【浜松】松菱跡地はいつ着手されるのか……35年前の松菱通りと現在を比べてみた結果
今からおよそ20年前の2001年、突如地元の老舗デパート「松菱百貨店」が経営破綻しました。その衝撃はすさまじいもので、浜松市中心街の人の流れを一気に変えるほどの破壊力だった。更にこの経営破綻は当日まで社員ですら知らないという状況でした。そんなある意味伝説の松菱百貨店が存在していた頃の写真を紹介します。
現在の松菱通り
こちら鍛冶町通りから「松菱百貨店」を望む場所。右手には「ザザシティ浜松」、左手には「みずほ銀行」があります。
2015年「松菱百貨店」は解体され、現在は存在せず、更地になっておりますので、確認することはできません。
2007年には大手百貨店「大丸」が出店予定だったが、2009年白紙撤回。2018年には大型オフィスビルが完成予定だったが、これも頓挫。未だ更地のまま。
ただし、かつての名残として「松菱パーキング」や「B-2ビル」などの建築物は残っており、現在は地元のデベロッパー企業「アサヒハウス」及び、周辺地権者によって管理されております。
さて、さっそく今回の本題「松菱通り」について紹介したいと思います。
こちらは現在2022年の「松菱通り」の様子。手前には「みずほ銀行」、そして左側には「YAMAHA」。松菱百貨店はどこにあるのかというと、左側の垂れ幕のある場所に存在しておりました。
では、この場所の35年前はどのような状況だったのか、確認してみましょう。
35年前にタイムスリップ。
こちらが35年前の1987年です。
1987年といえば、日本国有鉄道が解散し、JRは発足した年。昭和で言えば62年。第3次中曽根内閣が発足しております。
そんな激動の年でもある1987年の松菱通りには、立派な松菱デパート(左)と、奥には「富士銀行(現:みずほ銀行)」が見えます。
またYAMAHA(当時OlOl(マルイ))もその左手にあるはずですが、松菱デパートに隠れて見えません。当時、松菱デパートがあまりに巨大だったため、この場所から鍛冶町大通の様子を確認することは不可能。
更に、多くの車や人混みで溢れ、まさに活気ある浜松市がそこにはありました。(車の渋滞にも悩まされておりました)
もう少し引いてみると、右手の現在「マルHビル」には「はましん(現:浜松磐田信用金庫)」があります。
さらに引くと「パチンコヤシマ」などがあります。ちなみに「パチンコヤシマ」の場所には、現在「浜松たばこセンターやしま」あります。
こうしてみると、実は35年前から現在まで残っている場所もチラホラあります。地元の方々いわく、早く松菱跡地をなんとかして欲しいという声が聞こえてきます。
なぜか「松菱パーキング」という名前だけ残っており、何らかの伏線を張っているような期待もしてしまいますが、残念ながら当時の経営者は今存在しないので、便宜上の名前でしょう。
果たしてこの先10年、20年……松菱跡地は更地のままなのでしょうか。それとも何か施設が建設されるのでしょうか。
現在管理してる「アサヒハウス」の手腕が問われます。
写真:玉屋食堂