「夏」と「甲子園」は絶対条件か?聞いてみたい球児たちの本音
7月中旬、日本に滞在していた息子の打撃投手を務めた。ボールがぎっしりつまった箱2つ分で、だいたい200球を投げた。もちろん、全力ではないので、疲労困憊とは言えなかったが、室内練習場とはいえやはり暑さはこたえた。
日本も猛暑だが、最近では地球温暖化は「沸騰化」と言われるそうだ。
連日の暑さに熱中症対策への意識は年々高くなっている。子供たちが命を落とすことがあってはならず、対策は欠かせない。
異常気象といわれる中、炎天下の練習は避けたとしても、ある程度の暑さの中での練習まで止めることはできないかもしれない。スポーツの練習においては、これまで以上に「集中と効率化」が求められる。個人的な経験でいえば、「休憩時間」にも注意していた。練習の合間の休憩が長くなると、体がいったん緩んでしまう。十分に休んだからと、すぐに強度の高い練習を再開すると、足をつったり、体が不調になる。
休憩はもちろん大事だが、長く休憩するならウオーミングアップから再開したほうがいいと思う。そうすると、練習時間がまた長くなるというなら、休憩を短くして、練習時間全体の効率化を高めるほうへ舵を切ればいいと思うがどうだろう。
今年も「夏の甲子園」が開幕した。
主催する朝日新聞社をはじめ、甲子園を報道するメディアには嫌がられるテーマかもしれないが、「夏の甲子園」がこのままでいいのかは、「議論」があっていいと思っている。
私自身は理不尽な練習は論外だが、苦しい練習は乗り越えてほしいという立場だ。ただ、球児の健康を害するような暑さの中での大会や練習は考えないといけない。もちろん、これは野球に限ったことではなく、走りっぱなしの他のスポーツのほうが危険なこともある。
高校球児、未来の高校生たちに問いかけたい。
夏の全国大会かの球場は「甲子園」が絶対なのか。例えば「東京ドーム」だと嫌なのか。あるいは、甲子園で開催するとして、「夏の」という枕詞は絶対なのか。もう少し涼しくなってからの「秋の甲子園」では嫌なのか。
「夏の甲子園」が高校球児の青春だというのは、単なる固定概念ではないのか-。主役である子供たちに聞いてみたい。「夏の甲子園じゃないと嫌だ」なのか、「東京ドームでもいいから、夏に全国大会をやりたい」なのか、「学校の夏期休暇も秋にずらして、秋でも甲子園でやりたい」なのか、「トーナメントでも甲子園でもなく、リーグ戦でもいいから多くの試合をやりたい」なのか―。高校野球の改革論は、有識者たちによって多方面で議論されているが、球児たちはどう思っているのか。
その上で、「暑さ対策をしっかりやって、夏に甲子園で試合がしたい」という声があれば、対策を十分に練ればいい。
「トーナメントじゃないと盛り上がらない」「学校にとっても絶好の宣伝機会だ」などといったファンや関係者の声はいったん置いておいて、高校球児の本音を「議論」の土台に、「夏の甲子園」のこれからを考えてみてはどうか。