「地方創生」への違和感。自宅から徒歩30分圏内こそ「わが町」だ、と頭ではなく体で感じる
「名古屋から来たんだね」と言わないで。愛知=名古屋ではありません
「地方創生」という言葉を耳にするようになって久しいが、実際に地方に住む者にとってはいまいちピンと来ない。県や市の単位で何かイベントがあったりしても他人事にしか思えない。行政区分は、生活する人の実感とはあまり関わりがないからだ。
筆者は愛知県東三河地方の蒲郡(がまごおり)市にある蒲郡駅近くの賃貸マンションに住んでいる。仕事で他県に行った際に住所を口にすると、3人に2人ぐらいの割合で「ああ、名古屋から来たんですね」と返される。名古屋と蒲郡。確かに同じ県だけれど、一体感はほとんどない。大げさに言えば、オーストラリアとニュージーランドぐらい違うのだ。オセアニアという大まかな括りで一緒にするのは無理があるだろう。
では、蒲郡市が「わが町」なのか。それもちょっと違和感がある。蒲郡市は三谷町・蒲郡町・塩津村・形原町・西浦町・大塚村の6つが戦後に合併して作られた自治体だ。例えば三谷には海中渡御で有名な奇祭があり、大塚にはHISが立て直した「ラグーナテンボス」や進学校の「海陽学園」がある。しかし、旧蒲郡町に住んでいる者としては、外の人から「家族でラグーナテンボスに行ったことがあるよ。楽しかった!」と言われても誇らしく思うことはない。「隣の、そのまた隣の町のことだから」という冷めた気分である。
徒歩で気軽に行き来できる安心感。その中心は氏神様
身体感覚として納得できるのは、神社の氏子会だ。地元の神社(氏神様)はたいてい江戸時代前からその地にあり、自動車や電車を使わずに歩いて行ける。自宅から徒歩30分圏内のところに氏神様は必ずあると思う。
筆者は熱心な神道信者ではないが、今年で41歳になるので、厄払いを兼ねて地元の「厄年会」に入れてもらった。氏子の中から同学年の男性が自主的に集まり、安くはない年会費を払う。そのお金で神社に奉納したり、年末年始の参拝者にお汁粉を振る舞ったりして厄を払わせてもらうのだ。
筆者たちの厄年会は23人で構成されているが、当然ながらほぼ全員が徒歩圏内に住んでいる。駅前でばったり顔を合わせることもしょっちゅうだし、集まるときに打ち上げの酒を飲んでも全員が歩いて帰宅できる。メンバーの7割ぐらいは同じ中学校(蒲郡中学校)の卒業生で、筆者を含む残りの3割は結婚をきっかけに引っ越して来たよそ者。しかし、今では同じ町に住み、気軽に顔を合わせられる仲間だ。秋祭りには一緒に神輿を担ぐ。
ダニエル・E・リーバーマン『人体600万年史』(早川書房)によれば、人間の身体は産業革命はおろか農業革命以前からほとんど変わっていない。つまり、自分たちの手足と簡素な道具だけを使って狩猟採集をしていた頃と同じなのだ。この事実と太古の記憶が、地域共同体の範囲を規定しているのだと感じる。
自動車や電車を使わなければ簡単には行けない場所を「わが町」とは思えないし、IT機器を使わなければ連絡がとれない人に「同じ町の人」としての親しみを覚えることはない。「遠い親戚よりも近くの他人」という諺は、このような身体感覚から生み出されたものだと思う。
ささやかな勇気と行動があれば、お金をかけずに生活を豊かにできる
筆者は地元の友だちと一緒に「蒲郡駅前偏愛地図」というささやかなフリーペーパーを作成し、1000部だけ印刷して配布している。蒲郡駅からは徒歩20分圏内、自宅からでも徒歩30分圏内の店、公園、人、歴史だけに焦点を当てて、誉めまくる内容だ。毎年1回だけの遊びだが、「わが町」への理解と愛情が少しずつ深まっている。
SNSで遠い友だちとつながるのもいいけれど、同じマンションで暮らしている隣人と挨拶ぐらいは交せたほうが生活の質は向上すると思う。ちなみに筆者と妻は、昨年末に勇気を出してマンションの同じフロアの他3世帯に「うちで一緒に飲みませんか」と誘ってみた。嬉しいことに全世帯が子連れで参加してくれ、今では挨拶だけでなく食糧を交換できる間柄だ。緊急時はお互いに助け合えるだろう。お金をかけずに、生活をより安全に楽しくできたと感じている。
行政やコンサルティング会社による「地方創生」や「町おこし」を否定はしない。ただし、我々住民の一人ひとりは、もっと地に足がついた活動をするべきだと思う。本当の意味での「わが町」を知ると、日々の暮らしがより安心かつ楽しくなる。そのためにはささやかな行動があれば済むのだ。近所の人とゴミ捨て場などで会ったら笑顔で挨拶をしよう。すべてはそこから始まる。