ロシア正教の長はプーチン大統領にどの程度影響力があるのか。クリスマスで浮き彫りになった露ウの大変化
1月8日で、プーチン大統領が提案した「停戦」が実行されないまま、クリスマス休暇は終わった。
ロシア正教会では、クリスマスを伝統である欧州の旧暦で祝っている。12月25日は新暦だと1月7日にあたるが、今回のクリスマスは、ロシアとウクライナの宗教界の大きな変化を見せつけた。
プーチン大統領が皇帝の教会でミサに臨む
まずロシア側。
プーチン大統領は、1月7日のクリスマスのミサで、異例なことに、クレムリンの中にある「受胎告知大聖堂」での祝典に出席した。
この大聖堂は、皇帝のための教会として設計されたものだ。しかも、たった一人での参加だった。
例年プーチン氏は、ロシアの地方やモスクワ郊外にある正教会で行われるクリスマス礼拝に出席していたのだ(これらはクリスマス・イブに行った)。
この皇帝の教会「受胎告知大聖堂」は、大変由緒ある、歴史的に特別な教会だ。
13世紀には既に、同名の木造教会が存在していた。しかし、度重なるクレムリンの火事で犠牲になることが多かった。
そのため、イワン3世が15世紀に、クレムリンの大規模な改修計画の一環として、再建築。この教会を個人的な礼拝堂に選び、宮殿の個人的な部屋から直接つながる階段が建設された。
そして孫のイワン雷帝(4世)が16世紀に即位したときから、ロシアの皇族はこの教会で礼拝し、結婚し、子供に洗礼を授けてきたのだ。雷帝の時代には、建て増しが相次ぎ、教会に豪華さが加えられた。
1917年のロシア革命では、戦闘中に大聖堂が損傷。その後、宗教を否定するボルシェビキ政権によって閉鎖された。
1950年代になると、クレムリンに現存する他の教会とともに、博物館として保存されるようになった。
冷戦が終わった1992年以降は、モスクワ総主教による「受胎告知の祝日の礼拝」など、時々宗教的な行事で使われるようになっている。
「プーチン皇帝」「ロシア帝国主義」と批判や皮肉をこめて呼ばれる昨今、皇帝の教会で行われたクリスマス礼拝にたった一人で参加したことは、何を意味するのだろうか。
ウクライナ独立教会が初めて最も由緒ある教会で礼拝
一方のウクライナでは、同国の宗教史における超画期的な出来事が起きた。
2019年に独立したウクライナ正教会が初めて、キーウの最も歴史的で由緒あるペチェールシク(洞窟)大修道院で、クリスマスの儀式を執り行ったのだ。
この大修道院は、今まではいわばロシア正教会に属していたと言ってよかった。
ウクライナ正教会は、それまでずっと330年以上も、ロシアのモスクワ総主教庁の下位組織であり、支部であった。それが2019年1月、モスクワと対立関係にあった、権威はあるが力はないコンスタンティノープル正教会の支持を受けて、念願の独立を果たしたのである。
◎参考記事:【前編】ウクライナとロシアの宗教戦争:キエフと手を結んだ権威コンスタンティノープルの逆襲
それ以来ウクライナでは、ロシア正教会のウクライナ支部と、独立したウクライナ正教が、分裂して争ってきた。
キーウで最も由緒あるペチェールシク大修道院をめぐっても、争っていた。11世紀の建立であり、前述したロシアの教会よりさらに古い。ユネスコの世界遺産として登録されている。
この大修道院は、国立博物館の歴史文化保護区として管理されている部分と、ロシア正教会のウクライナ支部の管轄する部分(つまりはロシア正教会が支配する部分)で成り立っていた。独立教会は、自分たちの管轄となるべきだと主張していたのだ。
5月には、モスクワ支部のウクライナ教会が、ロシアとの断絶を決めた。理由はシンプルかつ深淵で、ロシアの侵略によって大切な人を失ったウクライナ人は、ロシアの下位組織にあるウクライナ正教会や、その司祭によるお葬式や埋葬を拒んだからである。
◎参考記事:悪魔思想に取りつかれるプーチン政権。原発にミサイル、ウクライナ教会の破壊。イスラム教徒と聖戦共闘か(後半の「ロシアへの従属を捨てた正教会の爆破」の段落を参照)
12月に、大修道院は独立したウクライナ教会の管轄に移された。そして今回、独立したウクライナ教会として、初めてここでクリスマスの儀式を行って祝ったのである。
大修道院は広大な敷地で、その中にある最も大きな大聖堂「生神女(マリア様)就寝大聖堂」で礼拝は行われた。
ただ、セキュリティは厳重に警戒された。軍服姿の男性も含んだ警察の厳重な監視がなされ、参拝者はパスポートを見せ、金属探知機を通らなければならなかった。
ウクライナ当局はここ数週間、宗教施設の捜索を何度も行い、親ロシア的な姿勢の聖職者を罰している。この修道院も例外ではなかったという。
『ル・モンド』が報じた。
キリル総主教とプーチン大統領の関係
ロシア正教会のトップは、キリル総主教という人物である。
2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以来、ロシア大統領が決めた介入を熱烈に支持するようになった。
ロシア正教会にとっては、ロシア国民とウクライナ国民(とベラルーシ国民)は、一つの同じ民族なのである。
2月27日には早くも、説教の中で、両国の歴史的統一に反対する者たちを「悪の勢力」と表現している。
9月末の説教では、「軍事的義務」を果たしながら殺害された人々は「すべての罪を洗い流す犠牲」を払ったと断言した(戦争で死ねば、すべての罪が洗い流せるという意味)。
英仏語の記事を読んでいると、キリル総主教は戦争をたきつけて鼓舞しており、政治家は、宗教界のそのような動きに連動している、あるいは染まっているという印象を与えるものが多いように感じる。
ここで大きな疑問がわく。
ロシアの宗教界の長であるキリル総主教は、国家元首であるプーチン大統領にどの程度の影響を与えることができるのだろうか。
「正確な意味においては、キリル総主教はロシア国家の体制の中で、そのような力はもっていません」と、ロレーヌ大学のアントワーヌ・ニヴィエール教授はFrance 24に説明した。
「彼は、政権の精神的指導者ではありません。しかし、ロシアの主要な伝統宗教を代表しているので、システムの一部なのです」。
本名ウラジーミル・ミハイロビッチ・グンディエフは、30歳でモスクワ総主教座の外交部門の中で司教になった。
父と祖父はともに聖職者で、ソ連の収容所にいた。
この渉外部は、「他国の宗教者や政治権力者と定期的に関係を持つため、KGBと密接に連絡を取り合いながら、極めて政治的な活動を行っていた」という。
このグループを構成する聖職者たちは、「外国滞在からの帰国報告書や、外国代表団との接触報告書」を提出しなければならなかったと、ニヴィエール教授は説明する。
ソ連崩壊後の1990年代初頭、KGBの活動を調査したロシア議会の委員会は、「ミハイロフ」という名のエージェントが現在のキリル総主教であることを、高い確率で立証した。
「これらの要素は、当時非常に統制され監視されていたロシアの教会と、KGBとのつながりを強く疑わせます」と教授は指摘する。「プーチンのようなKGBのメンタリティをもつ人々にとって、彼は仲間の一人なのです」。
キリル氏がプーチン体制とロシアの体制に属しているのは「国家に誓約を与え、善良で忠実な奉仕をしたため」だという。
「プーチン大統領とキリル総主教は定期的に会っています。ロシアの修道院に共に短期滞在することもあります。二人の間には、ある種の親密さはあるが、強い共謀はありません。お互いの利害が絡む微妙な駆け引きなのです」とニヴィエール教授は分析する。
キリル総主教の外交感覚
キリル総主教は、体制に属している存在で、政権の精神的指導者ではないとして、彼は一体何が望みなのだろうか。
本当はもっと政権に影響力を及ぼしたい、政権にはもっと戦争で強硬な態度を取ってほしいのだろうか。
実際、ウクライナは歴史的にスラブ系キリスト教の発祥の地である。キーウ(キエフ)は、ロシア発祥の地となっている。
そして、ウクライナ支部は、モスクワ総主教庁の教区の約3分の1を占めていた。そして実践的な信者の数は、ロシアよりウクライナのほうがはるかに多いという。
だからこそ、ロシア正教会の立場としては、絶対にウクライナの離反は許せないのだろうが・・・。
現実は一層複雑であるようだ。
キリル総主教は、クリミア併合に根本的に反対していたというのだ。そのようなことは、ロシア正教会に深い影響を与えることを知っていたからだという。
ロシアを専門とするパリ政治学院の研究ディレクター、キャシー・ジャンヌ・ルセレ氏が、『ル・モンド』に説明した。
しかし、併合はなされてしまった。彼は、クリミア併合の法的に正式な調印式には欠席している。キリル総主教にとって、クリミア併合と引き続き起こったドンバス紛争は、大きな挫折だったという。結局、懸念は現実のものとなり、ウクライナ正教会は2019年に独立した。
だから今の戦争を支持することは、キリル総主教にとって新たな挑戦なのだという。
3月には約300人の司祭が戦闘停止を求める書簡を出した。司教はウクライナ出身者が多く、状況をよく知っていた。
それ以来、特に何か動きがないまま、前述したように330年以上もロシアの支部であり続けたウクライナ教会は、5月にはロシアに断絶を告げた。
「キリル総主教は、世界のキリスト教界から疎外されることを非常に恐れていました」と、ニヴィエール教授は説明した。
だから3月18日に招集した高評議会において、自分は数日前にビデオ会議で、カトリック教会のフランシスコ教皇や、英国国教会のカンタベリー大主教であるジャスティン・ウェルビー氏など、他のキリスト教の宗教指導者と話したと語り、そのような「個人的な接触」を自分で賞賛していた。
さらに「私たちの対話相手は、私たちの敵にはなっていません。このことは、神のおかげで、政治的状況が、信徒たちと築いた絆を破壊していないという意味です。(中略)私たちの教会は、こうしたコンタクトがなければ、完全に孤立してしまうでしょう」とも述べた。
つまりキリル総主教は、ロシア聖職者の超保守的潮流とは、一線を画していたことになる。超保守派は、キリル総主教が2016年にフランシスコ・ローマ教皇と会談したことも非難し、異端とされる他のキリスト教会派との関係を、非常に敵視しているのだという。彼なりの外交感覚はあるようだ。
「キリル総主教は、非常に知的で聡明、かつ巧みな人物です。彼は政治的センスがあり、人前で自分を表現するのが上手です」とニヴィエール教授は説明した。
また、彼はロシアで非常に大きな影響力を持っているだけではない。
「キリル総主教は、世界最大の正教会の長であり、世界で最も裕福な正教会の聖職者でもあります」。そのため「彼は国際的に非常に強い影響力をもっています」と、ジャック・ドロール研究所のロシア・東欧研究員で、パリ政治学院のシリル・ブレ教授は言う。
「キリル総主教は、政府関係者、特に大統領の政党『統一ロシア』の保守派と非常に親密な関係にあります。メドベージェフ元ロシア大統領とは、極めて親密な関係にあります」とも解説する。
キリル総主教が停戦を要請、これを受けてプーチン大統領が36時間の停戦を発表したのは、宗教界への影響も考えたようだ。ニヴィエール教授の解説によるとーー。
まず、ウクライナの正教徒の間で非常に悪化しているキリル氏のイメージを改善するため。
もう一つは、キリル氏が数ヶ月前から言われているような戦争屋ではないことを世界的に示すジェスチャーのため。
世界には大勢のキリスト教徒がいる。他のキリスト教会とのエキュメニカルな関係、つまりキリスト教の教派を超えて結束を目指すような関係において、国際的なイメージを向上させる機会と考えたものだという。
強硬に見えるプーチン大統領もキリル総主教も、各界におけるさらなる超保守派・超強硬派との協調や牽制をしながら、舵を取ろうとしているようだ。
しかしどの程度制御できているのか、戦争が長引くにつれて、自分たちも次第に引きずられ染まってしまっているのかどうかは、今後もさらなる観察が必要だろう。太平洋戦争の日本の例を出すまでもなく、超保守派と宗教と政治が相関する動きは、戦争の行方を大きく左右するに違いないからだ。
最後に付け加えると、モスクワ総主教庁の正規の管轄権問題は、ロシアとウクライナだけのものではない。 旧ソ連諸国にもある。ロシア人移民や亡命者が在住国でつくる小教区では、緊張や摩擦、離反が起こっているのだ。