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東京五輪開催ができるかできないかの議論に見落とされている、たった一つの視点

山田順作家、ジャーナリスト
もう強弁せずに現実的な選択を考えるべきでは?(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会理事の高橋治之氏(元電通顧問)の発言が波紋を呼び、東京五輪が開催できるかどうかが、ほとんどのメディアで論議されている。専門家、識者、関係者が、さまざまな見地から意見を言うので議論は錯綜している。

 

 しかし、高橋氏は「個人的見解」とはするものの、きわめて現実的な発言をWSJ紙にしたにすぎない。その現実的な見解とは、「1年か2年の延期」である。それをもう視野に入れるべきと、高橋氏は率直に言ったわけだ。現状から見れば、こう言わざるをえないだろう。

 ところが、この見解に組織委員会の森喜朗会長が激怒した。森会長は高橋氏から「お詫び」をもらったことを明らかにし、「いま、方向を変えるとか計画を変えることはまったく考えていない。消極的、悲観的なことは一切、考えてはいけない時期だと私は思っている」と、完全否定したのである。

 しかし、開催することだけを考えて、「方向を変えるとか計画を変えることはまったく考えていない」ということこそ、非現実的で無責任なことではないだろうか?

 東京五輪が開催できるかできないかは、すべて、現在、WHOが「パンデミック」と宣言した新型コロナウイルスの感染拡大が止まるかどうかにかかっている。が、これは、誰にもわからないことなので、どんなかたちで議論しようと、結論は出ない。

 言えることは、たったこれだけだ。

 IOCと東京都、日本オリンピック委員会(JOC)が2013年に結んだ開催都市契約では、戦争や内乱、ボイコットなどとともに、「参加者の安全が深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」に、IOCが単独の裁量で中止する権利を持つと定められている。

 つまり、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらなければ、この条項に触れる。よって、IOCは「中止」を決めることになる。

 そこで、これをふまえたうえで、現在の五輪開催議論で見落とされている点を指摘したい。

  

 現状が続いたままでは、もちろん、東京五輪の開催は不可能である。ただ、収束に向かった場合は、開催が可能になる可能性がある。では、開催できるかどうかのリミットとされる5月末までに、そうなったとしよう。

 ただ、収束に向かったとしても、そのとき、全世界で感染者がゼロということが考えられるだろうか。現状では、その可能性は極めて低いだろう。

 とすると、東京五輪開催にあたっては、選手はもとより、関係者、観客全員のPCR検査が不可欠となる。そうしたうえで全員が陰性とならなければ、命と安全は保てないのだから、開催ができるわけがない。1人でも陽性が出れば、開催は不可能になる。

 東京五輪には、世界中から選手や関係者、観客、観光客まで含めれば数十万人の人々が訪れる。ボランティアだけでも10万人以上が動員されている。

 これらすべての人々を、どうやって検査するのか? 現在、厚労省は1日7000件の検査ができるように体制を整えていると言っている。たった7000件で、どうやって、五輪関係者全員を検査できるというのだろうか? 

 それとも、日本は、PCR検査なしで、東京五輪を開催しようというのだろうか?

 東京五輪が開催できるのかできないのかのほうが、人の命と安全を守れるかどうかより、優先して論議される。いまの日本はなんと異常な国になってしまったのだろうか?

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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