没後10年 光り続ける「実相寺昭雄監督」
師匠の一人である実相寺昭雄監督が亡くなったのは、2006年11月29日のことだ。69歳だった。今年は、まさに没後10年。また、年が明ければ、生誕80年を迎える。
1960年代にTBSで放送された、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」などでの印象深い作品の数々で知られる実相寺監督。
長編映画デビュー作「無常」(70年、ロカルノ国際映画祭グランプリ)をはじめ、「帝都物語」などの映画、さらに音楽番組やオペラの演出などでもその才能を発揮した。
ウルトラマンからオペラまでの広がりと奥行き。テレビディレクター、映画監督、オペラ演出家としてはもちろん、小説、絵や書、そして監督が大好きだった鉄道に関しても、プロとして一流の仕事を残している。
● 実相寺昭雄監督との出会い
監督との最初の出会いは、テレビマンユニオンに参加した1981年だ。それ以来、2006年に監督が亡くなるまでの25年間、番組制作だけでなく、日常的に様々な形で師事してきた。
旅番組「遠くへ行きたい」(日本テレビ系)で監督が担当する回は、プロデューサーとしての自分の番組をそっちのけにして、ADを務めた。
監督の代わりに企画書を書き、ロケハンを行い、その上で一緒に神田、鎌倉、気仙沼、そして長崎などへ出かけたロケは、ひたすら楽しかった。ロケ自体が、実相寺学校の移動教室でもあったからだ。現場でいつも驚かされるのは、創ろうとする映像のイメージが明確であることと、それを実現するための巧みな技術だった。
また、プロデュースした番組では、監督に何度もタイトル文字を書いていただいた。ひと目で監督の書とわかる筆文字。あの独特の字体が懐かしい。
そして、映画「帝都物語」。原作者が、友人で、しかも仲人をさせていただいた作家・荒俣宏さんだったこともあり、制作段階から公開までの間に、さまざまな思い出がある。第一に、荒俣さんと実相寺監督、それぞれ自分にとって大切な二人が、一つの作品で出会ったことが嬉しかった。
● ドラマ「波の盆」
そんな中で、最も大事な作品が、ドラマ「波の盆」である。
西武スペシャル「波の盆」が放送されたのは、1983年11月15日のことだ。
主人公は、明治期に日本からハワイへ渡った、日系移民一世の老人(笠智衆)。妻(加藤治子)を失った新盆の日に、日本からやって来た孫娘(石田えり)と出会うことで、起伏に満ちた自分たちの過去が甦ってくる。家族とは、民族とは、故郷とは何かを問う意欲作だった。
監督・実相寺昭雄、脚本・倉本聰、主演・笠智衆、音楽・武満徹。この豪華な座組みは、もう二度とできない。監督がよく言っていた、一期一会だ。制作は日本テレビとテレビマンユニオン。
この作品は、実相寺監督にとって17年ぶりとなるテレビドラマだ。マウイ島での長期ロケでは、光と影による大胆な構図など、磨き抜かれた“実相寺カット”を駆使しながら、丁寧に物語を構築していった。
アシスタント・プロデューサーとして参加し、ドラマ作りの原点を学んだ「波の盆」は、この年の「芸術祭大賞」や「ATP賞大賞」を受賞するなど高い評価を得ることになる。
● 所詮、死ぬまでのヒマツブシ
5年ほど前、川崎市市民ミュージアムで、「実相寺昭雄展~ウルトラマンからオペラ魔笛まで」が開催された。
「所詮、死ぬまでのヒマツブシ」と言いながら、だからこそ自らの美学に従って真剣に遊び抜いた監督。
会場に再現された書斎には、監督が愛用した「けろけろけろっぴ」の筆箱もあった。仕事を離れた時のお茶目な監督の姿が浮かんできた。
「所詮、死ぬまでのヒマツブシ」は、監督の著書「闇への憧れ」の副題にもなっている。監督のすごいところは、そのヒマツブシが様々なジャンル、多岐にわたり、しかもどれもが本気だったことだ。
展覧会場には、監督の「絵てがみ」、というか葉書に絵を描き、ひと言の文を添えたものがたくさん展示されていた。書家の島田正治先生とやりとりされたものだ。
私の手元にも、監督から届いた数十枚の絵てがみがあって、大切な宝物になっている。それを取出し、眺めていると、その時々の監督の気分や気持ちが、一枚の葉書に込められていたことが分かる。
● 実相寺昭雄研究会の発足
以下は、ドラマ「波の盆」の当時のスタッフ表だ。
脚本:倉本 聡
音楽:武満 徹
制作:梅谷 茂
プロデューサー:吉川正澄、山口 剛
撮影:中堀正夫
照明:牛場賢二
美術:池谷仙克
編集:浦岡敬一
録音:奥山東宣宏
効果:小森護雄
記録:穴倉徳子
監督:実相寺昭雄
制作:日本テレビ、テレビマンユニオン
キャストを含め、もう何人もの方が亡くなっている。
実相寺監督をはじめ、主演の笠智衆さん、加藤治子さん、音楽の武満徹さん、ユニオン側のプロデューサー吉川さん、美術の池谷さん、編集の浦岡さん、効果の小森さん、VE(ビデオエンジニア)の小野さん、そして俳優の蟹江敬三さんや奥村公延さんも。
これは「波の盆」に限ったことではなく、様々なジャンルの実相寺作品に関わった人たちの多くが他界している。
そこで数年前、撮影監督の中堀正夫さんをはじめ、“実相寺組”として長く監督と過ごしてきた皆さんと共に、「実相寺昭雄研究会」を立ち上げた。
活動の中心は、監督が遺した資料の整理・分類・分析と、監督と作品に関する「聞き取り」調査である。その成果は、研究会が運営する「実相寺昭雄オフィシャルサイト」などで、順次公開中だ。
http://jissoji.wixsite.com/jissoji-lab
● 京都での上映会、そして2017年・・・
今年は没後10年ということで、11月から12月にかけて、京都で大規模な上映会を行った。実相寺昭雄研究会と京都文化博物館が共同で主催した、「鬼才・実相寺昭雄監督 映像の世界~ウルトラマンから仏像まで~」だ。
命日の11月29日と、12月6〜11日の計7日間に26作品を上映。
「ウルトラマン」シリーズで人気の高い「故郷は地球」「恐怖の宇宙線」などや、京都や周辺を舞台にした「無常」「曼陀羅(まんだら)」「哥(うた)」のATG三部作、さらに62〜63年にTBSで放送され、大島渚が脚本を手掛けたドラマ「おかあさん」(6本)などもフィルム上映した。
テレビを通じてリアルタイムで見た「ウルトラマン」や「おかあさん」を、フィルムで見るのは貴重な、また不思議な体験だった。そして、あらためて、“実相寺カット”と呼ばれる特異な映像の冴えやキレを実感した。
中でも、「怪奇大作戦」の「京都買います」を、当の京都の地で上映できたこと。そして、「ウルトラセブン」の「狙われた街」(あの四畳半のメトロン星人!) と、「ウルトラマンマックス」の「狙われない街」を、同じ日に連続上映できたことは快挙だ。
期間中、作品の上映だけでなく、トークライブも行った。
司会は、研究会の勝賀瀬重憲監督(ドキュメンタリー映画「KAN TOKU 実相寺昭雄」)。ゲストとして映画評論家の樋口尚文さん(新著は「実相寺昭雄 才気の伽藍 鬼才映画監督の生涯と作品」)、「恐怖の宇宙線」に子役として出演していた内野惣次郎さん、京都嵯峨芸術大学准教授の安齋レオさんなどに参加していただいた。
加えて、実相寺監督夫人で女優の原知佐子さん、実相寺作品の常連俳優・堀内正美さんの特別出演もあった。
会場には、東京など関西以外の地域からも、多くの方が来てくださった。実相寺監督とその作品が、今も光り続けていることを確かめたようで、ありがたかった。
2017年は、生誕80年だ。まだ検討中だが、特に、若い世代にも何かが伝わっていくような、そんな催しが出来たらと思う。
実相寺監督も遠くから、いや、遥かM78星雲あたりから、笑って見ているかもしれない。