後輩である藤田菜七子とフランス遠征に刺激を受け、約7カ月の海外修行から帰国したジョッキーのこれから
競馬場の近くで生まれ、根本厩舎から騎手デビュー
11月11日、東京競馬場の第1レース。ダート1400メートルの2歳未勝利戦を勝ったモリノカワセミ(美浦・大江原哲厩舎)に騎乗していたのは野中悠太郎騎手。これが実に3月以来となる今年2つ目の勝ち星であった。
半年以上、彼が勝てなかったのには大きな理由があった。
1996年12月29日生まれだから現在21歳。福岡県の小倉で生を受け、父・浩、母・浩美の下、3歳上の兄と共に育てられた。
競馬との繋がりは家の近くに小倉競馬場があった事。
「モノレールに乗っていると”小倉競馬場前”という駅がありました。変わった名前なので気になって、父に聞いたのが最初でした」
こうして競馬の存在を知ると、小学4~5年生の頃には「騎手になりたい」と言っていたそうだ。
「初めて生で見たのはダンスアジョイ(18頭立ての16番人気)が勝った小倉記念でした。全然人気のない馬でも勝てるのを知り、ジョッキーになりたいという思いがますます強くなりました」
そこで乗馬を始めた。すると……。
「高さはあったけど怖いとは感じませんでした。むしろ最初から楽しくて、自在に操れるようになればもっと面白くなるだろうなと思い、毎週末、休まずに乗馬を続けました」
こうして競馬学校を受験すると一発で合格。競馬学校に入学した。
そこで師匠となる根本康広との出会いがあった。元騎手である彼の話は野中の心を掴んだ。根本厩舎には先輩騎手がいる事も知った。当初、出身地から関西所属になるつもりでいた野中は翻意。根本の下でお世話になることを決意。こうして2015年3月に、根本厩舎から騎手デビューを果たす事になった。
刺激を受けた菜七子デビューとフランス遠征
「根本先生は僕が実習生の頃から細かい注文をする事はなく、いつも『自分で考えて、感じたように乗りなさい』と言ってくださいました。また、丸山(元気騎手)先輩も聞けば何でも答えてくれました」
環境には恵まれたと思うと口にした。しかし、同時に競馬の厳しさも、いきなり知る事になった。
初勝利は7月19日。デビューしてから4カ月半も過ぎてから。結局1年目は4勝を挙げるにとどまった。
2年目も初勝利までは時間を要した。しかし、ここで1つ、刺激を受ける出来事があった。
藤田菜七子デビュー。
同じ根本厩舎から、いわば“弟弟子”ならぬ“妹弟子”という形で、JRAとしては久々となる女性騎手の藤田がデビューを果たした。
競馬面を飛び越え、社会面でも取り上げられるほどになった彼女を目の前にみて、先輩の矜持が騒がぬわけはなかった。
「菜七子について意見を求められるような取材も多々ありました。でも不思議と嫌だと思う事はなく、むしろあれだけ騒がれても頑張っている菜七子をみて、自分も負けていられないと考えるようになりました」
結果、2年目は11勝、3年目となった昨年17年は13勝。僅かではあるが、確実に成績を伸ばしていった。
そんな彼から「相談したい事がある」と言われ、食事をしたのは、彼が若手騎手招待として、フランスで騎乗する機会にも恵まれた後の事だった。これに刺激を受けた彼は、次は招待ではなく、自ら外国へ出向いて、馬漬けの日々を送り騎手としてのスキルをアップさせたいと言って来たのだ。
海外での長期修行で学んだこと
いわゆる外国での修行。そんな苦労を自ら買って出た結果、野中は今年の3月からアイルランドへ渡る事になった。
「せっかく行く限りは少なくとも半年は帰らないで、色々な事を身につけたい。そんな思いで飛行機に乗りました」
アイルランドでは当初、ジョン・ムルタ厩舎に籍を置いた。騎手時代には短期免許での日本での騎乗経験もある調教師ではあったが、ヨーロッパの誇りと厳しさが、異国から来た弱冠21歳の騎手に容易に騎乗馬を与えてはくれなかった。来る日も来る日も調教のみに明け暮れた。ジョッキーとして競馬に乗って勉強したいという気持ちが無くなる事はなかったが、気の持ち方1つで、調教からも得る事は沢山あった。
「ムルタや元名騎手のマイケル・キネーンと追い切りに乗る事もありました。カラの調教場は広大で、拳だけでなく下半身を使い、バランスを取りながら馬を抑える必要があります。坂の上り下りも激しく、凹凸もキツいので、馬のリズムを極力崩さないようにコントロールして乗る勉強になりました」
6月14日には、かの地に渡って約3カ月目で初めてレースで騎乗出来た。現地で開業する日本人調教師の児玉敬も依頼してくれると、野中は2着に好走するなどして、少しでもその期待に応えられるよう、頑張った。
「なかなか勝つ事は出来ませんでした。でも、カラやレパーズタウンといった主要競馬場は勿論、ネイスやゴウランパークなど、多くの競馬場で乗せていただきました」
そんな中、競馬では次のような事が勉強になったと続ける。
「コースはトリッキーだし、レースはタイト。いかにスタミナとパワーを温存させるかがすごく大切で、きちんとコントロールしながらしっかりプランを組み立てる事を教わりました」
また、最後の3週間はかの地のトップトレーナーであるエイダン・オブライエン厩舎で調教に乗った。更にロアリングライオンが勝ったアイリッシュチャンピオンSや、エネイブルが連覇を達成した凱旋門賞にも足を運んで観戦した。
「どれも大きな刺激になりました。いつかはこういう舞台で乗れるジョッキーにならないといけないと思いました」
こうして10月21日に帰国。同27日に7カ月以上ぶりとなる日本での騎乗を再開。冒頭で記したように11月11日、ついに帰国後初となる勝利を飾ってみせた。
「ユータローはスキルがあるので、経験を積めば必ず素晴らしいジョッキーになれるよ」
アイルランドでそう語ったのは、ジョッキー時代に英愛ダービー、凱旋門賞にキングジョージ6世&クイーンエリザベスSなど数々のビッグレースを勝利しているジョン・ムルタだ。名騎手だったそんな男のお眼鏡にかなった騎乗が見られる事を期待したい。
(文中敬称略、写真提供=平松さとし)