「ホームシックにかかることも…」新星アマナキ・レレイ・マフィ、復帰へ一歩【ラグビー旬な一問一答】
昨季、日本代表としてテストマッチ(国同士の真剣勝負)デビューを飾ったアマナキ・レレイ・マフィが14日、所属先のNTTコムのクラブハウス(千葉)で取材に応じた。
関西大学Bリーグの花園大学では無名の存在も、昨季、国内最高峰のトップリーグで新人ながら活躍。身長189センチ、体重112キロのサイズながら重心の低いコンタクトと豊かなスピードを示し、ジャパンとして2キャップ(テストマッチ出場数)を獲得した。
しかし国内シーズン終盤、左股関節脱臼骨折という大怪我を負った。オフはリハビリや帰郷に費やした。
以下、マフィの一問一答(但し書きのない部分は英語での応答)の一部。
――(取材日の)2日前までトンガで両親と、ニュージーランドで兄弟と会ってきたようですね。
「(日本語で)6年半くらいぶりだった。会いたかった。家族に会いに行って、そこでリハビリもできたらよかったな、って。僕の国のトンガはテクノロジーは少ないから、だからニュージーランドにも行きました」
――パートナーも一緒だった。
「(笑みを浮かべつつ)6月に書面上の結婚をする予定です。その後、いつか結婚式をやろうと思っているんですが、それをニュージーランドで、と思っています。大きくない場所で、身内同士で。その子とは大学の時から付き合っていて、1つ年上です」
――去年のシーズン、振り返ってください。
「…(間を置いて、一言、一言、選ぶように)。まず、自分の歴史が刻まれた年。タフな1年で、ホームシックにかかることもありました。ただ、辞めたら夢が叶わないことはわかっていた。ハードワークをしました。チームメイトも、ロブ・ペニーヘッドコーチらスタッフも助けてくれて、スキルが高まって知識が増えたと思います」
――ホームシック、ですか。
「(頷く)」
――いつ頃のことですか。
「毎日。いまでもホームシックです。とにかく両親に会いたい気持ちが強いです。ただ、電話をするといつも励まし続けてくれる。両親は、自分にとってはヒーローです。いまこの場所にいるのも彼らのおかげです。ずっと僕のお父さんは病気です。いまもまだよくなっていなくて。歩くことはできるのですが、基本的にはベッドでの生活です」
――そんななか、お母様が背中を押している。ラグビーを続ける真の理由は、ここにあるのですか。
「…いえ。私はクリスチャンで、『神から与えられた才能をどれだけ発揮するか』という考え方を持っています。ここは、正直にお話しますが、学校の成績もとてもよかったんです。ただ5歳で始めたラグビーでも、感覚的にいい選手になりそうだとも感じていた」
――会計と物理が得意。ラグビー選手になっていなければ…。
「会計士です。ただ、いまの自分の夢はラグビー選手として活躍し、有名になることです」
――去年、日本代表としてもプレーしました。
「18、19、20歳以下のトンガ代表になっていたので、将来はトンガ代表になるのだと思っていました。ただ、こちらへ来て、エディー・ジョーンズさんから電話がかかってきて、自分の考え方と人生が変わった」
――ジョーンズヘッドコーチの印象。
「(日本語で)マジメ? 初めて知ったのは、彼がオーストラリア代表の指導をしていた頃です(2003年ワールドカップオーストラリア大会で監督)。当時、私は子どもだったのですが、すごくいいコーチだと思いました。こうして関われるとは思ってもみませんでした。実際に会うと、全てにおいてベストを尽くす人だと感じました。冗談抜きで、100パーセントを尽くす」
――昨季終盤、大怪我をした際に思ったことは。
「自分の夢や希望が失われたように思いました。ただ、病院にジョーンズさんが来てくれて。(ワールドカップ初戦の)南アフリカ代表戦の日程(9月19日)が書かれたジャージィを持ってきてくれた。見たときは、泣けてきました。『これが終わりじゃない。これからが始まりだ』と言ってくれました」
――いまの回復具合は。
「復帰の日にちはわからない。でも、よくはなってきています」
――歩けるようですね。
「問題なく歩けます」
――走ることは。
「(苦笑)」
――ワールドカップに出て欲しいと、多くの人が思っています。
「ワールドカップは他の大会とは違う。出られれば本当にすばらしいことだと感じています。もちろん目指します。ただ、もし、間に合わなくてもそれも人生のうちのひとつです」
――復帰後の目標は。
「家族のために、タフに、常に前よりもいいプレーができるようにしていきたいです」