木村拓哉主演『レジェンド&バタフライ』入門 15代将軍・足利義昭が織田信長を「父」と呼んだ納得の理由
木村拓哉さん主演の映画『レジェンド&バタフライ』が公開され、話題を呼んでいます。木村さんは映画のなかで、戦国大名・織田信長を演じています。映画の上映時間は、168分。信長の濃厚な生涯を描くには、これでも短いくらいかもしれませんが、都合により、泣く泣く、監督によりカットされたシーンもあったようです。
その1つが、木村さんのテレビ番組での発言によると、信長が西洋甲冑を着用し、大軍を率いて、京都に上る(上洛)というシーンとのこと。いつかカットなしバージョンも見てみたいですが、信長は、永禄11年(1568)9月7日、後に室町幕府15代将軍となる足利義昭を奉じて上洛を開始します(信長の家臣・太田牛一が記した書物『信長公記』)。
義昭の兄である13代将軍・足利義輝は、三好氏・松永氏の軍勢に襲撃され、落命していました(1565年)。義昭は当時、奈良興福寺に入っていましたが、兄の死を受け、三好氏により幽閉、その後、寺を脱出。越前国(福井県)の朝倉義景などを頼りますが、最終的には美濃にいる信長のもとに赴き、上洛することになるのです。
信長は尾張・美濃・伊勢・三河国の軍勢を率いて上洛を開始します(三河国の家康も軍勢派遣したと思われます)。しかし、途中に立ちはだかる敵もいました。南近江(滋賀県)の六角承禎です。だが、六角氏は信長の敵ではありませんでした。本拠の観音寺城・支城の箕作城は、織田方の武将ら(その中には木下藤吉郎、後の豊臣秀吉もいました)により、瞬く間に陥落。
9月下旬(26日頃か)には、信長は京都に入るのです。そして、10月18日には、義昭は念願の征夷大将軍に朝廷から任命されます。
義昭は信長に書状(10月24日付)を送りますが、その宛名には「御父 織田弾正忠(信長)殿」とありました。義昭の生まれは、1537年、信長の生年は、1534年。信長の方が3歳年上。「兄」と呼ぶなら分かりますが「父」と呼ぶのは違和感があります。
しかしこれは、将軍に就くことに貢献してくれた信長を「父」と呼んでも良いほど、義昭が感謝していたということでしょう。