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控え捕手からプロへ、そして未知の国オーストリアに渡った広畑塁(大分B-リングス)【九州アジアリーグ】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
広畑塁捕手(大分B-リングス)

控え捕手からのドラフト指名

 昨年のヤマエ久野九州アジアリーグのペナントレースにおいて、火の国サラマンダーズに完膚なきまでに圧倒された大分B-リングスだが、その陣容を一新した今シーズンは首位火の国サラマンダーズと4ゲーム差の6勝9敗1分けと健闘している。新生チームにあって扇の要として支えているのが、今シーズンから加入した広畑塁捕手だ。彼は、2017年ドラフトで育成5位指名を受け、巨人に入団、2020年シーズンまで3年NPBでプレーした経験をもつ。しかし、意外なことに大学時代は控えだったという。

試合前にインタビューに応じてくれた広畑捕手(4月4日, 臼杵市民球場)
試合前にインタビューに応じてくれた広畑捕手(4月4日, 臼杵市民球場)

「話を聞いた時は、正直僕もびっくりしました。スカウトが自分に興味があると知ったのは、4年の春ですね。もともとは正捕手の小畑(尋規、現トヨタ自動車)が目当てだったみたいですが(笑)。とにかくNPBという舞台には立ちたいと思っていたんです」

 子どもの頃に漠然と抱いていたプロという夢がはっきりとかたちになって現れたのは、大学3年のときだと言う。ひとつ上級のピッチャー、黒木優太が2位、神戸文也(現エイジェック)が育成3位でともにオリックスからドラフト指名を受けたのだ。その現場に立ち会った広畑は、自分がプロへの登竜門に立っていることを実感した。

 しかし、いかんせんその立場は控え捕手。公式戦にほとんど出ていない自分がドラフトにかかるとは思ってはいなかった。自分の中では、正捕手の小畑には負けていないという意気込みがあったが、客観的に見れば相当な実力差があることも承知していた。「就活」としていくつかの実業団の練習会に参加してみたものの、社会人野球からも声がかかることはなかった。

「だから、独立リーグに進むつもりでした。1年2年プレーしてNPBに向けて勝負をかけたいって」

「プロ」を名乗っているとはいえ、NPB未満の選手で構成される独立リーグへの進路について、大学の指導者は首をなかなか縦には振らなかった。

「大学の監督さんは社会人野球出身の方だったので、独立リーグに行くんだったら会社員として入社して社会人でプレーしてほしいという考え方でしたね。でも、僕も、もう独立(リーグ)で短い期間でもいいから勝負をしたいという意志を伝えて。ならば、そういうかたちで進路を進めていこうという話にはなりました」

 そこに入ってきたのが、巨人からのドラフト指名だった。練習試合で見た広畑の強肩に将来性を感じたスカウトが推したらしい。育成指名ではあったが、広畑は迷わず指名を受けた。

 翌年のキャンプ。それはそれまでとは全く違った世界だった。試合でもないのにこれまで見たことのないような数のファンがスタンドに陣取っている。そして、選手の移動の度に連なる大勢の報道陣。まるで大名行列のような光景を目の当たりにして、育成選手の自分でさえメディアに追われているような気になった。

「とんでもない所に来たな」

 率直な感想だった。そしてフィールドの選手のレベルの高さにも圧倒された。

「今まで大学野球、東都リーグという所でプレーさせてもらっていたんですけど。レベルが違っていました。日本の野球界の最高峰はとんでもなかったです。技術もそうだし、練習量も今までとは全く違いました。とにかく覚えることもすごく多くてメニューをこなすだけで精一杯でした」

 それでも広畑は食らいついた。しかし、3年目を終えたあと、球団から呼び出しがかかった時にはすでに覚悟はできていた。

「秋の教育リーグ、フェニックス・リーグには参加していたんですけど。まあ、人は要りますから、呼ばれたんだと思います。その年、2020年は、コロナ禍でペナントレースの開幕が遅れたんで、フェニックス・リーグも1カ月遅れで始まったんです。その前にあったドラフトで巨人はキャッチャーを4人指名していたので、多分、(戦力外通告が)来るなとは思っていました」

 だから、球団から戦力外を通告された時も妙に冷静だった。セカンドキャリアは全く考えなかった。

「日本でダメなら国外で」

 気持ちを切り替えた。

「球団からは裏方の仕事のお話も頂いたんですけど、どこも故障していないし、体も元気だったんで。その時点では、もう海外一本でした。僕は福岡出身なんですけど、福岡と言えば、やっぱりホークス。中でも川﨑宗則さんが大好きだったんです。その川﨑さんがメジャーリーグを経験されて、その後、台湾にも行かれていた。そんなこともあって、日本の野球よりも、もっと海外に僕の知らない野球があるんじゃないかと、海外に行きたいという気持ちになったんです」

 国外でのプレーが頭に浮かんだのは、実はこの時が初めてではない。大学4年生の時に参加した1週間のアメリカ研修の際に経験したゲームがその根底にあると言う。

「日本にはない魅力がありましたね。野球の楽しさというやつです。向こうの選手は楽しんで野球をしてました。日本の野球って結構やらされてる感があるんですよ。球場の雰囲気も日本とは全然違いました。そういう違いを実際に経験して、自分の考えとか野球観がちっぽけだなと思ったんです。まだまだ知らないことがあるんじゃないかなというところ。最初はそこからです」

 巨人を退団後、最初はアメリカ、メキシコ、台湾、韓国というプロリーグのある国で行き先を模索した。球界の関係者に相談したものの、クビになった育成選手が入り込める余地はレベルの高いそれらの国にはないと、シビアな現実を知らされた。当時25歳。世界中から若い選手が供給されるメジャー傘下のマイナーリーグが欲しがる年齢ではない。かといって、その他の国のトップリーグの数少ない外国人枠に割り込むのも難しかった。その枠にはNPB球団をお払い箱になった「助っ人」たちが滑りこむのが相場だった。

未知の国、オーストリアの野球

NPB経験者としてチームを引っ張っている。
NPB経験者としてチームを引っ張っている。

 現役続行を模索する中、舞い込んできたのが、ウィーン・ワンダラーズという聞き慣れない球団からオファーだった。

ウィーンと言えば、合唱団で有名なオーストリアの首都だ。「オーストラリア」ではない。ヨーロッパ中部にあるこの国は、サッカーでもなかなかその名を聞くことはないが、その国で野球が行われていることすら広畑は知らなかった。

 現地のトップリーグの球団の監督を日本人が務めているという。捕手を補強したいということで、人を通じて声がかかった。

 リーグは無論アマチュアリーグ。と言っても、クラブチームのマネジメントの発達した欧州では、トップ選手や外国から呼び寄せる「助っ人」にはプロ契約が用意されている。日本円にして月10万円ほどの報酬と往復の航空券という条件で契約した広畑は未知の国へ渡った。

 チームメイトは、ほとんど職をもつ社会人。「助っ人」は自分の他にもうひとりアメリカ人がいた。毎日、チームメイトが勤めを終えてグラウンドにやってくるまで待ち、それから練習が始まった。それまでは、フリーか、あるいはクラブがもつアカデミーで少年野球の指導をした。試合は週末にあったが、小さなスタンドには100人も観客がいれば「大入り」だった。クラブの運営するバーでビールを傾けながら週末を楽しむ観客は、野球を観ているのかおしゃべりに興じているのかわからなかった。試合が終われば、その輪の中に選手も入っていく風景にはじめは驚きながらも、次第になじんでいった。現地で話されているドイツ語はさっぱりだったが、片言の英語でなんとかなった。チームメイトは、しばしば「芸術の都」ウィーンを案内してくれた。生活はカツカツで、プレー環境も決して恵まれているとは言えなかったが、広畑は「オーストリア野球」をエンジョイした。

 ヨーロッパの野球シーンは、WBCやオリンピックなどの国際大会にしばしば顔を出すオランダとイタリアをツートップとして、その後にチェコ、フランス、イギリス、ドイツ、スペインなどの「第2勢力」が続いているという構図である。オーストリアはその「第2勢力」に続く存在だと言っていいだろう。現地ではまったくのマイナースポーツだと言っていい。広畑自身、覚悟はしていたものの、オーストリアでの日々は驚きの連続だった。

「日本は環境面ですごく恵まれているなと改めて感じましたね。向こうでは練習するにもボールの数が足りないなんてこともありましたから。施設だって、日本では高校でも室内練習場をもっているところもあるでしょう。こっちは雨が降ればもうなしですから。そういう中でも何ができるかって考えながらやっていました」

彼らの野球は、アメリカ野球だった。ネットメディアなどの発達した現在、ヨーロッパでもメジャーリーグ中継は見ることができる。広畑の存在も、「日本のプロ野球名門チームでプレーしていた選手」というより、「ショウヘイ・オオタニの国から来た助っ人」だった。

 そんな未知の国の野球について、広畑はこう評する。

「もちろんレベル的にはやっぱり日本のほうが高いですけど、パワーだったりというのはやっぱり日本人よりもあるかなと思いました。ただ、もうちょっとこうすればいいんじゃないかということは多かったですね。日本の野球って本当に少年野球、中学校、高校という各段階でハイレベルというか、オーストリアの野球と比べたらすごく細かいところまできちっと指導が行き届いていると思いました。僕はコーチ契約じゃなかったですけど、カバーリングをしっかりしろよとか、大けがしないためにそうしたほうがいいんじゃないかというようなプレーについてはあれこれ言いましたね」

 現在、彼は九州アジアリーグでプレーしている。もしオーストリアの強豪、ウィーン・ワンダラーズが日本の独立リーグに参戦したら、どうなるのだろうか。

「どうですかね。日本と野球スタイルが違うので何とも難しいですけど、そんなに差が開くということはないと思います。向こうはアメリカ仕込みの力勝負なんですが、大ざっぱな中にも繊細さもありますから。(ピッチャーは)ボールを動かしてくるところはありますから」

(つづく)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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