松本人志さんが提訴した「名誉毀損」はSNS社会で人ごとでない。逮捕・懲役すらある刑事罰も含め考察
お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さんが名誉を記事で毀損されたとして『週刊文春』を相手取って提訴した民事訴訟の第1回口頭弁論が今月28日、東京地裁で開かれます。
本稿は訴えの是非や裁判の行方を探るものではありません。似た過去の訴訟の判例や裁判例などを踏まえて焦点となりそうな「取材源の秘匿」や名誉毀損の構成要件などを押さえるのが主目的です。名誉毀損には「罪と罰」が問われる同名の刑事罰も存在し、SNSが発展した今の社会では誰もが対象になり得る時代であって「人ごとではない」との警鐘も含め、民事との違いなども合わせて掘り下げてみます。
ポイントは「強要」の有無か
訴状によると原告の松本さんが求めるのは「精神的苦痛に対する慰謝料」(精神的損害)および謝罪広告。民事訴訟で通常みられる財産的損害は民法723条の「名誉を毀損した者に対しては」「損害賠償に代えて」「名誉を回復するのに適当な処分」を求められるとするので謝罪広告で置き換えようという意図が感じられます。
名誉を毀損したとするポイントは記事に出てくる2人の女性の「意思に反して、『無理やり』性的行為に及んだとの事実を認識させる」「『必死に抵抗』していたにもかかわらず、性的行為に及んだとの事実を認識させる」。こうした「性的行為を強要した」との「レッテルが貼られてしまえば、芸能活動を行う原告の社会的評価を著しく低下させ」「名誉を毀損する」というのが第一です。
多くのメディアは弱さや薄さを報じるも
どうやら民事上の名誉毀損を構成する条件と判例が示している「公共の利害」や「専ら公益を図る目的」は争わず、真実または真実相当性のうち性的行為の有無も争わず、女性へ「無理やり」「必死に抵抗」「にもかかわらず」「性的行為を強要した」と「一般読者」に「認識させ」たのが不法行為と訴えたいとみられます。
この一点を認めさせるという戦法に多くのメディアは弱さや薄さを報じていますが、それなりに練られてもいるというのが筆者の捉え方です。
強要の有無は松本さんか女性かの証言でしか証明できません。となると女性が出廷して被害を証言する必要が生じそう。『週刊文春』(24年2月29日号)によると女性の1人は「裁判所の要請があれば」「証言したい」と述べているようですが、いざ公開の法廷で実行できるかというと、わかりません。
「取材源の秘匿」で証言を拒絶できるか
やはりためらわれるとした場合、被告はおそらく「取材源の秘匿」というジャーナリズムの倫理観を主張するでしょう。ただこの論法は1952年の「石井記者事件」(刑事裁判)における最高裁判決で「認められない」とされ、長らく維持されてきました。
ただし民事裁判に関してはケースバイケースで2006年の「NHK記者証言拒絶問題」において最高裁が「原則として取材源にかかわる証言を拒絶できる」と決定。
ここで「強要」の有無のみを争う原告側が真実を明らかにするには女性の法廷での証言が「必須である」と訴えた場合に裁判所が認めるか否かです。認めなかったとしても真実相当性を揺るがす要因にはなりましょう。
もっとも、被害を週刊誌に告白した女性を法廷へあぶり出すような戦術と世間がみなしたら松本さんの目的である社会的評価および名誉の回復につながるかとの疑問も。反訴を打たれる危険性も生じそうです。
「直撃取材」と「一方的」と
もう1つの争点は記事が女性側の「一方的な供述だけを取り上げて」「掲載」した「極めて杜撰な取材活動に基づく」という主張。『週刊文春』は記事掲載前に松本さんへ「直撃取材」はしたものの、その「記者質問部分は」「不倫に属する『行為を強制』したとの事実を認識させるもの」でしかないというのが原告の主張。
『週刊文春』に限らず何らかの疑惑を報じる場合、まさに「一方的」を避けるために当事者に「当てる」のが原則です。ただ過去の裁判例で「当て」たから公正だという主張は必ずしも認められていません。
司法は決してメディアにやさしくない
メディアが民事の名誉毀損で訴えられたとしても「売れれば賠償額など、どうってことはない」「十分に取材したという事実さえあれば真実相当性が認められて免責される」との論調も散見されます。いやいや決してそうでもない。先に挙げた取材源の秘匿も含めて司法は決してメディア側にやさしくありません。
例えば売れたという事実は、その分だけ深く名誉を傷つけた傍証にもなるのです。ゆえに過去には冊子体の某メディアが「うちの発行部数は少ないし、そもそも読者も記事を信じていない」と捨て身(?)の抗弁をしたケースもあります。
刑事の名誉毀損罪は親告罪で告訴が前提
刑事(「罪と罰」を問う)での名誉毀損罪は刑法に明文規定があって被疑者ともなれば起訴されて3年以下の懲役もしくは禁固または50万円の罰金刑に処せられる可能性が出てくるのです。結果的に不起訴となっても逮捕、留置、勾留といった怖い思いを突然に味わう羽目に陥ります。
同罪は親告罪で、主に被害者が警察などに告訴状を提出して受理されて始めて捜査が開始される仕組み・前提です。書式が整っていれば警察は規則(命令)で受理しなければならず、一定の捜査義務も負います。
しばしば告訴状が受理されなかったという話も。必要な要件がそろっていなかったり、そもそも犯罪とは言い難かったりと事情はさまざまながら、特に微罪事案を敬遠する傾向が「ない」とは言い切れないはずです。
警察の対応は
例えば商業施設のトイレに置き忘れた財布が戻っても見当たらず、施設の忘れ物係にも届いていないとなれば盗まれた(占有離脱物横領)可能性が高い。そこで警察に行くとたいてい初期の対応として「遺失届」を勧められます。扱いは会計課。同じ署内にあるから気づきにくいのですが会計課は警察官で構成されていないのです。
ゆえに捜査されないのを心配して一生懸命に被害を訴えたら「では被害届にしましょう」と一歩進みます。とはいえ「被害届」だと捜査するかどうかは警察の判断です。
その点で「告訴状」は強力。被害届が事実の申告に止まるに対して告訴は「厳重な処罰を求める」など処罰意思も加わるから。そもそも「被害届」では親告罪だと警察は動けませんし。(※注)
公益性と公共性
名誉毀損罪は「公然と事実を摘示」したら「事実の有無にかかわらず」成立します。デタラメ(事実無し)がアウトなのは当然で「事実」でも該当するのです。
かつては「公然と事実を摘示」したくてもメディア自体や、そこで発言力のない者にはできなかったところ、近年はSNSの発達などで簡単にやれてしまう時代となっています。気軽なつもりの発信が相手の名誉を傷つける「事実」を「公然と」(全世界に)「摘示」してしまうのです。
ここで、そうしたとしても「罰しない」免責規定を満たすかどうかが注目されます。それが「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合」。公共の利害とは主に公務員や公職の候補者などが対象。そうでなくとも「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実」であれば認められます。
SNSでの私怨による事実の摘示はアウト濃厚
「公益」とはやや広い概念で「専ら」は「すべて」でなく「主に」。一般に社会に広く知らせるべき正当な目的あたり。告訴人(被害者)の活動や影響力が相当程度に広く、あるいは強かったら認められそうです。
ザックリいうと公益性がほぼ存在しない事実の摘示はアウト濃厚。代表的なのが私怨で、一般人(とて社会で暮らしていくだけの名誉≒評価はある)に対してフラれた腹いせや妬みなどをぶつけるべく執拗ならびに汚い表現で繰り返し知られたくない「真実」をSNSなどに書き込んだら逮捕される恐れも十分にあります。何しろ自らお縄になる証拠をせっせとこしらえているのだから。
合理的な疑いを差し挟む余地がない程度の立証
この公共性と公益性を満たして始めて真実および真実相当性が阻却理由となり得ます。真実は文字通り。真実相当性は刑事の方が民事より厳密です。刑事は「真実であることの証明があったとき」。おおよそ刑事裁判すべてで有罪・無罪を決める際に用いられる「合理的な疑いを差し挟む余地がない程度の立証」を被告訴人ができるかどうかにかかってきます。
「合理的疑い」の「余地がない」とは、それ以外が絶対にあり得ないというまでには至らず、ふつう(社会的常識)は考えられないという感覚です。
懸命に取材して当事者の主張を理解して記事化したとしても間違って信じ込んだ結果で真実でないという場合、「故意」がなかったとして名誉毀損罪不成立の要因になります。しばしばゴシップ報道へ批判的な方が「綿密な取材をしたと言い逃れられる」と主張するポイントです。
民事の特長である「過失」と「争いがない事実」
ただし民事訴訟での名誉毀損の特長として「過失」であっても成立します。
民事は他に刑事では問われない「事実の摘示」以外の論評や意見でも不法行為が認定され得るのです。「事実の摘示」をしたSNSの書き込みに「いいね!」ボタンを押したり「まったくだ」と同意しても不法行為になりかねません。
半面で民事は原告・被告ともに争いがない事実は裁判の基礎とするのが基本です。客観的に「そんなシチュエーションがあり得るか」と首を傾げる状況でも、争わないのであれば「そうだ」として判断します。松本さんのケースで記事のどこを争うつもりか注目されたのも、この原則があるためです。
※注:占有離脱物横領罪自体は非親告罪なので当局の判断で告訴や被害届がなくとも捜査に踏み切れます。