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元日本代表が「ボールにさわれない」 新しいサッカーの魅力と可能性

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
多様なサッカーを体験したP&Gクリエイト・インクルーシブ・スポーツ(主催者提供)

「新しいサッカーが生まれる瞬間を見てみませんか」。こんな言葉に誘われ、東京都内で行われたサッカー・イベントをオンライン観戦した。さまざまなバックグラウンドをもった参加者が多様なサッカーを体験、その上でディスカッションし、新しいルールによる「インクルーシブ(Inclusive:包み込むような、包摂的なという意味)なサッカー」を楽しむ。このイベントを通じて見えたことは?

多彩な顔ぶれの参加者ら
多彩な顔ぶれの参加者ら

 P&G「Create Inclusive Sports(クリエイト・インクルーシブ・スポーツ)」と題したイベントが6月28日、六本木ヒルズアリーナで開催された。参加者は性別・年齢・身体特徴の異なる14人。元日本代表や現役選手、お笑いタレント、他競技のアスリートら。P&G ジャパンが主催し、イベントナビゲーターを元テニス選手の松岡修造さんが務めた。A、Bチームそれぞれのメンバーと解説者らは次の通り。

▽Aチーム

丸山 桂里奈(元なでしこジャパン)

エンヒッキ・松茂良・ジアス(アンプティサッカー日本代表)

菊島宙(5人制サッカー選手/埼玉 T.Wings)

中澤佑二(元サッカー日本代表)

アントニー(お笑いコンビ「マテンロウ」)

オカリナ(お笑いコンビ「おかずクラブ」)

りんごちゃん(ものまねタレント)

▽Bチーム

本並健治(元サッカー日本代表)

落合啓士(5人制サッカー元日本代表/松本山雅 B.F.C.監督)

宮田夏実(デフサッカー・デフフットサル女子日本代表)

下山田志帆(なでしこリーグ1部スフィーダ世田谷 FC)

ゆいP(お笑いコンビ「おかずクラブ」)

JOY(タレント・モデル)

村上佳菜子(プロフィギュアスケーター)

▽解説者

北澤豪(サッカー元日本代表)

野口亜弥(順天堂大助教、元プロサッカー選手)

音が鳴るボールを使用

 参加者は多様性を表す虹をあしらったユニホームを着用。2チームに分かれて、「インクルーシブメドレーサッカー」と題し、杖を使った「アンプティサッカー」、ヘッドホンで遮音してプレーする「デフサッカー」、「目隠しサッカー」の順に体験した。参加者は障害の有無にかかわらず、全員がヘッドホンやゴーグルを着用。ボールは音が鳴る目隠しサッカー用のボールを使い、審判はホイッスルと旗を使用した。

「インクルーシブメドレーサッカー」ではアンプティ、デフ、目隠しと3種類のサッカーを体験
「インクルーシブメドレーサッカー」ではアンプティ、デフ、目隠しと3種類のサッカーを体験

アンプティサッカー「動くだけで疲れた」

 アンプティサッカー日本代表のエンヒッキ選手がデモンストレーションを行った。同選手は5歳の時、交通事故で右足を失っている。一つのプレーで場の空気が変わったのがオンライン観戦でも伝わってきた。クラッチと呼ばれる杖に体重を預け、杖を軸にして脚を振り切って放つシュートの威力、すごい。

アンプティサッカー。ボール前はエンヒッキ選手
アンプティサッカー。ボール前はエンヒッキ選手

 試合は4分間。参加者は残り1分ごろになると全員、疲労が限界に。立ち止まって軸足をマッサージしたり、座り込んでしまったり……。試合後、アントニーさんはフィールドの中央で倒れ込み「杖だけで体を支えるのがしんどい。動くだけで疲れた。シュートなんてとても無理」と話し、エンヒッキ選手のプレーをたたえた。

デフサッカー「周りを見てプレー」

 デフサッカーでは全員がヘッドホンを使用。声や音は聞こえない。参加者のコミュニケーションはジェスチャーやアイコンタクトで、審判は笛と旗の両方を使ってジャッジした。

 アンプティサッカーでは苦戦していた宮田選手だったが、デフサッカーでは持ち味を発揮した。高く手を上げるなど、自分のやりたいことを大きなジェスチャーで味方に知らせ、パスを求める。また、パスを出すときは身振り手振りでパスのコースを伝えた。このサッカーで活躍したのが、ゆいPさん。的確な指示を出し、ファインプレーを連発した。

デフサッカー女子日本代表の宮田選手
デフサッカー女子日本代表の宮田選手

 フィールドの外から指示を出すメンバーはボードに書いて伝えた。解説の北澤さんは「皆、いつもより顔を上げてプレーしている」と周囲を見ようと意識する参加者の変化を指摘した。

 りんごちゃんの「言葉を耳で聞いてコミュニケーションすることは当たり前ではない。目を見て行動することが大切だと分かった」というコメントの通り、参加者は伝える力と理解する力がプレーの質を左右することを体感した。

目隠しサッカー「声を信じて動く」

 目隠しサッカーでは全員がアイマスクを使用し、フィールドの外にいるガイドの声を頼りに動いた。落合さんと菊島選手のデモンストレーションを見ながら北澤さんは「目隠し」による気づきを次のように語った。

「このサッカーをやってみると『集中するって、こういうことなんだ』と分かるはずです。若い選手は『集中しろ』と言われてもよく分からないもの。こういう練習をするといいかもしれません。感覚を研ぎすますとはどういうことなのか。よく理解できるはずです」

目隠しサッカー。ボールをキープするのは落合さん
目隠しサッカー。ボールをキープするのは落合さん

 参加者全員が声を出すと、声の大きい人、指示が的確な人がプレーをうまくアシストできることが分かる。この場面で際立った働きを見せたのは、またしてもゆいPさん。ガイド役を務め、説得力のある声で味方チームをリードした。

 ボールを持った時の落合さんと菊島選手の動きには「さすが」と声が上がった。立ちすくんでいる参加者の間を縫って進み、ゴール。ガイドや味方の声を信じて果敢に動けるかが問われる。勇気あるプレーが光った。

 アンプティ、デフ、目隠しと3つのサッカーを終えて参加者が実感したのは「サッカーの種類によって力を発揮する顔ぶれが異なる」「本職はすごい」ということ。それぞれの代表選手は確信を持ってプレーしていた。元なでしこジャパンの丸山さんは次のように話した。

「3つとも難しかったです。最後の目隠しサッカーは1度もボールに触らないまま終わってしまいました。私の競技人生で、こんなこと初めて。元アスリートとしては、できない悔しさが湧いてきました。それぞれのサッカーで工夫せねばいけないことがあると気づきました」

採用するルールをチームで検討

 続いてイベントは「新しいインクルーシブなサッカー」を考える作業に入った。監修者の北澤さん、落合さん、野口さん、松中権さん(プライドハウス東京代表)、杉山文野さん(フェンシング元女子日本代表)が前もって検討した9つのルールやアイデアをベースにチーム内で検討し、どのルールでプレーするかを決めた。

 Aチームは「走るのは禁止! 歩いてプレーしよう」、Bチームは「相手チームがゴールを入れたら、1分間プレーヤーを追加!」を採用、新しい「インクルーシブなサッカー」を楽しんだ。

新しいサッカーを考えるにあたり検討の材料とした9つのルール
新しいサッカーを考えるにあたり検討の材料とした9つのルール

チーム内でディスカッションする参加者
チーム内でディスカッションする参加者

 イベントの終盤、参加者に変化が見られた。野口さんは「始まって1時間も経っていないのにチームとしての結束力みたいなものができてくるのはスポーツの良さ」とし、北澤さんは「自分たちが定めたルールで楽しそうにプレーしているのが印象深い。『自分たちで決めた』という責任を意識していると分かった」と話した。

 当初、筆者は「インクルーシブ」という耳慣れない言葉を、サッカーと絡めてどう考えればいいのか分からなかった。しかし、参加者のコメントや動きから、イベントを企画した意図が少しずつ理解できた気がする。監修者兼プレーヤーの落合さんの体験が、参加者の変化をよく言い表していた。

「目隠しサッカーでは試合前に『こうしてほしい』と伝えました。すると後半にはチームメイトが『こうします』と言ってきてくれました。最初からうまくはいきません。サッカーを通して全員が考えることでチームワークが良くなるのです。また、聴覚障害者と視覚障害者はコミュニケーションを取りにくいものですが、工夫することで伝わりました。こういうことを、サッカーを通じて社会に発信していくことが大切だと思います」

ボードを使ってエールを送る落合さん。右は村上さん
ボードを使ってエールを送る落合さん。右は村上さん

監修の段階から「インクルーシブ」に

 そもそも、このイベントはどのような経緯で企画されたのだろうか? 野口さんによると監修の段階から「参加者の性別を書かない」などの配慮がなされたという。また「インクルーシブなサッカー」では当初、1コートを3分割して行う予定だった。3つのルールに基づき、移動しながら3つのサッカーを順に体験することを想定していた。しかし、「それでは分断が起きてしまう」という声が挙がり、全員が一つのコートで体験する形式へ変更した。野口さんは次のように語る。

「社会における統合(social integration)と包摂(social inclusion)では言葉の意味が違い、問題意識も異なります。“統合”はマイノリティーが既存の社会構造に組み込まれるプロセスであり、マイノリティーがマジョリティーに合わせることで、ある種の主従関係が生まれてしまうものです。しかし“包摂”は社会的に弱い立場にある人も含め、市民一人ひとり同等の価値が尊重され、誰も孤立することなく社会の一員として存在するという考え方です。あえて“インクルーシブなサッカー”とする意義を考えて企画しました」

 サッカーは「共通言語」となり、多様なバックグラウンドを持つ参加者同士の距離を縮めた。野口さんはスポーツをきっかけに社会の課題を理解することは、ほかの競技でも可能だと言う。

「今回の催しのようにスポーツのルールを作ってプレーすることは、社会において多様な価値を認め合い参加者全員がハッピーになれるルールを作ることを小さな規模で体験できます。やってみて、やりにくければ話し合いを重ねて修正すればいいことも分かります」

解説者の北澤さんと野口さん
解説者の北澤さんと野口さん

 筆者は観戦を通じ「インクルーシブな社会」を実現させる上で大切なのは、多様な人が集まって違いを認め合いながら話し合いによってルールを決め、対応・工夫・修正していく過程であると知った。

 今回、3種類のサッカーが象徴していたのは身体における多様性だったが、野口さんはジェンダーギャップやセクシャリティなど、可視化しにくい多様性の課題も「装飾やデザイン、更衣室などのあり方から考えていく必要がある」と問題提起した。同性のパートナーがいることを公表している下山田選手はイベント後、次のように述べている。

「性別や国籍、障害などに関係なく、やはりスポーツは楽しいです。私はジェンダーやセクシャリティとスポーツは深い関係にあると思っており、ピッチの中でも外でもまだ解決すべき問題があると思います。スポーツが、より幅広くセクシャルマイノリティーの人や人種を含めたあらゆる多様性を認め合える場になってほしいと思います」

 フィールドで感じたことを社会にどう還元していくのか。どう伝えていくのか。スポーツの果たす役割や可能性をあらためて考えさせられるイベントだった。

※P&G「Create Inclusive Sports」の動画(主催者提供)

https://www.youtube.com/watch?v=YmmAAix5k_c

※野口さんのより詳しいインタビューはこちらです。

・トランスジェンダー選手を「不公平」と排除せず 競技ごとに論議スタートを

https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20210722-00249289

※写真、イラストはすべて主催者提供

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは「東洋経済オンライン」、医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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