世界遺産の価値からみた宇治上神社
宇治上神社はかつて「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅であったとも、応仁天皇の離宮であったともいわれ、起源は必ずしもはっきりしない。すぐ近くに宇治神社があり、明治維新前は両神社を合わせて宇治離宮明神、八幡社と呼ばれ、宇治神社を下社・若宮とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮と呼ばれていた。平安時代末期、藤原頼通によって平等院が建立されるとその鎮守社となり、藤原氏の保護を受けた。狭い境内には国宝の本殿・拝殿の他、宇治七名水の一つ「桐原水」がもある。
世界遺産の魅力としてあげられるのは、本殿と中に含まれる3つ建物が現存する最古の神社の本殿建築であることと、拝殿が寝殿造という平安時代の住宅様式が取り入れられた建物だからという2点に尽きる。
境内奥の本殿(下の写真)は、覆屋(おおいや)の中に社が三社収められており、向かって右に「莵道稚郎子(弟)」、中央に「応神天皇(父)」、左に「仁徳天皇(兄)」が祀られている。覆屋の横の壁と、左右の社殿の壁は共有されており、後から覆屋を造ったのではなく、創建当初からあったものと考えられる。小規模ながら優雅な造りで、建築年代は年輪測定法によると1060年代と判定が出ている平安時代後期の造営で、神社の本殿建築としては日本最古となっている。
境内に入るとすぐ見える拝殿(下の写真)は、鎌倉時代の建築に平安時代の住宅様式が取り入れられた貴重なもの。高さを押さえた独特の屋根の美しい形や、蔀戸(しとみど)や舞良戸(まいらど)などが用いられた大変優美な姿形からは、住宅建築のようなたたずまいを感じることができるため、もとは離宮の建物であったとも伝わるほどだ。独特の屋根の形を詳しくいうと、縋破風(すがるはふ)という寝殿造の様式、これは本屋根の切妻造の両端にさらに庇(ひさし)がつけられ、その部分にできた破風のことで、これがあることによって全体がまるで入母屋造と見間違えるほどのインパクトを与えている。
以上、本当に狭い境内の中にこれほど価値の高い国宝建築が並んでいるのだから、建築に興味のある方なら必見の場所といえる。宇治に行けば、平等院だけでなく、宇治川を挟んで向かいに立つ宇治上神社へもぜひ足を延ばしてみたい。