色褪せないグティの記憶。現代フットボールにおける「創造性」の喪失を憂いて。
彼のヒールパスは、いまもなお語り草となっている。
時は2010年1月30日に遡る。レアル・マドリーは敵地リアソールでデポルティボと対戦した。マドリーにとって、リアソールは難攻不落の地であった。18年の間未勝利が続いていたのだ。
しかしながら、ホセ・マリア・グティエレス、「グティ」の愛称で親しまれる選手のプレーで状況が一変する。マドリーのカウンターで、カカーからパスを受けたグティは、ペナルティーエリアに侵入したところで追いすがるDFとGKアランスビアを嘲笑うかのように左足でヒールパス。観衆を含めすべての人間が虚を突かれ、後ろから走り込んだベンゼマが無人のゴールに球体を蹴り込んだ。
■空間の消失
あれから、10年が経過した。
グティのような選手は、もう現れないだろう。ある試合はスタメンで、また別の試合ではベンチスタートになる。それでも、一瞬のインスピレーションで、試合を決定付けてしまう。そのインスピレーションは、画家であるパブロ・ピカソを彷彿させる。あるいは、錬金術師のように、周囲とは異なる価値を生み出すものだ。インサイド、アウトサイド、ヒール、足の面積を如何なく使いながら、ボールに変化を加える。それが相手にとっては予測不可能になる。高い度数のプレービジョンと想定外の入射角度からのパスが、まるでルーペで観たようなスペースに出される。
不安定なプレーと危うさ、そこに創造性が共存するような選手というのは、日に日に存在感を失っている。彼のような選手は、決して模範生ではない。インスピレーションを大事にするので、思ったことを口にしてしまうタイプだ。グティに関しては、「バルセロナに負けてほしい」と臆面もなく公言してしまうような選手であった。ゆえに、敵を多く作った。
現代フットボールにおいては、すべてが緻密に計算されている。コントロールされている。ひとつひとつのパターンが構築され、明確に決まっており、その動きをフルで再現できる選手が重宝される。フットボーラーの「ハイパープロフェッショナル化」が進んでいる。そこにグティのインスピレーションを組み込む余地はない。
2019-20シーズン、チャンピオンズリーグを制したバイエルンは素晴らしかった。ハンジ・フリックの下、前線からのプレスが強化され、レヴァンドフスキ、ミュラー、ニャブリ、コマンといった選手がハードワークを厭わずに勝利へと猛進した。
端的にいえば、現代フットボールではスペースがない。スモールスペースの活用等といわれ、5レーン理論からのハーフスペースの使い方が問われるが、一方で大きな概念においてスペースは消失したように思う。
一昔前であれば、サイドチェンジから逆サイドに振って、オープンスペースで数的優位をつくって崩すという形が有効だった。しかし、いまやそれでは全く通用しない。選手たちのアスリート能力は上がり、加えてその類の選手たちが厳しく労働するようになった結果、いわゆる「トップ下」のポジションはなくなった。そして、そこは最も創造性と想像性を備える選手が輝ける場所だった。
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