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圧巻のドキュメンタリー映画『正義の行方』4月27日公開! 20日に監督らのトークイベントも!

篠田博之月刊『創』編集長
遺棄現場に置かれた地蔵(『正義の行方』C:NHK)

既に死刑執行された事件で冤罪の可能性が浮上

 飯塚事件をご存じだろうか。1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された事件だ。警察が逮捕した久間三千年さんは一貫して無実を訴えたが、2006年に死刑判決が確定し、2008年に異例の早さで刑を執行された。ところが有罪の決め手となったDNA鑑定について、大きな疑問が持ち上がる。足利事件で有罪となった菅家利和さんが後に冤罪だったことが判明する決め手となったのと同じDNA鑑定が行われており、その鑑定方法に問題があったことが明らかになったからだ。飯塚事件有罪の決め手がひっくり返ったわけだ。

 足利事件は再鑑定によってDNAが無罪を示す決定的証拠となったのだが、飯塚事件においても弁護側が再鑑定を求めたところ、検察側は試料が残っていないと回答した。飯塚事件でも久間さんの死後に再審請求が起こされたのだが、もしそれが認められて冤罪だと判明すれば、無罪の人に死刑が執行されたことになり、これは司法制度の根幹を揺るがす前代未聞の事態になる。再審請求は2021年、最高裁で棄却されるのだが、遺族は同年、第2次再審請求を起こした。

飯塚事件再審弁護団(『正義の行方』より C:NHK)
飯塚事件再審弁護団(『正義の行方』より C:NHK)

飯塚事件を追い続けた圧巻のドキュメンタリー映画

 その飯塚事件を長年、NHKで追いかけてきた木寺一孝さんが制作したドキュメンタリー映画『正義の行方』が4月27日から渋谷ユーロスペースほか全国で順次公開される。再審請求で問われた問題点なども、その映画にはわかりやすくまとめられているが、圧巻は、事件当時の元捜査官や、地元で取材報道を続けてきた西日本新聞記者など当事者の証言が生々しく映し出されていることだ。特に元刑事らの証言については、事件からかなり時間が経っているとは言え、ここまで詳細になされるのは異例のことだ。木寺さんが取材し、NHKで報じてきた長年の映像も使われており、その量と迫力も含めてドキュメンタリー映画としてとても見ごたえのある作品だ。(以下、写真は断りのないものはC:NHK)

事件現場を訪れる西日本新聞元記者(『正義の行方』より)
事件現場を訪れる西日本新聞元記者(『正義の行方』より)

 この映画『正義の行方』のもととなったのは『正義の行方 飯塚事件 30年後の迷宮』と題して2022年にNHKBS1で放送されたドキュメンタリー番組だ。その反響は大きく、映画化を求める声を受けて、今回の作品が製作された。木寺さんは今回の映画公開に合わせてこの4月、講談社から著書『正義の行方』を出版。これもとてもよく売れている。

今回の映画『正義の行方』の公式ホームページは下記だ。

https://seiginoyukue.com/

公開1週間前に監督や再審弁護人のトークも

 また公開に先駆けて4月20日(土)午後零時半より新宿のロフトプラスワンで、木寺さんと飯塚事件第2次再審主任弁護人・岩田務弁護士、それと再審や冤罪問題に深くかかわっている映画監督の周防正行さんらによるトークイベントも開催される。主催は、周防さんが共同代表を務める「再審法改正をめざす市民の会」で、当日進行を務める私もその会の運営委員の一人だ。詳細は下記をご覧いただきたい。

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/280873

「再審法改正をめざす市民の会」(通称RAIN)については下記のホームページをご覧いただきたい。

https://rain-saishin.org/

 ちなみに再審法改正をめざす動きは、今大きく盛り上がっており、それについてはこのヤフーニュースでも報告している。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d586a657a50a9cf2bf89c029fbae79d57b5a5dd7

再審法改正へ大きなうねり!超党派の議連設立総会で鈴木宗男議員が大声で発した言葉とは

 さて、ここでは以下、3月に行った木寺監督へのインタビューを紹介しよう。

木寺一孝監督(筆者撮影)
木寺一孝監督(筆者撮影)

ドキュメンタリーの経緯と元刑事らの証言

――まずこの映画を観て多くの人が感じると思われるのは、映像の圧倒的な量と凄さですよね。事件当時捜査にあたった元刑事の生の声も貴重だし、NHKの映像も豊富です。木寺さんはNHKを退職したばかりですが、映画に使ったのはNHK時代に撮った映像が多いのですか。

木寺 映画の著作権はNHKなんです。私が撮った映像ではありますが、映画化にあたっては映画上映許可を得てNHKから提供してもらいました。

 飯塚事件については、2011年ぐらいから取材を始めて、2012年からロケを始めました。最初の頃は弁護団会議や三者協議後の記者会見は毎回、ずっと行ってたんです。だから古い映像も全部自分で撮ったんです。

 映画にする前に2022年4月にBS1スペシャルで3部構成のドキュメンタリー番組として放送しましたが、最初はNHKが番組とする際の条件としては、弁護士側だけの情報ではいけない、既に死刑が執行されているので、再審開始が決定されないとオンエアできないということでした。

――かなり高いハードルですね。

木寺 かなり高いです。あるいは私どもが、裁判では取り上げられていない何かスクープをつかんだ場合か、どちらかだという条件でした。だからなかなか企画の提案が通らなかったのです。

――捜査関係者への取材も木寺さんがやっているのですか?

木寺 もちろんそうです。1人で全部やってますんで。

 自分がクルーでロケした部分と、あとニュースリポートについてはNHK福岡局が当時作った特番だったりリポートみたいな、そういうアーカイブを活用しています。それをナレーション代わりに使いました。

――元刑事たちのインタビューはNHKのニュース番組などで使ったのですか。

木寺 使ってないです。BS1スペシャルの番組と今回の映画だけです。

 元々弁護団への取材だけだと提案が通らないので、あきらめかけたところに2017年から西日本新聞が飯塚事件について改めて検証するという連載を始めたものですから、それに影響を受けて、一度しぼんでた気持ちが、自分もやらないといけないなと勇気づけられたんです。西日本新聞も改めてゼロから、あらゆる人たちの取材をその連載でしてたんですね。そこで自分もやってみようと思って、山方泰輔元捜査一課長にアクセスしたのが、コロナ禍の前ぐらいだったですね。

――捜査側の証言をあれだけとれたというのもスクープで、放送の条件をクリアしそうな気もしますが。

木寺 それでも提案は通りませんでした。NスペでもETV特集でも通らなかったのです。新しいスクープをとってくるのは難しいし、ちょっと方向転換しないといけないなと思いました。そこで西日本新聞というメディアも含めた、弁護団・警察・メディアをできるだけフェアに描けないかという、それを局にも弁護団、そして警察にもそれぞれに説明しました。そしたら既に警察をリタイアしていた山方さんはわかった、と言ってくれたのです。

警察が抱いていた後ろめたさとは

――そこから芋づる式に他の元刑事にもあたれたのですね。

木寺 そうですね、元部下たちですから。もちろん取材に応じない人もいました。捜査側もやっぱり熱心に、それこそ胸のポケットに被害者の少女の写真をいつも入れて捜査するみたいな、警察としての正義みたいなことは、結構撮影の前から感じました。僕はいつも酒を飲んで関係を作っていきながら取材するんですけど、そこはひしひしと感じましたね。捜査に取り組む熱量みたいなものは。

 警察の中にもやっぱり何て言うか後ろめたさはあるんです。証拠を捏造したとかそういうことではなくて、被疑者の自白を取れなかったのは自分たちの落ち度だという責めがありました。もうひとつは、その前に起きた愛子ちゃん事件というのが、やっぱり行方不明事件ですけどその遺体も発見できない、事件解決に至らない、この2点がやっぱり警察、特に山方さんの頭の中にはあって、責めを持っている。そこはやっぱりちょっと揺れるんですよね。

山方泰輔元捜査一課長(『正義の行方』よりC:NHK)
山方泰輔元捜査一課長(『正義の行方』よりC:NHK)

――山方さん自身も何か、言っておきたいみたいな思いがあったのでしょうか。

木寺 あったかもしれませんね。ちょうど事件発生から30年ぐらいたった時期でしたので。やはり警察の現役の広報からは、捜査した事件のことは喋るなという要請は来るらしいんですよ。それに対して山方さんはもう関係ない、と。自分たちがちゃんと苦労、努力してやったことをちゃんと伝えるべきだと。今回映画の中ではそういうふうに取材に応えた理由を喋ってるところを使っています。

 最初は、やっぱりあんまり事件の話をしてくれなかったんです。自分の関わった武勇伝というか、あの方はやっぱり福岡県警でもトップの捜査官なので、同じ時期に起きた美容師バラバラ殺人を解決したり、そういう話もものすごく興味深いんです。そういう話をずっと延々5時間聞くようなことを何回もやりましたね。

――映画の中でも、この事件について確信を持ってるとずっと言ってますが、再審の行方は気にはしてますよね、当然。

木寺 そうですね。やっぱり自白が取れなかったという思いを山方さんは持っているんじゃないかな。映画の中でも、いくつかの間接証拠を合わせて裁判所に証拠と認められたと本人がおっしゃってるので、多分、久間さんを逮捕して自白をとれると思われたんじゃないかな。でも取調室では途中までうまくいったように見えたけれど、久間さんが突然貝のように口を閉ざしてしまう。

――映画でも被害女児の衣服が山中で突然発見されたというのが伏線みたいに語られていたけれど、結局、それについても落としどころがないわけですね。

木寺 わからないんですよね。もちろん山方さんは捏造なんて当然やってない、と言っていました。でも捜査を始めて25分ぐらいで出てきたんです、衣服が。

――不自然ですよね。

木寺 ただ警察側に取材するとやっぱり嘘発見器で久間さんに尋ねてかなり絞ったというんですね。あの谷まで絞ったから出てきたんだと。それは逆に警察はそう言うんですよね。

――嘘発見器はともかく、詳細な供述はしてないわけでしょ、久間さんは。

木寺 全くしてないです。否認事件です。

きっかけのひとつは西日本新聞の検証取材

――真相は何なのかというのは結局わからないわけですが、でも事件の問題点とか、よくあれだけの情報をまとめましたよね。しかも映像の迫力ってやっぱりすごい。

木寺 登場した人たちは役者じゃないかと冗談で言う人がいます。でも、30年前の事件なんですけど、関わった人たちはよく覚えてるんですよ。やっぱり彼らにとってはそのくらい大きな事件だったし、あの事件によって人生が変わったという思いもある。記憶が克明ですし、本当に今起きてるかのように話せる。やっぱり思い入れが強いんですね、飯塚事件に対して彼らは。

――そこの感じが映像で伝わってくるんじゃないかと思います。

木寺 今回はだから裁判の行方、事件の行方ではなくて、彼らの正義の行方という、ここは結構自分の中では、こだわったといいますか、一歩間違えると裁判の行方って袋小路になるんですよ。

 自分はそうではなくて、ある種のヒューマンストーリーなんだと思っていました。冤罪が疑われる事件を扱ってはいるんですけど、そこに関わった人たちの葛藤というのが一つ。あとは見る側がいろんな思いで見てくれればなと思います。

元西日本新聞社の宮崎昌治さん(『正義の行方』より)
元西日本新聞社の宮崎昌治さん(『正義の行方』より)

――テレビで放送したのと、この映画はどこがどう違ってるんですか。

木寺 今回は、ユーロスペースの支配人から提案があって映画化が動き出したんですけど、どう編集をするかという議論の中で、テレビや新聞、あるいは映画も含めてよく言われるオールドメディアというところが、ちゃんと対象に向き合って、肌で関わりながら取材し放送するという、そういう可能性をもう一回見出したいねという話がありました。そして西日本新聞の検証取材というのはすごいと。あれをもう少し強めて、メッセージとして扱えないかなという思いはありました。それで宮崎昌治さんというスクープを打った元記者をかなりフューチャーして、影の主人公みたいな形で描くという方針になったんですね。「自分の報道が裁かれる」という言い方をされたり、「自分たちはペンを持ったお巡りさんだったかもしれない」とまでおっしゃっている。ああいうことをお話しになる覚悟みたいなことも感じたので、それをやっぱり伝えたいなという思いがありました。

――テレビ版でもその宮崎さんの話は結構使ってましたよね。

木寺 でもその「ペンを持ったお巡りさん」というインタビューは映画だけなんですね。入社してスクープを取れと叩き込まれたというところから始まって、映画の方はほぼ、宮崎さん分が増えてるといいますか、裁判をずっと傍聴に行くんですよね、判決の日とか。そこの心の揺れみたいなことを1本の軸として追っている。

第2次再審でクローズアップされた三叉路(『正義の行方』より)
第2次再審でクローズアップされた三叉路(『正義の行方』より)

第2次再審請求と「空白の3分

――今行われている第2次再審請求と、映画の最後の方は繋がっているのですか。

木寺 元々第2次再審を出したときは、木村さんという男性が全然別のところで、青白い顔した男が、2人の少女を車に乗せていたのを目撃したと。その人は事件当時から警察に言ったりとかもしてるんですよ。それを新証拠として再審請求がスタートしたんですけど、もう一つ隠し玉として持っていったのが拉致現場、少女を最後に見たとされる農協職員の当時20歳ぐらいの女の人がいらっしゃるんですね。それが事件のあった朝8時半に三叉路で、出勤途中に見た、と。2人の少女が、学校に行きたくなさそうに歩いてた、と。3分後に同じ農協職員の女の人が通ったときにはそこにはもういなかった。しかもその近くで工事してた男の人が久間さんの車によく似た後輪ダブルタイヤ紺色ワゴン車が通るのを見た、とこれをくっつけて、一つの状況証拠になってるんです。

 だから8時半に拉致されたというふうに、「空白の3分」と言われてるんですけど、ここが一つのある種の起点になってたんですね。そこから八丁峠に行って11時ぐらいに目撃されている、この1時間半ぐらいの中で殺人と遺棄が行われている。

 この起点の8時半に見たという人は実は警察に言わされたんだと証言していたのを弁護団はつかんでいて、再審の法廷でも証言してたのを、彼女をおもんぱかって公表してなかったんですね。それが2月15日に公表に踏み切った。だから起点がなくなっちゃったということなんです。

――最後が三叉路だったというのは警察の調べでもそういう見立てになってたのですか。

木寺 そうです。8時半に見た、でもその3分後に見た人はいなかった。だからここでこの3分間に拉致された、と。確実なのは、ちょっと前にバス停のところで見たと、これ確実に知り合いが見てるんですね。この農協の人はもちろん2人の少女を知らない。それらしき人を見たって、ただそれだけなんですよ。確実に知り合いの人が見たってのはちょっと前にバス停で見たっていうのが、これはもう確実なんですよ。三叉路っていうのが実はもう起点じゃなくなるというのが今回の再審請求のポイントですが、これも中央のメディアでは全く取り上げられなかったんですね。

――BS放送の時に、まだ映画化の話は出ていなかったのですか。

木寺 元々僕は映画にしたいと思ってて、撮影の仕方とかは、映画のことを考えてやってるんです。ナレーションがないとか、撮影のカメラもシネカメラといって映画用のカメラで撮っていたりとか、レンズを昔のフィルム用のレンズを使ってたりとか、いろいろその後の展開に寄せる形で撮影はしてるんですね。でも配給会社の東風が入って映画化に向けて具体的に動き出したのは2023年に入ってからだと思うんですけどね。

――NHKのドキュメンタリーの作り方がバックにあるんだろうと思うのですが、冤罪主張でいこうというわけじゃないのですね。

木寺 もちろん決着がついてないのでそうもできないっていうのもあるんですけど、多角的にすることで見る人が考える。逆に、双方提示することで深く考えてもらうというか、フェアな感じで受け止めて、これが冤罪だと思う人もいればそうだし、違うなと思う人もいればそうだし、というスタンスですね。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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