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)、ロシア空挺軍(VDV )などの、ソ連から続くと言ってもよい治安部隊を改組したものであるという。そのため、それらの組織構造や活動文化がそっくりそのまま移植されているのだそうだ。
当然のことだろう。そこで働いていた人たちが勤務した。中には起業をした人もあっただろう。そして彼らは、他を知らなかったのだから。
そして現在、軍事会社は、戦略的な国営企業を顧客としており、プーチンの国内政治と外交政策を形成するインフォーマルなネットワークに不可欠な存在となっているという。
ワグネル・グループも同様で、国家と民間のネットワークが絡み合った、より大規模で永続的なシステムだと言われている。
兵士の待遇
現地の国民へのひどい人権侵害や違法行為ゆえに糾弾されるワグネル兵士だが、彼らの待遇はひどいものがある。
法的に存在しない軍隊ゆえ、兵士は外国でロシア政府(大使館)の法的保護を受けられない。受けられないと、外国の現地で、法的処罰を受けたり投獄されたり、個人の経済的負担の影響を受けやすくなってしまう。だから犯罪に走りやすくなるのかもしれない。
◎参考記事(NHKクローズアップ現代):その名は「ワグネル」 ロシアの“謎のよう兵集団”とは?元メンバーが語る
いくら戦争と言えども、正規軍の軍人であれば、国際法が適用される。国家間の戦争のルールや、民間人に対する姿勢など、人権に配慮した様々な規定を守らなければいけないし、捕虜に関する取り決めなどでは、軍人自身の人権や命が守られる。
その枠外の存在であるかのように、ワグネル兵士はやりたい放題になりうるし、兵士自身がどんな扱いを受けても、たとえ死んでも負傷しても、数に数えられず関係なし。国は責任を逃れることができるし、安上がり。これがロシア流の「民営化」と言えそうだ。
彼らは「自由」という思想をまったく理解していない。
アメリカにも民間軍事会社は存在するが、法の支配は存在する。最新鋭・最強国アメリカにおける自由の「上澄み」をすくっただけのもののようだ。
ワグネル、存在の主張
プリゴジンがワグネルを創設したと認めたのは、昨年の9月にすぎない。
公然の秘密が公のものとなったかと思うと、彼は11月には米中間選挙を含む米国の選挙に介入してきたことを公然と認めて、人々をびっくりさせた(彼は、介入で中心的な役割を果たした企業「インターネット・リサーチ・エージェンシー」の出資者としても知られている)。
そして今は、ソレダルでロシア正規軍がワグネルの功績を横取りしていると怒っている。
国防省による日々の報告には、ワグネルへの言及がない。ライバル云々ではなく、公式には関係ないどころか、ワグネルは「存在しない」ものだから、言及しなかったのだろう。
1月11日のショイグ国防大臣の発言では、ソレダル制圧ではロシア軍の空挺部隊が大きな役割を果たしたと述べている。
プリゴジン氏はこれに対し、国防省の報告を読んで「驚いた」という声明を発表した。ソレダルには「空挺部隊は一人もいなかった」と主張し、「(ワグネルの)戦闘員を侮辱」し、「他人の功績を盗む」ことを戒めた。
また、「もしアメリカが深刻な敵だとしても、いまのところ鍵となる敵ではない」と書き、ワグネルへの最大の脅威は「内部の闘争であり、腐敗であり、自分の立場を保持したい官僚主義と役人だ」と非難した。
今まで公然と活躍してきた影の存在が、遠い外国での戦争への介入ではなく、自国が隣国と戦争をすることになって、にわかに陽が当たり、確かな存在として認めろと主張してきたのだ。
(余談だが、「空挺部隊」というのは、国防省とワグネルを語る上での重要なキーワードだと感じる)。
国防省はその後1月13日に出した声明で、正規ロシア軍が主役であることを再度強調しつつも、ワグネル戦闘員の戦闘における「勇気と無私の行動」を称賛したという。これは実に驚くべき変化である。
ソ連崩壊後から今に至る、ソ連の共産主義の残滓と、ロシアの民営化の混合という「膿」が、表に吹き出した感じがする。
ロシアで二度目の大規模な動員が始まろうかとする今、ワグネル・グループの重要性は、相対的に今までより低くなる可能性がある。
ただ、もしロシア軍が、ソ連の残滓どころか、崩壊したソ連をそのままひきずっているとしたら、どうだろう。
戦車がずらっと道に連なり攻撃の標的になった姿は、ソ連軍の共産主義の官僚体質そのままだという評価がフランスであった。携帯電話で居場所が知られて攻撃されたが、ワグネルでは携帯電話の使用に関して、最初に厳しい教育があると聞く。
これらが事実なのであれば、正規軍にはないワグネルの力と実戦経験は、必要になるのではないか。
スロビキン司令官は、ワグネルの価値を認めていたようである。
例えば、ワグネル戦闘員に重火器を渡すとか、昨年12月ロシア西部軍管区の司令官にワグネル・グループ系のロシア人将校ニキフォロフが任命されたなどである。
ウクライナの情報機関は以前、スロビキンとプリゴジンが同盟を結び、両方がショイグ国防相のライバルであると報告していた。
しかし、なぜ彼が、プリゴジン&ワグネルと同じ派閥になるのか、明確な答えは今日までに得られなかった。イデオロギーが近いということだが、ソ連をひきずる旧態依然への批判という意味だろうか。
プーチン大統領の戦争の能力
ゲラシモフ参謀長が最後に大規模な紛争で軍を率いたのは、20年余り前の1999年、第2次チェチェン戦争が始まった時である。
それ以降、遠い外国での介入や、代理戦争の作戦は練ってきたかもしれないが、約20年ぶりに彼がこれから指揮をとるのは、本物の戦争である。
ゲラシモフの能力に対して辛辣な評価はあるが、もし彼が失墜するときが来るなら、それは戦況がさらにロシアにとって悪くなったときだ。プーチン大統領が無傷とは、とても思えない。ワグネル側に擦り寄れば自分は安泰などという、単純な話ではないのではないか。
もっとロシアの構造的な、ソ連崩壊の次の二度目の組織的崩壊になりはしないだろうか。
最近、特にアメリカのメディアや研究所から、「ロシア崩壊」という言葉が発せられるようになった。
まあ、アメリカらしい表現で、ヨーロッパっぽくないと感じる。日本人にもピンと来ないだろう。日欧人には、崩壊も何も、ロシアはどうなろうと近隣に存在し、付き合わなければいけない相手、と思えるだろう。アメリカからロシアは遥かに遠いのだ。
ただ、ゲラシモフが失敗すれば、軍の信用が完全に崩壊して、ワグネルを交えてめちゃくちゃになりかねない。対処できないような危機に陥れば、政治・社会は今のままではいられない・・・という意味では、「崩壊」という懸念は納得できる。
前述のローレンス・フリードマン卿は、「プーチンが新しい指揮系統を試行錯誤しているのは、プーチンが望むものを見つけるのに苦労していることを示唆している」という。
それではプーチン大統領は何を望んでいるのか。
もちろん勝利なのだろうが、彼は本物の戦争で勝利をもたらせるほど有能か。
外交政策研究所のでロブ・リー上級研究員は、「この戦争でプーチンは、指揮官たちに可能ではないことを要求してきました。彼らには行える能力がないものもあります。プーチンは退却しなければならないときに退却できないことを将校や人々に言い続けたのです。プーチンが指導者たちに強いる、より広範な問題があるのだと思います」と語る。
プーチン大統領の思想や方法は、自身が在籍していたKGBそのものだという評価が、以前から耳にタコができるほど言われてきた。
しかしKGBは諜報機関で、暗躍の組織だ。その思想で、今までの代理戦争や、遠く離れた外国での利権戦争はこなせても、ウクライナ戦争はどうなのだろうか。
独裁者になりつつあるプーチンだが、民主的なフリをしてきたことで独裁的な地位が保ててきたはずで、そこは遅れているといっても欧州の国だと思わせたものだが、その時代は終わったのだ。
ソ連という共産主義国家の崩壊から30年強。ゆっくりと、いびつに進んだロシアの軍産複合体の「民営化」。戦争によって盛大に膿がにじみ出て、矛盾が露呈し、ソ連崩壊後の大きすぎる亀裂が明るみになったが、プーチン大統領はどれだけの解決能力をもっているか。個人にどれほどのことができるのか。
これが「7番目の理由」だ。つまり、プーチン自身、内心どうしていいのかわからなくて、無理難題だけは主張するが、あとは受け身になっているという仮説である。
策を右に左に弄することはできても、組織の根本的な解決はできず、最終目標である勝利、あるいはロシアが納得する形の和平に届く道はみつからない。だから、自分の主張だけは言い張るが、両派閥の争いの様子を見ながら、受け身になる。
それは、両派閥を戦わせてレフェリーになるというほどの積極性ではない。
最悪のケースでは、自分の耳に心地よい自分の好きなほうを選ぶという、独裁権力の退廃の可能性も頭の隅に入れておいてもいいかもしれない。
現段階ではあくまで推測だが、絶対権力的な帝国では、たとえ若い時は名君と呼ばれた皇帝でも、年取ると自分の意見にひたすら従順なお気に入りの声しか聞かなくなる人物は多かった。歴史の教訓から見る仮説である。
それでも、現在の体制で最終決定をくだせるのは、大統領一人である。
プーチンは70歳、ゲラシモフとショイグは67歳。ソ連時代に仕事で一人前となり、いまだ現役である、ほとんど最後の世代である。敗者の怨念と、運命への復讐心がつきまとっている。
対して、プリゴジンは61歳、スロビキンは56歳で、世代が一つか二つ、若い。
もっと若い世代の人たちが出てこないとロシアは変わることが出来ないと感じるが、ポスト・プーチンに名前が挙がる人物は、まだ登場していない。もう生まれて成人しているはずだが、今頃どこで何をしているのだろう。
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【ワグネルに関する主な資料】
◎Putin’s proxies: Examining Russia’s Use of Private Military Companies
Congressional Testimony by Catrina Doxsee, CSIS, published September 15, 2022
◎Russian Private Military Companies
Congressional research service, September 16, 2020
◎Decoding the Wagner Group: Analyzing the Role of Private Military Security Contractors in Russian Proxy Warfare, by Candace Rondeaux, New America, Arizona State University’s Center on the Future of War, November 05, 2019