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北方領土のロシア軍近代化と地政学

小泉悠安全保障アナリスト
宇宙から見た国後島

周知の通り、第二次世界大戦後、ソ連/ロシアは北方領土を実効支配し、軍事力を展開させている。

また、数年前には「ロシアが北方領土の軍事力を近代化」といった見出しが新聞の紙面に踊ったことをご記憶の読者も多いことと思う。

だが、北方領土に実際、どの程度のロシア軍が展開しており、どのような役割を持ち、今後どうなるのか、といった詳細については意外に知られていない。また、思い込みに基づく誤解も多いようだ。

そこで本稿は、北方領土駐留ロシア軍について、なるべく正確な知識をお届けしたい。

軽歩兵部隊化しつつある北方領土駐留ロシア軍

現在、北方領土に駐留している部隊は、陸軍第18機関銃砲兵師団という。

ちょっと奇妙な名前だが、これは増援が来るまである地域を固守することを任務とする部隊で、「要塞師団」などとも呼ばれる。大抵は旧式装備部隊であり、専門用語で言うと「遅退戦闘」を行って、侵攻してきた敵を可能な限り足止めするのが役割だ。

2000年代のロシア軍にはこうした機関銃砲兵師団が5個編成されていたが、2008年から始まった軍改革の結果、第18師団を除く全てが解体された。そして、ロシア本土の部隊はすべてが軽量で機動性の高い「旅団」と呼ばれる小型部隊に再編されたのである。

(この経緯については先日の拙稿を参照)。

こうした中で第18師団だけが機関銃砲兵師団としての編成を維持した理由ははっきりしない。

上述の軍改革構想が発表された当初の時点から「第18師団だけは例外とする」とのアナウンスがあったことからして、ロシア軍には北方領土を特別扱いする意思がはっきりとあったことは間違いないだろう。

おそらく、地域防御部隊としての編成を敢えて北方領土だけに残すことで、簡単に領土を明け渡すつもりが無いことを示す、そのような意図があったのではないか。

ただし、現在の第18師団は、ソ連時代から兵力が大幅に減少(約1万人から、現在では3500人程度)し、実質は旅団と変わらなくなっているようだ。

また、かつては択捉島のブレヴェストニク飛行場(旧・天寧飛行場)に約40機のMiG-23戦闘機が展開していたほか、陸軍航空隊のMi-24攻撃ヘリなども配備されていたが、現在では撤退しており、目立った航空戦力は存在しない。

したがって、北方領土駐留部隊はほぼ純然たる地上部隊である。

しかも、その装備は極めて旧式で、1940年代後半に開発されたT-55戦車が2010年頃まで現役に留まっていた。

その後、戦車は他の極東地域の部隊と同じくT-80BV(とはいえこれも1980年代の設計で、決して最新型では無い)に更新されたものの、積雪の多い北方領土ではそもそも戦車の運用は不向きであると言うことで、現在では全て撤退しているようだ。このほかにもT-80BVへの更新と併せて旧式装甲車がそれよりは新しい(が、やはり最新では無い)BMP-2に更新されたことが確認されているが、これも戦車と一緒に撤退している可能性もある。

まとめるならば、現在の北方領土に駐留しているのは、実質的に旅団規模の軽歩兵部隊である、ということだ。

ちなみに、北方領土駐留部隊は現在、国後島と択捉島にしか配備されていない。歯舞及び色丹には国境警備隊の拠点が置かれているだけである。

進まない近代化

冒頭でも簡単に述べたが、2011年3月、ロシア軍参謀本部は北方領土駐留ロシア軍の近代化計画を策定し、国防相、そして大統領の承認を得た。報道によれば、この近代化計画によって北方領土には最新型のMi-28N攻撃ヘリや「バスチョン」対艦ミサイル、それに「ブークM2」中距離防空システムなどが配備されると言われていた。これによって北方領土にはソ連崩壊後初めて攻撃ヘリが配備されるとともに、射程300kmにも及ぶ強力な「バスチョン」対艦ミサイルによってオホーツク海や北極海航路への出口を扼する役割を持つことになると見られた(北方領土の地政学的な重要性については後述する)。また、軽装甲車「ティーグル」の配備が計画されているとの報道も見られた。

だが、この計画が発表されてから2年以上を経ても、北方領土駐留ロシア軍の装備近代化はほとんど進んでいない。Mi-28N攻撃ヘリは他地域への配備が順調に進んでいるにも関わらず、依然として北方領土には姿を現していないし、「バスチョン」に関しては黒海艦隊への配備を優先するために北方領土への配備を取りやめたとの報道がある。

また、ロシアがフランスから購入予定の2隻の大型揚陸艦「ミストラル」級を北方領土に配備するとの報道が日本では散見されるが、これは誤解である。現在、フランスのサン・ナゼール造船所で建造中の「ミストラル」級1番艦は「ウラジオストク」と命名されてその名の通り、ウラジオストクに配備されることが決定しているし(そのための埠頭の改修も行われている)、2番艦は北方艦隊に配備される計画だ。そもそも北方領土には、このような大型艦を係留できるだけの港湾設備がない。

まずはインフラ整備から

だが、ロシア軍が北方領土の軍備近代化をあきらめてしまったのかと言えばそうでもない。

そこで確認しておきたいのが、「北方領土は被災地である」ということだ。北方領土を含むカムチャッカ半島から千島列島は日本と同じく環太平洋造山帯の一部であり、地震活動が極めて活発である。以前、国家非常事態省の専門家に聞いたところでは3-5年に1度程度の頻度でマグニチュード6クラスの大規模地震が発生しているという。津波の被害に遭うこともしばしばで、ロシアで唯一、津波早期警戒網が整備されている地域でもある。

特に1994年の北海道東方沖地震では、北方領土は大きな被害を受けた。Google Earthに様々なコメントをつけられるWikimapiaというサービス([wikimapia.org wikimapia.org])があるが、これで北方領土を見ると、第18師団に勤務していた軍人達の生々しいコメントを読むことが出来る。

たとえば師団司令部があるガリャーチエ・クリューチを見てみると、

http://wikimapia.org/#lang=ja&lat=45.034457&lon=147.759869&z=16&m=b

かなりの建物が自身で破壊されたらしいことが伺える。

さらに地震による被害だけで無く、建物の老朽化も深刻だ。たとえば以下のページには、軍人住宅のルポ写真が掲載されているが、ほとんど廃墟である(にも関わらずまだ住人達が居る)。

http://ovsiasha.livejournal.com/7610.html

筆者も1964年建設というモスクワの団地(通称「フルシチョフの貧民街」と呼ばれる粗製濫造団地)に住んでいたことがあるが、それがメンテナンスもされないまま朽ちるに任せているようだ。

ロシアは近年、クリル発展計画と呼ばれる北方領土のインフラ整備を進めているが、その動機のひとつはイワノフ大統領府長官が副首相時代に北方領土を訪れ、そのあまりのひどさにショックを受けたことであるという。

こうした事情もあって、北方領土の軍備近代化は、まずインフラの整備・再建が優先されていると見られる。

2011年にはロシアの高官が北方領土を集中的に訪問し、日本でも関心を集めたが、その一人であるブルガーコフ国防次官は軍の兵站やインフラ整備を担当しており、インフラ整備計画の下見を兼ねていたのだろう。ロシア軍の発表によれば、今後は5箇所に分散している駐屯地を2か所に集約し、集中的にインフラ整備を進める計画であるという。

インフラ整備の対象は、駐屯地だけではない。

現在、ロシアが力を入れているのが飛行場の近代化だ。択捉島では前述のブレヴェストニク飛行場を拡張するとともにその付近に新たな民間空港を建設しており、国後島では2006年から使用不能になっていたメンデレーエヴォ飛行場の再建工事が行われている。従来、北方領土には小型輸送機しか離発着できなかったが、これら飛行場の新設・近代化によってロシア軍の標準的な大型輸送機Il-76やその改良型Il-476の離発着が可能となる。着陸誘導装置等も改善されると見られ、夜間や悪天候時の離発着も可能となるため、有事に大量の増援を送り込む能力が格段に高まることとなろう。

北方領土とロシアの核戦略

すでに触れたが、北方領土は地政学上、極めて重要な位置にある。

第一に、ロシア太平洋艦隊の弾道ミサイル原潜(SSBN)部隊はすべてカムチャッカ半島の太平洋側にあるペトロパブロフスク・カムチャツキーを母港としており、オホーツク海のパトロール海域や、ウラジオストクのメンテナンス施設にアクセスするには千島列島を通らねばならない。

だが、その大部分は冬期には氷結してしまう上、原潜が潜航したまま通航できる海峡となると、北方領土の国後水道などルートが限られてくる。

このような不便な場所にSSBN基地を置いたのは、当時のSSBNの搭載する潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の射程が短く、アメリカを狙うには太平洋側に進出する必要があったためだが、1970年代になるとSLBMの射程が伸びたこともあり、パトロール海域がより安全なオホーツク海に移されたためだ。

実は一時期、ソ連軍は北方領土から兵力を撤退させていたのだが、このような戦略の変化に合わせて1978年に部隊が再配備されたのである。つまり、最初から北方領土駐留部隊は航路防衛の任務を担っていたことになる。

この点は日本のメディアでもよく指摘されることだが、ただし、絶対化すべきではない。実は2000年代初頭、ロシアはペトロパブロフスク・カムチャツキーからSSBN部隊を撤退させてSSBNを北方艦隊に一本化することを検討していた。この話はイワノフ大統領府長官が国防相時代に持ち上がったものの、同氏は現地を視察した上で撤退を中止させたという経緯がある(最近発表された本人の回想による)。SSBN部隊の北方艦隊への一本化という話は、2000年代後半にも持ち上がった。

また、ロシアは黒海艦隊の母港であるウクライナのセヴァストーポリが対ウクライナ関係の悪化で使用不可能になる危険性に直面した際にも海軍基地を丸ごとロシア領内のノヴォロシースクに移転させようとしたことがある(基地の建設は実際に行われ、現在も工事中)。

つまり、SSBNの航路だから北方領土を手放したくない、というロジックは一面では真実ではあるが、だから何が何でも北方領土を手放す訳にはいかない、ということでも決して無い。北方領土交渉に関してロシアがこのようなロジックを持ち出してきた場合には、北方領土を経由しなくてもよい位置(たとえばカムチャッカ半島のオホーツク海側のどこか)にSSBNの母港を移すというオプションも考慮できる筈だ。

北極海航路のチョークポイント

しかし、第二に、北方領土はもうひとつの地政学上の重要性を有している。それは北極海航路に抜けるチョークポイントとしての意義だ。

近年、北極の氷の減少に伴って北極海航路がヨーロッパとロシアを結ぶ最短航路として注目されているが、通常の水上艦船が一年を通じてロシア極東部から北極海航路に入ろう(あるいはその逆)とすれば、氷結しない北方領土付近の航路はどうしても通らなければならない隘路(チョークポイント)となる。

これはロシアにとってだけの話ではなく、太平洋への出口を日本にふさがれている中国にとっても同様だ。近年、中国は北極海航路と北極資源とに強い関心を有しており、北極海航路の西側の出口であるアイスランドへの進出を進めている。また、中国は2000年代から艦船をオホーツク海方面に進出させはじめ、2012年には北極観測船「雪龍」がカムチャッカ半島南端を通って北極海に進出し、ロシア以外で初の北極点横断を行った。

こうした動きにロシアは神経を尖らせており、2011年にオホーツク海で行われていた海軍大演習ではカムチャッカ半島からの対艦ミサイル発射訓練を(当初の予定日を変更して)「雪龍」の通過当日に行う等している。

SSBN基地の場合と異なり、北方領土が北極海のチョークポイントにあたるという地政学的地位は動かすことができない。しかも北極海航路の重要性は今後、ますます高まる一方である。

北方領土と北極海のリンケージは、北方領土交渉に関するロシアの立場を理解する上でもっと意識されてもよいポイントと言えよう。しかも、もし北方領土交渉を「3島」あるいは「面積二等分」で行い、そのような形で妥結するならば、日本は南シナ海に続いてオホーツク海でも中国のチョークポイントを握ることになる。

もう一点、北方領土の軍事力近代化は今のところインフラ整備に留まっているとは言え、今後、大規模な装備更新が始まる可能性は十分に残っている。これからの動向にも十分に注意を払う必要がある。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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