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伝説のNBA選手のその後~デニス・ロドマン

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:ロイター/アフロ)

 NBAオールスターゲームが迫ってきた今、宴に出場した煌びやかな選手のその後を追う4人目は、1992年から7年連続でリバウンド王となったデニス・ロドマンを選んだ。

 ロドマンはNBAで14年間プレーし、1989年、1990年、1996年から3年連続と、計5回チャンピオンとなり、キャリアを通じて2,750万ドルを稼いだ。オールスターには1990年、1992年と2度出場している。

写真:ロイター/アフロ

 1961年5月13日生まれのロドマンは、母、2人の妹と共に、テキサス州ダラスの貧民地区で育った。住居は、市が貧しい層を救うために築いた<プロジェクト>アパートの一室だった。

 「プロジェクトの住民には、生きるうえでのチャンスが無い。スポーツで身を立てるか、ドラッグの売人となるか選択肢は2つのみだ」

 彼は幼き日を、そう振り返っている。

写真:ロイター/アフロ

 高校入学時に身長が168cmしかなかったロドマンは、遅い成長期に2m近くまで背を伸ばし、21歳にして短大に入学。そこでの活躍が認められ、4年制大学に進学する。

 NBAにはドラフト27位、25歳の時にコールされた。バスケットボールの華である得点よりも、汚れ役であるリバウンドを極めた。

 「バスケットボールコートに立ったら、誰もが得点したいと感じるよな。リバウンドを取りたいって考えるヤツなんていないよ」と述べながら、勤勉さで頂点に上り詰めたのだ。彼は綿密に計画を立て、結果を出した。誰もロドマンの代わりを務められる者などいなかった。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 「NBA選手はバスケと出会ってなければ死んでいたか、刑務所に入っていたような男が多い。俺もそうだ。バスケットボールが、いつも周囲にあるトラブルから守ってくれた」

 という言葉も残している。

 1997年からはプロレスのリングに上がるようになり、昨年9月にも出演している。また、2013年から2018年にかけては複数回、北朝鮮を訪問して話題となった。

写真:ロイター/アフロ

 派手な髪型とピアス、そして奇行で注目を集めてきたロドマンだが、そのプレースタイルは、常にチームの和を重んじ、信頼を勝ち得た。

写真:アフロ

 彼が今年のオールスターをどう見詰めるのかも、非常に気になる。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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