木村拓哉と内田有紀30年前の共演ドラマ『その時、ハートは盗まれた』 その「ヤバすぎる内容」
木村拓哉と内田有紀の30年前の共演ドラマ
ドラマ『未来への10カウント』は木村拓哉と内田有紀の久しぶりの共演が話題になっていた。
このふたりが共演したのはちょうど30年前、1992年秋のドラマ『その時、ハートは盗まれた』以来である。
木曜8時の「ボクたちのドラマシリーズ」で放送された。
早い時間帯の、十代向けというドラマ枠だった。
出ているのも、「これから有名になりそうな十代(若手)の俳優たち」だった。
『その時、ハートは盗まれた』の主演は一色紗英で当時15歳。
共演の内田有紀が17歳、木村拓哉は20歳になったばかりである。
内田有紀はデビュー作、木村拓哉も本格的連続ドラマ出演はほぼ初めての実質的なデビュードラマであった。
(以下、ドラマ内容ネタバレしています。たぶんなかなか再見できない作品だとはおもいますけれど)
女の子を好きになる女子高生のドラマ
高校生たちの恋愛模様が描かれる青春ドラマである。
舞台は“文教大学附属多摩高等学校”。
一色紗英と内田有紀は高校一年生、木村拓哉が三年生の役だった。
主演の一色紗英が演じる「ふつうの高校一年生」視点でドラマは進行する。
キスさえしたことのない純情な高校一年の裕子/ヒロコ(一色紗英)は三年の片瀬さん(木村拓哉)に憧れている。一途な片想い。
同じクラスの早紀/サキ(内田有紀)は孤高で奔放な少女である。
ヒロコとサキは、ひょんなことで二人だけで居残り作業をさせられることになり、遅くまで二人きりで過ごしていた。帰り際にいきなりサキはヒロコにキスをする。
たまげるヒロコ。
それからサキのことが気になりだし、好きになってしまう。
大麻使用の現場に居合わせ退学になる女子高校生役
ヒロコは奔放なサキに引っ張り回され、いろんな大人の遊び場に行く。
不安定なサキは手首を切ってヒロコを呼び出したり、危ない場所へヒロコを連れていって酷いことを言ったり、片瀬さんと寝たと嘘を言ったりする。
あげくは自宅に呼んでいたミュージシャンが大麻使用で捕まってしまう。
ついに高校を退学し、イタリアの学校に行くことになる。
彼女とつかず離れず、最後まで行動を共にしたヒロコと片瀬が見送る。
そういう「高校生三人」のある秋から冬にかけての物語である。
片瀬(木村拓哉)は早紀(内田有紀)にフラれる役
メインにあるのはヒロコ・一色紗英と、サキ・内田有紀の関係である。
この二人を中心にドラマは進んでいく。
木村拓哉の片瀬先輩は、つかず離れず、助けたり助言してくれるという立場。
もともと「ヒロコ・一色紗英」は「片瀬・木村拓哉」を好きだが、キスされたのをきっかけに「サキ・内田有紀」のことが好きになる。
「片瀬・木村拓哉」も「サキ・内田有紀」を好きだった。告白したがスルーされた。
そういう関係の三人である。
奔放なサキと普通の子ヒロコの物語
内田有紀のサキは、母子家庭ながら、芸術家の母が世界を飛び回り、いつもほとんど一人で暮らしている。
大人びているうえに、奔放でわがままなので、まわりをいろいろ巻き込んでいく。
とても自由な子であり、世間から見れば「かなりの不良」である。
一色紗英のヒロコは、ごくふつうの家庭の子。
かなり真面目なタイプの女子高生だけれど、元気がありあまっているから、ときに奇矯な行動にも出てしまう。
木村拓哉の片瀬について、両親や兄弟には触れられず、どんな家庭の子かはわからない。ストーリーの外側の存在である。
いちおうバスケット部の三年、すごくもてているというわけではなさそう。進学するのか就職するのかという話も出ていないので、そのあたりは「女子高生から見た素敵な先輩」の役そのままである。
若いキムタクにはこういうのがすごく合う。
1992年のふつうの高校生は、いまからみると「すごいワル」
このドラマが「ヤバい」のは、ふつうの高校生を描いているはずなのに、いまから見ると、三人とも「すごいワル」に見えてしまうところである。
内田有紀の役は、自由奔放すぎる。
第一話で、ヒロコと教室での居残りで作業をさせられたとき、一段落ついたところで煙草を取り出して「一服する?」と勧めていた。
大人びた高校生が煙草を吸うシーンがあるのはわかるのだが、しかし高校の教室で、しかもまだ学内には人がたくさんいる時間帯に、教室で煙草を吸おうとするのは無茶すぎる。
昭和の不良でもさすがに教室では吸わず、体育館の裏とか、部室の中とか、すぐに見つからないところで吸ったもので、教室内で煙草を取り出した時点でめちゃ驚いてしまった。
真面目な女子高生も自室でキャスター・マイルドを吸う
ただ、真面目な女子高校生一年のヒロコ・一色紗英も、数日前には、自室で煙草を吸っている。
友だちのミドリが三年の先輩とキスしているのを目撃してショックを受け、もやもやしてしまい、大学生の兄貴の部屋から盗んできた「キャスター・マイルド」をベッドの上で吸っていたのだ。
自然な流れで吸っていて、それはそれで感心するのだが、2022年の視点で見ると、ちょっと驚いてしまう。
そもそも一色紗英本人もまだ当時15歳だし、こういうシーンは2022年のテレビでは流すことはできない。
年齢確認のなかった時代
また、高校生でも酒をごく普通に飲んでいる。
まあ、確かに20世紀のころは都会の高校生はそういう部分があったが、このドラマでの飲酒は自然すぎる。
サキ(内田有紀)がふつうに飲んでいる。
ヒロコと二人で入ったタイ料理店では「とりあえずシンハービール」と頼んでいるし、そのあと二人でクラブに入って、いろんな酒を飲んでいる。
「年齢確認(いわゆるネンカク)」が、ない時代なのだ。
クラブに入るのにネンカクがないのは、見ていて新鮮である。
サキの家では母子でふつうに飲んでいるし、レストランでも二人で飲んでいる。
止める人はいない。
寝酒、と言って、泊まりに来たヒロコと一緒にワインも飲んでいた。
学生服の高校生がふつうにワインを買えていたころ
ヒロコのほうはふつうの家だから、親の前でおおっぴらに酒を飲んでいない。
夜、自宅で飲みたくなったヒロコは、台所に忍び込んで料理酒を部屋に持ち込んで飲んで、まっずーい、と愚痴っていた。あたりまえである。でも、それに気付いた兄がシードルを差し入れてくれた。
高校三年の片瀬(木村拓哉)もふつうに飲んでいる。
料理のためにスーパーに買い出しに行ったとき、片瀬は学生服であったにもかかわらず、じゃ、ワインはおれが買いますと、レジに並んでいた。
心情描写のための路上喫煙
また、ヒロコと片瀬が路上で話をしているとき、片瀬先輩は煙草を吸い、路上に捨て、足で踏み消していた。
これもべつだん「悪いことをしている」描写ではない。ちょっとつらいんだ、という心情描写でしかないのだ。
それが1992年である。
何の前知識もなくこのドラマを見ていると、「ああ、このころは高校生も飲酒や喫煙してよかったのだ」とおもってしまいかねない。
大麻吸引の現場に居合わせている女子高生
5話(最終話)で、いろいろふて腐れていたサキ(内田有紀)は自宅にミュージシャンらを招き入れ、彼らがドラッグを吸っている現場に一緒にいた。
彼女は吸っていないようだったが、そこにいた連中は大麻吸引で逮捕される。
警察が高校にやってきて、ヒロコ(一色紗英)と片瀬(木村拓哉)が事情聴取された。
そのおりヒロコは、サキが酒を飲んだり、煙草を吸ったり、自殺未遂もしていたことを話してしまう。
そして、サキ(内田有紀)は、「自殺未遂をしていたことなどが問題となって」、退学した。大麻現場にいたことは直接の理由になっていない。
1992年の青春ドラマの世界はいろいろわからない
「自殺未遂をしたことがばれると退学になる」というのは、やはり感覚がすこし前時代的である。
酒や煙草、そして大麻より、自殺未遂のほうがいけないという世界は、なんだか奇妙な世界に見えてくるが、でもそういう世界でもあったのだ。
1992年の青春ドラマの舞台は、2022年から見ると、かなり、わからない。
価値観が異様に違っている。
そういう点ではかなり「ヤバい」ドラマである。
いま、テレビで放送できるものではない。
それでいて「爽やかな青春ドラマ」
しかし全5話ではあったが、見応えがあった。
音楽担当はユーミン(松任谷由実)で、爽やかな青春ドラマの気配がずっと貫かれている。
見終わった感想は、(繰り返し5回見たのだけど)、ただ、爽やかなのだ。
高校生の純粋な恋愛と友情を描いて、「ボクたちのドラマ」らしい。
たしかにふつうの女子高生のふつうの喫煙や飲酒シーンは戸惑うが、でも昭和のころの高校生の飲酒・喫煙はとんでもない不良の行いではなく、ちょっと元気な子の行いとして描かれ、ある程度は許容範囲内だったということになっている。
武士のふるまいに現代から文句をつけてもしかたがないように、1992年の高校生の振る舞いを現代から処断してもしかたがない。もう歴史上の存在なのだ。
1992年は平成に入っていたがまだ4年、じゅうぶん昭和の空気のなかにあった。
プラトニックで爽やかなドラマ
1992年のドラマでは、高校三年の木村拓哉は、高校一年の奔放な内田有紀に告白して、フラれている。
彼女は、片瀬(木村拓哉)とヒロコ(一色紗英)に仲良くやんなよと言ってフィレンツェへ旅立った。
ヒロインの恋愛沙汰が終始プラトニックだったのが爽やかさにつながっているのだろう。
ちょうど30年前、木村拓哉と内田有紀の「あまりにもヤバすぎるドラマ」はこういう内容であった。
キムタクは30年間一貫してキムタクであることの感銘
『未来への10カウント』では高校のとき、内田有紀のほうが木村拓哉に告白してフラれたという設定になっている。
30年経って、ボクシング部のコーチになった焼き鳥屋親父の木村拓哉と、高校の校長先生の内田有紀の二人を見ていると、平成という時代もけっこう長かったのだなと、しみじみしてしまう。
ほぼデビュー作にもかかわらず、木村拓哉は1992年『あの時、ハートが盗まれた』のときから木村拓哉そのままであった。
30年前からキムタクはずっとキムタクだったというのが、久しぶりにみて一番感銘をうけたところである。