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海底に沈んだ「クジラの死骸」はどうなるか:「淀ちゃん」の運命を探る

石田雅彦科学ジャーナリスト
(提供:イメージマート)

 海底に沈んだクジラの死骸に、固有の生物相がコロニーを形成する状態を鯨骨生物群集(Whale bone community)という。最新の研究から、このコロニーの特徴と役割などが次第にわかってきた。

偶然発見された鯨骨生物群集

 先日、大阪湾に迷い込んで死んだマッコウクジラが話題になった。このクジラの死骸は、紀伊半島沖の水深約1000メートルの海域で投棄され、沈んでいったという。こうしたクジラはその後どうなるのだろうか。

 海底に沈んだクジラの死骸に多様な生物相がコロニーを形成していることが偶然、発見されたのは1987年のことだ。米国ハワイ大学などの研究グループが、ロサンゼルス沖の水深1240メートルの海底に沈む体長約20メートルと推定されるクジラ(シロナガスクジラかナガスクジラ)を調査したところ、死骸には周囲の海底環境とは異なる生物相が形成されていることを報告し、1989年に科学雑誌『nature』に発表した(※1)。

 世界各地の海底調査により同様の報告があり、この生物相を鯨骨生物群集と呼ぶようになる。その後、人為的に海底に沈めたクジラの死骸にどのような過程で生物がコロニーを形成するのかを調べたところ、その様子が次第にわかってきた(※2)。

 これらの研究によれば、鯨骨生物群集はだいたい4段階の過程を経て分解されていくという。

 まず、沈下後、4ヵ月から2年の間は肉や内臓などを食べるヌタウナギなどの移動性のスカベンジャー(屍肉あさり)が群がり、同時に数ヵ月から数年の間に露出した骨にゴカイ類などの多毛類、カニなどの甲殻類が多く集まる。

 その後、数年から数十年をかけて残ったクジラの組織が分解され、酸素のない条件下で活動する硫酸塩還元バクテリアなどの微生物によって硫黄が発生し、硫黄循環(地球規模の生態系内での硫黄元素の循環)が行われる。

 最後に、栄養がほぼなくなった状態になっても、以前の分解によって生じた沈殿物を食べる二枚貝などが集まる。

海洋研究開発機構が「しんかい6500」により大西洋(ブラジル沖)の深海(水深4204メートル)で発見した鯨骨生物群集。2016年2月24日の海洋研究開発機構のプレスリリースより。
海洋研究開発機構が「しんかい6500」により大西洋(ブラジル沖)の深海(水深4204メートル)で発見した鯨骨生物群集。2016年2月24日の海洋研究開発機構のプレスリリースより。

鯨骨生物群集は生物進化に影響はあるか

 ただ、これら鯨骨生物群集の研究の問題として、かつて世界的に行われていた鯨油目的の捕鯨、つまり捕ったクジラ類から油分だけを抽出した後は海洋に投棄する捕鯨による海底の富栄養化と近年の捕鯨禁止による環境変化で生物相にも影響があったのではないかということ、鯨油には骨の腐敗を防ぐ役割があり、それが分解過程になんらかの影響をおよぼしているのではないかということなどが指摘されてきた。

 また、人為的に沈められたクジラと自然に沈んだクジラで生物相が異なるのではないかというバイアス、クジラのサイズや種類による多様性の検証の必要性なども指摘されている(※3)。

 そして、深海には熱水が噴出する場所があり、そこには固有の生物相があるが、クジラの死骸や海底に沈下した木材などは単に熱水噴出生物相の延長なのか、それとも生物進化の上でこれらの有機物に特別な役割があるのではないか、という問いかけがある(※4)。

 最近の研究によれば、過去の捕鯨による環境変化については海底に沈んでくる大型魚類やクジラ類の死骸は意外に多いことがわかっており(※5)、その影響は少ない可能性がある。また、鯨油は生物相に何らかの影響を及ぼしている可能性があるようだ(※6)。

 鯨骨生物群集が生物の進化にどんな影響を及ぼしているかについては、熱水噴出口とは別の進化を遂げたのではないかという研究もある(※2-2)。またクジラの死骸ではないが、沈下木材のような深海の有機物では、二枚貝で排他的な競争が行われることもあるようだ(※7)。もしかすると、こうした場所で特殊な生物進化が起きている可能性も考えられる。

 これら以外の指摘については研究が進められているが、人為的に沈められた鯨骨生物群集では、その深さによって生物の密度や多様性が異なっていることがわかってきた(※8)。ブラジル、サンパウロ大学の研究グループによる調査によれば、水深1500メートルと3300メートルに沈められたザトウクジラの鯨骨生物群集で、浅いほうで生物相の密度が高く、深いほうでは生物相の多様性に富んでいたという。

 大阪湾のマッコウクジラは「淀ちゃん」と名付けられ、惜しまれつつ海底に沈んでいった。淀ちゃんの死骸も長く海底の生物たちの栄養源になることだろう。

※1:Craig R. Smith, et al., "Vent fauna on whale remains" nature, Vol.341, 7, September, 1989

※2-1:Yoshihiro Fujiwara, et al., "Three-year investigations into sperm whale-fall ecosystems in Japan" Marine Ecology, Vol.28, Issue1, 1-241, March, 2007

※2-2:Craig R. Smith, et al., "Whale-Fall Ecosystems: Recent Insights into Ecology, Paleoecology, and Evolution" Annual Review of Marine Science, Vol.7, 571-596, 2015

※2-3:Ana Patricia Silva, et al., "The first whale fall on the Mid-Atlantic Ridge: Monitoring a year of succession" Deep Sea Research Part I: Oceanographic Research Papers, Vol.178, 103662, December, 2021

※3:K S. R. Bolstad, et al., "In-situ observations of an intact natural whale fall in Palmer deep, Western Antarctic Peninsula" Polar Biology, Vol.46, 123-132, 22, January, 2023

※4-1:Daniel L. Distel, et al., "D mussels take wooden steps to deep-sea vents?" Nature, Vol.403, 725-726, 17, February, 2000

※4-2:藤原義弘、「日本周辺の鯨骨生物群集」、化石、第86巻、1-2、2009

※5:Nicholas D. Higgs, et al., "Fish Food in the Deep Sea: Revisiting the Role of Large Food-Falls" PLOS ONE, doi.org/10.1371/journal.pone.0096016, 7, May, 2014

※6:Nicholas D. Higgs, et al., "Bones as biofuel: a review of whale bone composition with implications for deep-sea biology and palaenanthoropology" PROCEEDINGS of THE ROYAL SOCIETY B, Vol.278, Issue1702, 9-17, January, 2011

※7:Janet R. Voight, et al., "Competition in the deep sea: phylogeny determines destructive impact of wood-boring xylophagaids (Mollusca: Bivalvia)" Marine Biodivertsity, Vol.53, Article number:1, 15, December, 2022

※8:Mauricio Shimabukuro, et al., "Whale bone communities in the deep Southwest Atlantic Ocean" Deep Sea Research Part I: Oceanographic Research Papers, Vol.190, 103916, December, 2022

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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