なぜエムバペはレアル移籍を決めたのか?C・ロナウドに憧れ…欧州王者と新たな銀河系軍団。
欧州王者に、新たな戦力が加わった。
現地時間3日、レアル・マドリーがキリアン・エムバペの獲得を発表した。パリ・サンジェルマンとの契約が満了を迎えていたエムバペは、フリートランスファーでマドリーに加入。新たな契約期間は2029年夏までとなっている。
今季のチャンピオンズリーグで、マドリーは決勝でボルシア・ドルトムントを下し、優勝を果たしている。その2日後に、世界最高峰のアタッカーのマドリー加入が決定した。
■過去と経緯
マドリーは、この数年、エムバペを追跡してきた。
少なくとも、過去、3度はマドリーに獲得のチャンスがあった。2017年夏には、エムバペがBBC(ベイル/ベンゼマ/クリスティアーノ)との競争を恐れて、パリ・サンジェルマン移籍を選んだ。2021年夏、マドリーは移籍金2億ユーロ(約320億円)を準備したが、パリSGが首を縦に振らなかった。2022年夏、フリーで移籍することが可能だったエムバペは、一時、マドリーと後頭合意に至りながら、最終的にはパリSGとの契約延長にサインした。
なかでも、2021年夏の移籍市場においては、マドリーの“本気度”は確かだった。2018年夏にクリスティアーノ・ロナウドが退団したマドリーは、その穴を埋めるべく、またカリム・ベンゼマ(2023年夏退団)の後釜を確保するため、動いていた。そのトップターゲットが、エムバペだった。
だがフランスのエマニュエル・マクロン大統領からの“直電”を受け、また実質的にカタールの国家クラブであるパリSGからのプレッシャーを前に、エムバペは揺れた。二つの国家が、彼の決断に、影響を受けようとしていたのだ。
■築かれたキャリア
結局、エムバペはパリに残留した。エムバペがパリSGでプレーを続けている間、マドリーではヴィニシウス・ジュニオールやロドリゴ・ゴエスが台頭した。2023−24シーズンには、ジュード・ベリンガムが得点王力を開花させた。
エムバペは、C・ロナウドやベンゼマの代役として、マドリーに移籍する必要はなくなった。チャンピオンズリーグ優勝を達成した、欧州のベストチームに来て、レギュラー争いをする一人の選手としてーー無論実力を示せばポジション確保に疑いの余地はないーー加入するのだ。
エムバペ自身、マドリー移籍というのは、幼い頃からの夢だった。幼少時代、彼の部屋には、マドリーでプレーするC・ロナウドのポスターが貼られていた。そして、2012年12月には、マドリーと両親の粋な計らいで、初めてマドリーの練習場であるバルデベバスに招待されている。14歳の誕生日を迎える前の、サプライズプレゼントだった。
エムバペはマドリードで、C・ロナウドやジネディーヌ・ジダンに出会った。カデーテ(ジュニアユース世代)のトレーニングに参加して、入団テストにパスしたが、その時点ではマドリーのカンテラ入団を断った。両親の希望で、フランスで選手としてのキャリアをスタートさせることを決めていた。
■最後の決断
あれから、およそ10年が経過した。まさに紆余曲折を経て、念願だったマドリー移籍が実現した。
「夢が、現実になった。レアル・マドリーという、夢見たクラブの一員になれて、誇りに思う。この幸福度と感情を説明するのは難しい」
「マドリディスタのみなさん、あなたたちに会うのが待ちきれません。すべてのサポートに感謝します。アラ、マドリー(マドリー、万歳)!」
これはエムバペの言葉だ。
エムバペは、パリSGで年俸7200万ユーロ(約115億円/総額)を受け取っていたと言われている。マドリーでは、年俸2600万ユーロ(約41億円/総額)を受け取るようだ。
また、契約ボーナスとして、1億ユーロ(約160億円)が契約年数に応じて一年毎に支払われるとみられている。しかし、金銭面においては、パリSGの方が条件は良かった。
エムバペは、相応の覚悟で、マドリー移籍を決断している。
■新たな銀河系軍団
フロレンティーノ・ペレス会長は、第一次政権(2000年―2006年)で、ルイス・フィーゴ、ジダン、ロナウド、デイビッド・ベッカム、マイケル・オーウェンといった選手を獲得した。また第二次政権(2009年―現在)で、C・ロナウド、ベンゼマ、カカー、ベイル、エデン・アザール、ベリンガムらを獲得してきた。
ロス・ガラクティコス(銀河系軍団)と称されるチームのリストに、この度、エムバペが加わった。ペレスとしては、非常に手を焼く補強になった。しかしながら、最終的にはエムバペを手中に収めている。
戦術は分からない。だが戦力は十二分に整った。欧州王者に、現状、死角は見当たらない。