信頼を裏切っても信頼される金融の病理に法律が介入するとき
顧客が金融機関に対する信頼のもとで金融機能を利用するとき、法律は、個別の金融機能利用を保護するに先立って、より本源的に、金融機関に対する信頼を保護することにしたのです。
信頼されていることの義務
人は、重大な事案に直面し、そこに自分の判断能力を超える難しさを見出すとき、他人に対応方法の助言を求めたり、その処理を一任したりするとしたら、最高度に信頼している人を選任するはずです。つまり、他人に何かを委任するときは、常に信頼関係が先にあるのです。この信頼関係について、いかなる法律上の保護を与えるか、あるいは与えないかは、法政策上の高度な問題です。
金融界では広く知られているように、英米法では、高度な信頼のもとで職務を遂行する人はフィデューシャリーといわれ、その職務遂行においてフィデューシャリーが負う義務はフィデューシャリー・デューティーと呼ばれています。この場合、職務の委任を受けたことが義務を発生させるというよりも、職務の委任を受ける前提として、高度に信頼されていることが義務を発生させると考えるべきです。
フィデューシャリー・デューティー
個別具体的な職務を委任するとき、職務内容が明確に定義されている限りは、遂行能力のある人を外貌から判別するのは容易であって、そのなかから誰が選任されようとも、そこに先行する特別な信頼関係を認めることはできません。この場合、受任者の義務は受任したことによって発生し、受任者は明確に定義された義務の履行結果に責任を負い、義務の履行は事後的に容易に確認されます。
普通の委任関係は、常に、こうした構図のもとにあるわけですが、フィデューシャリーに対する委任関係は全く異なります。第一に、フィデューシャリーは、受任内容の結果について、責任を負いません。例えば、フィデューシャリーの代表は弁護士ですが、弁護士は、依頼人から訴訟の遂行を委任されたとき、判決は裁判所が決めることですから、結果に責任を負い得ないのです。
第二に、フィデューシャリーの負う義務内容は、個別具体的には定義され得ません。例えば、弁護士が訴訟遂行において負う義務は、包括的に、専らに顧客の最善の利益のために、自分のもつ能力知見の全てを投入し、なし得る全ての策を尽くすことに帰着するだけなのです。
こうして、フィデューシャリーが結果責任を負わずに、具体的な職務内容を包括的に一任されているために、委任者の利益は極めて大きな不確実性に晒されます。故に、委任者の利益について、特別な法律上の保護があるべきなのですが、英米法は、委任内容を個別具体的には保護し得ない以上は、委任の前提となる特別な信頼関係を包括的に保護しようとして、フィデューシャリー・デューティーを構成したわけです。
では、フィデューシャリー・デューティーは、具体的に、どのような内容をもつのか。フィデューシャリーの職務は、具体的行為に分解し得ずに、包括一任のもとで受任の目的へ向けて緊密かつ複雑に構成されるものですから、第一に、フィデューシャリーは、その遂行を可能にするだけの最高度に専門的な知識と経験をもたねばなりませんし、第二に、専らに依頼人の利益のためだけに職務を遂行しなければならず、第三に、目的達成へ向けて最善の努力を尽くさなければならないわけです。
フィデューシャリー・デューティーの理念
英米法におけるフィデューシャリー・デューティーは、法律学の問題としては、厳密に定義されて、その狭く定義された範囲に限って適用されるべきですが、フィデューシャリー・デューティーの理念は、法体系の差を超えて、厳密な意味のフィデューシャリーの範囲を超えて、普遍的に適用され得ます。
例えば、医師の職務遂行において、治療結果を予測し得ない場合も多いわけですから、その患者に対する責任の構造は、理念的には、フィデューシャリー・デューティーと同等のものになるはずですし、日本の弁護士も、日本法の体系のなかで構成された諸義務のもとで職務を遂行しているわけですが、それらの義務を背後で支える理念は、フィデューシャリー・デューティーに共通のものであるべきです。
金融庁のいうフィデューシャリー・デューティー
英米法のもとでは、顧客からの委任を受けて、顧客の利益のために資産の管理運用を行うものは、フィデューシャリーです。投資については、その成果を保証し得ない以上は、投資運用業者等に対して、フィデューシャリー・デューティー、即ち、専らに顧客の利益のために最善を尽くすべき義務を課すことは、当然のことなのです。
そこで、金融庁は、行政の最重点課題に資産運用の高度化を掲げたとき、フィデューシャリー・デューティーに着目し、2014事務年度の行政方針において、金融界にフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めることで、激震を走らせました。大多数の英米法を知らない人が驚愕したのは当然であって、むしろ、金融庁としては、意図的に驚きを与えて、金融界に施策の重要性を理解せしめたものでしょう。
また、英米法の知識のある少数者にとっても、金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーが非常に新鮮だったのは、投資運用業者を超えて、投資信託の販売会社など、広く金融機関全体に適用されていたことです。これは、金融庁としては、フィデューシャリー・デューティーを理念として採用することで、適用に大きな自由度をもたせるためだったでしょう。
理念としてのフィデューシャリー・デューティーの実効性
2017年に、金融庁は、フィデューシャリー・デューティーを「顧客本位の業務運営に関する原則」に具現化しますが、日本ではフィデューシャリー・デューティーの根拠となる法規範が存在しないために、いわゆるソフトローとして本原則を導入したのです。つまり、金融機関は、自主自律のもので原則を採択して、自己規範として自己に課すべきものとされたわけですが、ソフトローでは、実効性に問題があったのです。
2023年11月に、改正法としての「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」が成立したのですが、国会の審議過程において、金融担当大臣は、法律改正の主旨は顧客本位原則の実効性を高めるためであると答弁しています。改正法の要点は、第一に、全ての金融サービスを一元的に包括したこと、第二に、全ての金融サービス提供事業者に対して、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務を課したことです。
こうして、金融庁の掲げたフィデューシャリー・デューティーの理念は、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ」という法律上に明示された表現を得て、更に、そのうちの「最善の利益」の五文字に凝縮されたわけですが、ここで極めて重要なのは、第一に、金融サービス提供事業者に課された義務である以上は、最善性の判断は、事業者によって公正中立な視点でなされることであり、第二に、最善性は個別具体的に定義できないからこそ、フィデューシャリー・デューティーの理念が適用されるということです。
金融規制の革命的転換
顧客の最善の利益を勘案する義務について、投資運用業関連の業務に課されるのは自然な展開にすぎませんが、全ての金融サービスに適用されることには、本質的で革命的な意味があります。つまり、全ての金融サービス提供事業者は、顧客の最善の利益を勘案するときは、単に顧客の個別具体的な需要に応えるだけでは足りず、顧客の置かれた状況を公正中立に評価して、顧客の需要の妥当性も含めて検討すべき高度な義務を負ったということです。これは金融規制の抜本的転換です。
実は、この点についても、国会の審議過程において、金融担当大臣の答弁が明らかにしています。具体的には、金融商品の販売において、事業者が公正中立に評価したときに、顧客の求める対象が顧客の最善の利益に反すると判断したときは、販売を辞退すべきかとの質問に対して、金融担当大臣は肯定的に答弁したのでした。