元阪神タイガース・三東洋さんの新しい船出―「日常鍼灸整骨院」
三東洋投手といえば、まず浮かぶのは牽制。ランナーを一塁に置いた時の牽制は、それは見事だった。「それ、未だにファンの方とかに言われますよ」。笑いながら、三東さんは話す。
今年5月、甲子園球場で矢野燿大氏や桧山進次郎氏、葛城育郎氏らと大学生対象の野球教室で指導した時も、「お前は牽制を教えたれ(笑)」と、先輩たちにも言われたそうだ。それほど印象的だった。
その三東洋さんが、このほど鍼灸整骨院を開業することになった。
■プロでは5勝0敗
島根県の出身で、益田東高校、駒澤大学、ヤマハを経て、2002年のドラフト6巡目で阪神タイガースに入団した。
1年目から1軍に昇格し、得意の牽制も披露して注目を集めた。2年目は22試合中6試合に先発。初先発で初勝利を挙げると、5勝0敗でシーズンを終えた。初打席で初安打、初打点も記録した。
しかし左肩関節唇の損傷で手術。その後リハビリに時間を要したことにより05、06年はファームでそれぞれ4試合に投げただけで、1軍登板はなかった。年が明けて07年、調子が戻ってきた。井川慶投手がメジャー移籍したこともあり、先発ローテーションとして期待もされた。けれど春季キャンプ中の紅白戦で登板した時に左肩を脱臼。そのまま手術もできず、再びリハビリに汗を流すこととなった。
ようやく6月頃から投げ始めたが、どうしても拭えなかったのが「怖さ」だった。投げながらも、ずっと付きまとう「怖さ」。自分の中に「プロでやっていくのは無理だな…」、そんな思いを抱えながら秋を迎えた。
10月になり、球団事務所に呼ばれた時はホッと安心したそうだ。「もう投げなくていいんだ…」。それほどまでに苦しかった。
「最悪な、どん底の1年でした」と振り返るこの年、実は発表されていなかったが、8月に癌の告知も受けていたのだ。
ある日突然、睾丸が硬くなり激痛が走った。病院に行くと「精密検査が必要」とすぐに大学病院を紹介された。大学病院で受診すると即入院、即手術となった。
幸いにも早期発見であったこと、転移もなかったことで、大事には至らなかった。5年以上過ぎた今、もう再発の心配もない。
しかし当時の精神状態を推察するに、どんなに苦しく辛かったことだろう。シーズン中だったため、3日で退院し2日間は自宅療養。その翌日からは普通に練習に戻っていたそうだ。メディアには「肩のリハビリ」と偽って。
肩の不安を抱えていた上に癌の手術。壮絶な1年だった。そんなこともあり、引退後は新しい人生で新しい自分を探した。
■ケガの経験を生かした第二の人生
08年から三重県伊勢市の人材派遣会社で、スポーツ選手の引退後の仕事の世話をしつつ、小学生の野球教室で指導もした。10年からは兵庫県加古川市で、元プロ野球選手数人で野球教室を始めた。しかし台所事情も苦しく、その他、諸事情もあり辞めた。
改めて自分と向き合い、今後の自身の人生を考えた。振り返ると、アマチュア時代からケガの多い野球人生だった。また、教えてきた子供たちのケガも多く見てきた。「今度は自分が治せたら…。これを一生の仕事にできれば」。
そこで選手時代に知り合った整骨院の先生に相談し、その先生が教鞭を執る医療学園に入学を決めた。「勉強なんてしたことなかったから、そりゃ大変でしたよ」と話す三東さん。「骨折や脱臼の治し方というような、体で覚える授業はいいんです。でも、生理学とか解剖学とか、頭を使うのはね…(笑)。慣れてないんで難しかったですよ」。
一日のサイクルもハードだった。朝9時から正午まで整骨院で働き、午後1時から5時までが学校、そして夕方6時から9時まではまた整骨院に戻って勤務する。さらに休日にはトレーニングジムでトレーニング指導にも携わった。こうしたフル回転を3年間続け、14年3月に卒業。国家試験にも合格し、柔道整復師の資格を取得した。
卒業後は、また別の整骨院で働いた。6月20日まで勤め、いよいよ念願の自分の治療院を開業する運びとなった。
■「日常鍼灸整骨院」は今日、開業
「日常鍼灸整骨院」と名付けた治療院は、骨折の応急処置や脱臼の治療、交通事故後の治療など保険適用の治療のほか、骨盤や猫背の矯正、リンパの流れを良くするオイルマッサージなど、“日常”の中で起こる不調に即したメニューも色々用意している。「リンパを流すと冷えやむくみにもいいし、ダイエットにも効果的ですよ。女性だけでなく男性も」と勧めてくれる。
また鍼灸師の小山尚嗣さんによる鍼治療も受けられる。水泳選手だった小山さんはスポーツトレーナーの資格も有しており、体を診ることにも長けている頼もしいパートナーだ。
そして休日である日曜・祝日と木曜の夕方には、野球少年たちにケガをしにくい体の使い方などの指導も行う予定だ。
立地は神戸・三宮の駅近く、北野坂を上がったところにある。自身が今もトレーニング指導をしているジムもすぐ傍で、治療とトレーニングを連携させていけるメリットもある。
引退して8年。プロでの一番の思い出を尋ねると、「あれだけの大勢の人前で投げさせてもらえたのは気持ちよかった」と答えた。また「多くの人と知り合い、繋がりもできた」とも。
今後は順風満帆ではなかった自らの経験を生かし、多くの人を助ける力になっていく。そして「もっともっと野球を教えていきたい」と、治療とともに野球指導にさらなる心血を注いでいく決意をしている。
三東洋さんの新しい船出、「日常鍼灸整骨院」の開業は今日、7月1日だ。
日常鍼灸整骨院はこちら⇒http://www.nichijyou.jp/