名張毒ぶどう酒事件は「背骨」だという阿武野プロデューサーが映画『いもうとの時間』について語った
2025年1月2日からポレポレ東中野で東海テレビのドキュメンタリー映画の数々が上映されている。ドキュメンタリー映画の世界に大きな足跡を残してきた東海テレビ製作のシリーズを一挙上映していくものだが、これは4日公開のドキュメンタリー映画『いもうとの時間』の上映を記念したものだ。映画『いもうとの時間』は、名張毒ぶどう酒事件を追い続けてきた東海テレビ、そして2024年に退職した阿武野勝彦プロデューサーの集大成ともいうべきとても重要な作品だ。初日には今回の映画でナレーションを行った仲代達也さんも舞台トークに駆けつけるという。
名張事件は、奥西勝元死刑囚が既に獄死しており、代わって再審請求を続けている奥西さんの妹の岡美代子さんも94歳と高齢だ。残された時間で兄の無念を晴らすことができるのかどうか。映画『いもうとの時間』はそれをテーマにした作品だが、阿武野さんにとっては長年続けてきた東海テレビの現役最後の作品だ。
映画はポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町にて1月4日から全国順次公開される。阿武野プロデューサーの思いが凝縮された力作だ。ぜひ多くの人に劇場に足を運んでほしいと思う。
東海テレビを退職し「オフィス むらびと」に
――阿武野さんはいつ東海テレビを辞められたのですか?
阿武野 2024年1月31日に辞めました。今回の『いもうとの時間』は、退職当日の夜に放送版を完成させて、2月10日に放送したんですが、映画にしたいという提案が東海テレビで通ったので映画化できることになりました。この作品については、私がプロデューサーを続けることになったのですが、鎌田麗香監督を始め、スタッフは東海テレビで一緒にやってきたメンバーです。違いを言えば、ポレポレ東中野が配給協力で、宣伝もこれまでの東風ではないブライト・ホース、そして、私が「オフィス むらびと」になったことぐらいですね。
――東海テレビは今後、阿武野さんがいなくなっても映画製作は続けるんですか。
阿武野 ウェイティングの作品があと2本あるので続いてほしいと思っています。
――でも阿武野さんがいたからここまで来れた感じでしょ。その意味で、一つの区切りですね。阿武野さんとしても、上層部と対立したこともあったし、今まで全部すんなり行ってたわけでもないですよね。
阿武野 元々、社内で喜ばれてこの映画事業が始まったわけではないのは確かですね。映像表現、ジャーナリズムというテレビの大事な柱が朽ちていく時代の中で、踏み留まりたいというのがドキュメンタリーの映画化の本質なのですが、なんでそんなに映画にしたいんだと冷淡な見方が主流でした。ただ、その中で新聞社から来た前社長には記者魂があって、ドキュメンタリーに期待してくれていたように思います。
ドキュメンタリー映画のひとつの道を切り開いた
――テレビ局がドキュメンタリー映画を作るというのがその後広がってますが、先鞭をつけたのは東海テレビですよね。
阿武野 ドキュメンタリー映画は毎日放送など以前から単発にはあったそうですが、何作もコンスタントに製作・上映するようなことはありませんでした。私たちが連作しているうちに、ローカル局がドキュメンタリー映画に参入できるんだと知ってもらった感じですね。2011年から始めたので間もなく14年になります。
ドキュメンタリーは、理屈っぽいとか、難しいとか、題材が決まりきってるみたいなイメージがあって、避けられているという思いがありました。もっと自由で、面白いことを知ってもらいたくて、自分たちがやりたいものを積み上げていくことでドキュメンタリーの裾野を広げたいというのが最初の気持ちでした。それが少しは浸透したのか。まだそこまでいってないんじゃないかなと思っています。
一方で、視聴者がこういうものを求めてるからとか、今ウケるのはこういうものだというマーケティングみたいなものに、テレビの人たちは頼りがちなんですけども、それでは本物はできない。自分たちが本当に表現したいものが大事なんです。そのために手間暇かけて、そうしてできたドキュメンタリーを通して社会と切り結んでいきたいと考えてきました。
――いま世界市場で考えるとドキュメンタリーがそれなりに評価されている時代ですよね。
阿武野 そうですね。ベルリン国際映画祭ではイタリアのドキュメンタリー作品『海は燃えている』(ジャンフランコ・ロージン監督)が金熊賞に輝いていますし、海外では、ドキュメンタリーを劇映画と分離しないで評価する映画祭もありますね。ただ日本では、日本アカデミー賞にドキュメンタリー部門すらないですし、いろいろな映画祭でも「文化映画」みたいな仕分けがされています。
――今後は「オフィスむらびと」でやっていくつもりなのですか。
阿武野 機会があれば、映像制作にも関わっていきたいですが、組織と妙な葛藤をするのは勘弁してほしいですね。
今後は、企画を持ち込んで、プロデュースしたり、構成したりというのはありうると思います。映像制作は、とても専門性の高いもので、スタッフが大事です。つまりプロの手仕事の集積なので、「オフィスむらびと」が企画制作すべてやるというのは、今は考えていません。
「背骨」を退職前に繋いでおくことも必要だと
――今回の『いもうとの時間』について言うと、奥西勝さんの妹さんが高齢ということは大きいと思うんですが、阿武野さんとしてはこのタイミングで名張事件についてある程度まとめたいという思いもあったのですか。
阿武野 その通りです。自分の東海テレビでの期限が決まった以上、その前に名張毒ぶどう酒事件の今を表現しておかなくてはと思いました。それと、ちょうど袴田事件の再審判決のタイミングでもあり、再審法を見直していく大きな流れに目がけて映画を公開していきたい。それと、名張毒ぶどう酒事件は、ドキュメンタリー制作において、私たちの「背骨」なので、この背骨を退職前に繋いでおくことも必要だと感じていましたね。
――名張毒ぶどう酒事件は何か先が見えない感じになっていますね。
阿武野 奥西勝さん本人がもうこの世にいないことで、時間的な切迫感が薄れたかもしれません。しかし、妹の美代子さんは94歳で唯一の再審請求人ですから、切迫しているんです。検察の抗告と証拠隠しのまま、この事件を終わらすことは司法の汚点だと思うんです。
――でも阿武野さんたちのように冤罪を告発する立場に立ってずっとやってるってなかなかすごいことですよね。
阿武野 東海テレビの先輩が取り組んだドキュメンタリーの『証言』と番組がありました。1987年の作品で、これは名張毒ぶどう酒事件の一番最初のドキュメンタリーなんです。その時、翻って行く村人および関係者の証言について検証していて、偽証罪を問うてるんです。裁判所に対しておかしくないかと突き付けているんですが、当時は裁判所に対する尊崇の念があって、判決内容は侵してはならないという空気がありました。遠慮がちな報道の中で相当突っ込んでいましたが、そもそもジャーナリズムは司法に包含されるのか、それとも報道にとって裁判所も監視すべき対象なのか。これが、何本も作っていくうちに、自分たちの中で蓄えられた視座です。名張毒ぶどう酒事件の場合、物証はことごとく貧弱で、自白しかない、そもそも一審は無罪でした。再審の扉を開け、証拠を全面的に開示し、先人の司法を問うべきだと思うんです。
――最初に東海テレビで名張毒ぶどう酒事件を追いかけた門脇さんという人は、会社を説得してたんですか。
阿武野 門脇康郎さんは、今も名張裁判を追っていますが、もともと会社とは関係なく、個人的に調べていました。「テレビ局員は全てジャーナリストであるべし」という考え方の人で、もとはスタジオカメラマンという報道とは異なる仕事をしている時代から、電車とバスと徒歩で独り取材に通い、何足もスニーカーを履き潰したという人です。
門脇さんが調べていることを知って報道局がそれに乗っかったんですね。その時、組織は賞が欲しくて『証言』という番組に取り掛かった。しかし、賞はとれなかった。そこから組織は名張から離れ、門脇さんの取材は続いた。その後、齊藤潤一君の『「重い扉」~名張毒ぶどう酒事件の45年』がギャラクシー賞ほかたくさんの賞に輝きました。そのことで、この事件についての継続取材が組織の暗黙の了解となった、そんな流れですね。
名張事件の映画を計4本完成させた
――阿武野さんと齊藤さんはいつから名張事件に関わってたんですか。
阿武野 2005年からです。その年に再審開始決定が出ました。私は、ドキュメンタリーの責任者だったので、齊藤君にディレクターをしてほしい、そして門脇さんに協力してほしいと頼みました。門脇さんには、今度は途中で投げ出さないと約束しました。ディレクターを齊藤君にしたのは、彼ほどコツコツやれる人物は他にいないし、膨大な資料との格闘になるので、「名張に張り付いてくれ」と頼みました。
――そのとき齊藤さんは報道の現場の記者で、阿武野さんは…。
阿武野 私もディレクター兼務でしたが、ドキュメンタリー制作におけるプロデューサーの在り方を模索していました。
――名張事件については計4本の映画を作ったそうですが、仲代達矢さんが出た『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』が一番成功したんですね。
阿武野 映画の入場者数ではそうですね。お金もかかりましたけど。自主上映という形で、今も全国を回っています。映画自体も仲代さんと樹木希林さんという大きな二枚看板があって、山本太郎さんが若い頃の奥西さん役で出演しているので、いま観ても「おおー」って思いますよね。ナレーションは寺島しのぶさんでした。よくこんなメンバーが集められたなって。
――仲代さんは今回の映画でもナレーションをやってますが、とても重厚感のある声ですよね。
阿武野 まるで地底から響く声ですね。私たちを出来の悪い弟子だけど、一生懸命やっているからと優しく見守ってくださっているような気がします。
――今回監督やってる鎌田麗香さんはいくつ前ぐらいからやってるんでしたっけ。
阿武野 『ふたりの死刑囚』『眠る村』『いもうとの時間』ですから3作ですね。
斎藤君とは時期が重なってます。『ふたりの死刑囚』という作品は齊藤プロデューサーと鎌田麗香監督のコンビです。それと、名張毒ぶどう酒事件は奥田繁君がすべて編集しています。奥田君がいないとにっちもさっちもいかない。先回りして映像を繋いでくれるし、こんなシーンなかったかなと言うと間髪入れず出てきますし、作品に膨らみとユーモアを感じたら、それは彼です。
「背骨」からいろいろなものが生まれた
――名張毒ぶどう酒事件は東海テレビとは切っても切り離せない感じですね。
阿武野 名張毒ぶどう酒事件という背骨からいろいろなものが生まれました。司法シリーズもそうですし、名張毒ぶどう酒事件という太い背骨があったことで、スタッフの足腰が鍛えられたと思います。
――報道の現場でドキュメンタリー志向みたいなものは続いていきそうですか。
阿武野 30代の若手が2人動いてますね。今年の日本民間放送連盟賞もとってるし、最後の芸術祭賞もありましたね。編集とカメラはベテランですが、若手のディレクターが出てきた時にスタッフがガチッとスクラムを組んでくれれば、もう少しはやっていけるだろうと思います。
――東海テレビは、現場がやりたいって言えば番組を放送してくれるんですね。
阿武野 今もそうかはわかりませんが、ノンフィクション予算があって、例えば3本作る年もあれば4本作る年もある。ちょっと大きい番組にするから割り増しを頼めば出してくれるなど、かなりフレキシブルに対応してくれましたね。
――最初はニュース番組で流してたりしてその後ちゃんとした番組にという流れですか?
阿武野 そういうケースと、初めから番組で行くよというのがあります。放送時間も、この曜日のこの時間帯で、このくらいの長さでいきたい、とかね。少しでも本編を長めにしたいからCM枠の1分ほしいとか、そういうやり取りはかなり柔軟にしてくれましたね。
私が営業からプロデューサーとして報道に戻ったのが2001年ですが、そこからはドキュメンタリーは土日の昼間の時間帯で放送してますね。
――提案するとそれが通るんですね。
阿武野 かなり通りましたね。やり取りはかなり激しくても、こちらは、ねじり鉢巻きのおっかない職人集団の親方ですから…。
放送枠も、映画化も、最後は、会社の中の自由度の問題ですね。イケてない経営者はすぐに現場を管理したがりますが、社内の自由度が下がってしまったら、てきめんに制作力も落ちるし、元も子もありません。現場も縛られて無反応なら、「表現の自由」なんて外に言えなくなる。そこは闘わないといけないでしょうね。
私が喧嘩殺法でやってきたので、いまは難儀しているかもしれません。だけど、私だって好き好んで喧嘩殺法で突き進んだわけではありません。仲良く凡庸より、ワクワクとんがり、だと思います。最後は、会社のため、社会のためになったかどうかだと思うんです。
――会社としてはそうは言っても映画の成績が負け続けだったらやってられないということがあると思いますが、一定の成果は上げてたってことですよね。
阿武野 たまたまですけどね。ただ、ドキュメンタリーの神様を感じますね。おかげで、会社の名前も大きく広まったんじゃないでしょうか。
仲代達矢さんも初日に
駆けつける
――阿武野さんは定年退職なんですか。
阿武野 2回目の定年ですね。60でいっぺん定年退職して、それで5年間そのままいたということです。私の場合は、役員待遇だったので、再雇用としては恵まれていたと思います。
――今回立ち上げた「オフィスむらびと」は何の会社ですか。
阿武野 本当は、しばらく何もやるつもりはなくて、30年前に作った「村と戦争」という番組の舞台だった岐阜県加茂東白川村に移住しました。そこに、九州から仕事の依頼をいただいたのですが、「いまの肩書は」と訊かれて「無職」と答えたら、「それはちょっと…」と言われ「では、オフィスむらびと」とでまかせで…。ですから、行きがかり上でして、そうですね、主な業務は、日本ミツバチの飼育と観察、原木なめこ、原木しいたけ、山ウド、ミョウガなどの栽培を小規模で、それから、村でのイベント企画ですね。映像やテレビの仕事は、その都度考えながらやっていきたいと思います。これは実感ですけど、もうすぐ日本のドキュメンタリーは大きなビジネスになっていくと思います。
――今まで映画で利益が一番出たのは『人生フルーツ』ですか。
阿武野 観客動員は映画館だけで27万人超えで、今も毎月1回、札幌のシアターキノが上映してますし、それから850回も自主上映で回ってますので億を越える純益が出ていますね。誰も予想してなかった結果です。
――『いもうとの時間』は舞台挨拶とか阿武野さんが回るんですか。
阿武野 回るつもりです。1月2日と3日にポレポレ東中野では東海テレビ作品の特集を、4日から『いもうとの時間』がスタートします。
――仲代さんも協力してくださるそうですね。
阿武野 はい。1月4日のポレポレ東中野に来ていただけます。仲代さんは私のことを「ご隠居」って呼ぶんですよ。会社を退職したって言ったら、そう言ってお笑いになる。私は仲代さんを「師匠」と呼んでいるんですけれど。92歳の仲代さんに「ご隠居」って呼ばれるのは、何だかなあという感じですが、正月の舞台挨拶は、ご隠居からのたってのお願いです