この夏、優勝空白県は解消されるか
昨夏の準決勝進出は前橋育英(群馬)、日大山形、延岡学園(宮崎)、花巻東(岩手)の4校だった。甲子園の優勝経験校はなく、群馬だけが優勝経験県。山形と宮崎は春夏とも決勝すら未経験であった。猛暑もあって波乱が続いた大会を象徴する上位の顔ぶれではあるが、運だけで勝ち抜けるほど甲子園は甘くない。東北2校もいわゆる野球留学生で構成されたチームではなく、全国のレベルは均等になったことを如実に物語ってはいまいか。
優勝未経験は15県
北から青森、岩手、秋田、山形※、宮城、福島、山梨※、新潟、富山※、石川、福井、滋賀、鳥取、島根※、宮崎。以上が春夏の甲子園で優勝の経験がない15県である。うち、※を付した4県は決勝進出がない。今世紀に入って、初めて優勝した都道府県は、04年夏の北海道(駒大苫小牧)、09年春の長崎(清峰)。初めて決勝に進出したのは01年夏の滋賀(近江)、09年春の岩手(花巻東)、同年夏の新潟(日本文理)そして昨夏の宮崎(延岡学園)である。優勝未経験の大半が寒冷地で、年間を通しての練習時間にハンディがある。とはいえ、駒大苫小牧が05年も優勝し、夏3連覇も手の届くところにあったことを考えると、練習環境を言い訳にはできない。一時期、「優勝旗が白河の関(福島)を越えるのはいつの日か」と言われたものだが、東北に先んじて北海道に優勝旗が渡ったのは快挙であった。
東北勢は10度の準優勝
東北の優勝はいつか。夏の第1回準優勝を遂げた秋田中(秋田高)以来、一昨年夏の光星学院(青森)まで、東北勢の決勝進出は10回に上る。最も惜しかったのは昭和44年(1969年)夏の三沢(青森)。名門・松山商(愛媛)を押しまくったが、延長18回の末、引き分け。翌日の再試合で力尽きたのはあまりにも有名である。青森は4回の準優勝(三沢1、光星3)がある。大都市・仙台を抱える宮城はこれに次ぐ準優勝3回(仙台育英2、東北1)。とりわけ89年夏の仙台育英は戦力的に最も優勝に近かった。大越基(ダイエー)を擁して、ライバル上宮(大阪)に完勝した試合は圧巻で、有利と見られた帝京(東京)との決勝もゼロ行進の熱闘だったが、延長で惜敗した。ただ個人的に最も可能性が高かったのは、昨年ではなかったかと思っている。
準決勝で東北勢が別れ、山形と岩手の決勝があり得たからだ。特に日大山形は、甲子園優勝経験のある日大三(西東京)、作新学院(栃木)、明徳義塾(高知)を破っていて、同県史上最強の呼び声もあった。双方とも決勝を前に敗退したのは、昨年から導入された準決勝前の休養日が微妙に影響したように思う。準決勝を前に、消耗が最も激しかった前橋育英がこの恩恵に浴した。花巻東は直前のカット打法禁止とサイン盗み疑惑による精神的ダメージにさらされ、試合に集中できない時間ができてしまった。ただ、両校とも大半を地元出身選手が占めていて、東北勢の力が本物であることを証明した。1強独走の福島や青森の2強は、依然、多数の県外出身選手で構成されてはいるが、岩手、山形、宮城の強豪私学は、地元志向になっている。青森は昨年、弘前聖愛が、地元選手だけで2勝した。他校のレベルも上がっていることの表れで、福島でも地元密着の学校の奮起に期待したい。また、唯一、強豪私学(明桜)が県外生を殆ど採用しない秋田は、公立の健闘が光る。近年、東北勢で最も苦戦している秋田は、公立校上位がその原因である。ただし、長い野球の歴史を紐解くと、投の山田久志(能代)、打の落合博満(秋田工)という傑物を輩出している秋田は東北随一の野球王国である。
滋賀、宮崎は出場回数の少なさと選手の分散化
レベルの高い近畿で、滋賀は出場機会に恵まれなかった歴史が尾を引いている。特に夏は京都の壁が厚く、夏の甲子園勝利は昭和54年(1979年=比叡山)と、全国で最も遅かった。夏の第1回から予選には出場し、プロ球界にも多くの好選手を輩出していてレベルが格段に低いわけではない。しかし近年は最有望選手が県外に流出する傾向が強い。また残った選手もいくつかの有力校に分散してしまう。それは名門と呼ばれるチームが存在しなかったことの表れで、長い苦難の歴史に起因している。「滋賀選抜になればそこそこ強いですよ」と北大津の宮崎裕也監督(53)は話すが、指導者から見れば歯がゆいことだろう。宮崎も滋賀とたどってきた歴史や現状はよく似ている。夏の初出場は滋賀より遅く、有力校の分散化はさらに鮮明だ。宮崎は半世紀に渡って、夏の連続出場校がない。継続して力を維持しているチームがない証拠とも言え、県北の延岡勢から県南の日南、都城勢まで、名を知られた強豪は県全体に大きく散らばっている。交通の便もよくないため、当然、有望選手が特定の学校に集中しづらい。気候に恵まれ、プロ野球のキャンプ地でもある宮崎が、意外にも高校野球で苦戦する原因はこのあたりにある。
勢い出始めた山梨、新潟は最短距離に
関東勢では山梨が決勝進出すらないのは意外な感じがする。サッカーやラグビーが強い同県も野球をするには気候が厳しい。また、名門が存在しないことも一因だろう。1県1校以前から強かったのは甲府工だけだ。近年は東海大甲府の活躍が目立つ。また、清峰で優勝経験のある吉田洸ニ監督(45)を迎えた山梨学院大付が、春の関東で優勝するなど、勢いが出てきた。東京や神奈川と隣接していて、有望選手が入学しやすい好条件もある。最近、急激に力をつけてきたのが新潟。
日本文理が中京大中京(愛知)を追い詰めた09年夏の決勝は記憶に新しい。今世代も秋の神宮大会で準優勝し、センバツでは優勝候補に挙げられた。野球留学生で構成された私学がないことと、県が広く冬に雪害が多大なことが野球のレベルアップを阻んできた。文理とライバルの新潟明訓が競い合って力をつけ、交通網の整備などで対外試合をやりやすくなったことで一気に全国レベルに達した次第だ。冬場の練習に工夫が加われば、さらに期待感は増す。現状、新潟が空白解消の最短距離にいる。
北陸は設備の強化も課題に
北陸3県は、寒さもさることながら、雪に悩まされることが多い。立派な室内練習場を完備している学校はわずかで、設備の面では他地区に水をあけられている。石川は、星稜が松井秀喜(巨人)時代に優勝の期待をかけられた。その後、95年夏の準優勝もあったが、悲願は持ち越しとなっている。近年は遊学館と航空石川が台頭し、金沢とともにしのぎを削る。福井は、昭和53年(1978年)センバツの福井商準優勝からにわかに力をつけた。福井は福井市を中心とする嶺北と、敦賀市を中心とする嶺南で気候も県民気質も大きく違っている。近畿に近い嶺南が野球の発展は早く、敦賀と若狭が県をリードした。現在も福井市の福井商と工大福井、敦賀市の敦賀気比が激しく代表の座を争う。県としては、内海哲也(巨人)を擁して優勝候補筆頭に挙げられた2000年センバツでの敦賀気比の出場辞退が痛恨であった。
この地区では、富山の苦戦が目立つ。ミラクルぶりを存分に発揮して甲子園の人気校となった新湊の春4強(昭和61年=1986年)が最高成績。昨年、「まだ見ぬ強豪」としてファンから出場を待望されていた富山第一が、ついに大舞台に立った。しかもいきなり8強に残り、インパクトは十分。投打にわたってスケールの大きな野球はこれまでの同県のイメージを一新するもので、富山第一の今後に期待が膨らむ。
山陰勢は活性化も必要か
空白解消に最も遠いとされるのが、鳥取、島根の山陰勢。東西に長く、都市が分散しているため、県内の有望選手は集中しにくい。それぞれの都市に根ざした名門は、同時に勉強名門でもあり、野球少年にとっては入学が困難だ。両県とも近年は強豪私学が公立を圧倒する傾向にあるが、県外選手が多数を占めるチームも施設や環境面では、東北の強豪に及ばない。さらに、地域の問題として、人口減が全国で最も顕著である。センバツに直結する秋の地区大会では、岡山、広島、山口の山陽勢に太刀打ちできなくなっているのが現状。センバツに携わる者として、活性化のために「山陰枠」を設けては、とさえ思っている。
甲子園をめざす予選が始まった。「空白解消」の期待を持ってこれら15県の代表に視線を送っていただければ、少し違った楽しみ方を見つけ出せるかもしれない。