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「やっぱり伝えたかった」パワハラ騒動から2年、体操女子・宮川紗江の今

金明昱スポーツライター
鎌倉市にある徳洲会体操クラブで練習を続けている宮川紗江(撮影・倉増崇史)

 今でも忘れられないその記憶は、2年前にさかのぼる。

 2018年8月29日、体操女子の宮川紗江が都内で会見を開いた。

 当時18歳の彼女が、日本体操協会幹部からパワハラを受けたと告発したことは衝撃的だった。時の人となり、世間を巻き込む騒ぎとなった。

 その3カ月後、日本体操協会の第三者委員会は「パワハラはなかった」と調査結果を報告。パワハラ騒動は静かに幕を閉じた。

「このまま体操ができなくなるのかなと思いました」

 宮川は騒動の渦中にいた当時をこう振り返る。あれから2年。今、どのように過ごしているのか。会見を開いて声を上げた理由を聞くと、そこには日本体操界へのある思いがあった。

「これだけやったのに…変わらない」

――2年前の会見から振り返らせてください。当時の記憶は今も鮮明ですか?

 もちろん今も記憶に残っています。2年前のことですが、最近のように感じます。私はあの会見で、体操界が変わればいいなと思いました。

――2年前と比べて大きく変わったという実感はないですか?

 今は日本代表チームに入っていないので、合宿の内容は分からないのですが、他の選手から聞くと「合宿が楽しくなった」とは聞いています。ただ、合宿にまた参加すれば、変わった部分を実感できるのかもしれません。これまでの合宿は、気疲れする部分もありました。先生たちからの“圧”があるというか。いつも仲良くしている先生とは普通に話すのですが、それを良く思わない先生もいるので、気を使ってしまうというか……。

――つまり、他人の目を気にしながら練習していたということですか?

 そうです。コーチだけでなく、選手同士もそういうところがありました。純粋に「体操が強くなる」という、それだけじゃないところはありましたね。

(画像制作:Yahoo!ニュース)
(画像制作:Yahoo!ニュース)

――会見から3カ月後に第三者委員会が「パワハラはなかった」と幕引きしました。そのときの気持ちは?

「これだけやったのに」という気持ちは正直ありました。それに、これだけじゃ変わらないというのも思いました。でも、当時は「練習に集中をしよう」と気持ちを切り替えようとしているときだったので、そこまで「何で?」という感じにはならなかったです。「もうこれはこれで終わり」という感じです。

――反論しようとは思わなかったですか?

 反論すれば、また同じことを繰り返すだけですし、自分の練習時間がどんどん削られていくので、東京五輪に向けてはマイナスしかありませんから。

――「18年間の人生の中で一番勇気を出した」と会見で話された思いが実らなかったと感じますか?

 勇気を出したということに変わりはないのですが、やっぱり伝えたかったというのが一番大きかったです。このままうやむやにして、飲み込むのは嫌でしたし、あったことを全て話そうと思いました。そこからどうなるかというのは考えていませんでした。あの会見で分かってくれた人もたくさんいると思っています。今思えば、伝えられて良かったです。

――日本のスポーツ界で同じようなことに悩んでいる人がいるとしたら、アドバイスできることはありますか?

 私がやったようなことは、すぐにできるようなことではありません。私の場合は共通の理解者がいるからできたというのはあります。何も分からないままやっていたら、つぶれていたのかなと。周りの人の力というのはすごく大切だと思います。

2年前の会見を振り返り「分かってくれた人もたくさんいたので、伝えられて良かった」(撮影・倉増崇史)
2年前の会見を振り返り「分かってくれた人もたくさんいたので、伝えられて良かった」(撮影・倉増崇史)

速見コーチとの関係、東京五輪への思い

 宮川の現在の練習拠点は神奈川県鎌倉市にある徳洲会体操クラブ。ここで毎日練習に励んでいる。

 気になっていたのは、宮川と速見佑斗コーチの関係だ。

 速見コーチは、2年前の協会の聞き取りに対して宮川への暴力行為を認めたため、2018年8月13日付で無期限の登録抹消処分となった。この重い処分は現在も解かれておらず、試合帯同もできないが個人として宮川を指導している。

 宮川は当時の会見で「コーチと一から出直すつもりで再スタートを切りたい」と語っていたが、その言葉通り、速見コーチと二人三脚での練習を続けている。2019年4月の全日本選手権から復帰。目標はもちろん、1年延期された東京五輪だ。

――東京五輪への思いを聞かせてください。

 みんなが最高の状態で五輪に参加するためにも、1年延期は良かったと思います。2020年に五輪があっても、21年にあっても、2年後にあったとしても、自分のやることは変わりません。年齢的にも一番いいときに東京五輪を迎えられるわけですから、絶対に出たいという気持ちは強いです。

――五輪に対するこだわりは相当なものですね。

 リオ五輪に参加して、誰もが経験できるものではないと思いました。予選のときは夢の中にいるような感覚でした。あの空間は、その場にいないと分からない空気が絶対にあると思います。

4年前のリオ大会で五輪に初出場し、団体で4位入賞を果たした(写真:アフロスポーツ)
4年前のリオ大会で五輪に初出場し、団体で4位入賞を果たした(写真:アフロスポーツ)

20歳が思い描く引退後の未来予想図とは

――五輪のほかに目指していることや夢はありますか?

 五輪の次の夢は、自分の体育館を建てることです。その第一歩として、五輪でメダルを取れば、体育館を建てるときに協力してくれる人たちや、資金も入ってくると思うんです。選手生命は人生の4分の1くらいと考えると、次の活動も少しは視野に入れないといけません。将来は体育館を建てて、体操の普及活動をしながら、もっと体操をメジャーにしたいです。

――それはいつ頃から思い描いていましたか?

 中学生の頃から全日本選手権に出るようになって、「試合がつまらないな」というのは感じていました。観客は演技に成功したら拍手をして応援をするのですが、全体的には静かに座ってますよね。中学1年のときに海外の試合に初めて行ったんですけど、観客が立ち上がり、口笛を「ピュー!」って吹いて大盛り上がりだったんです。

――日本では見られない光景を見て感じたことはありましたか?

 そういう文化が根付けばいいなと思っていますが、日本の体操にはそうした文化がありません。体操のイメージは固くて、体操しかしていないみたいな印象があります。それは別に悪いことではないですが、それだとあまり広まらないのかなと思うので、少しずつ変えていかないといけないです。中学生のときから、引退をしたら「体育館を建てる」という未来予想図は持ち続けています。

――体育館を建てるためには知名度を上げることも必要だと思いますか?

 自分の名前を出してというより、体操界全体の知名度を上げたいという思いが強いです。五輪で活躍できれば、テレビにも出てみたいです。「しゃべくり007」や「ジャンクSPORTS」とかですね。ああいう番組で、どんどんいじり倒してもらいたいです(笑)。

――ダウンタウンの浜田雅功さんに叩かれたいとか?(笑)

 それはどう言えばいいんだろう(笑)。今までバラエティ番組で体操選手が面白く絡んでいるのって、あまり見たことがなくて。あるスポーツ選手に話題を振ってもらって、それに対してめちゃくちゃ面白く返しているのを見ると、うらやましいなーって思います(笑)。

「体操をもっとメジャーなスポーツにしていきたい」と語る(撮影・倉増崇史)
「体操をもっとメジャーなスポーツにしていきたい」と語る(撮影・倉増崇史)

――そういう意味では最近開設されたYouTube「さえちゃんねる」は、体操を広めていく上で大事ですね。

「こんなに明るい子だったんだ」というコメントがすごく多いんです。体操に集中するときは集中して、そのギャップをYouTubeで出していければ、自分らしさが表現できるのかなと思っています。順調にチャンネル登録者数は伸びているので、地道に続けていきたいです。

――最後に伝えたいことはありますか?

 これからは自分たちの世代も含めて、若い人たちがどんどん率先して体操界を変えていく必要があります。今から体操を始める子もいると思いますし、小学生にも体操を楽しんでほしいので、教えていきたいです。それに五輪を目指す選手たちが、もっと競技に集中できる環境を作っていきたい。そういう意味では、大きく動かすとなったら、若い人たちの力で一気に変えたいです。体操を有名に、もっとメジャーにしたいという思いはこれからも変わりません。

■宮川紗江(みやかわ・さえ)

1999年9月10日生まれ(20歳)。東京都西東京市出身。2歳から体操を始める。2014年から女子ナショナル選手に選出。同年7月の全日本体操種目別選手権大会の跳馬で優勝。また、同年8月の南京ユースオリンピックでは跳馬で銅メダル獲得。2015年の世界選手権出場。2016年、リオオリンピック日本代表に選ばれ、五輪初出場。体操女子団体、女子種目別ゆか、女子種目別跳馬に出場し、団体では4位入賞のメンバーとなった。現在は、延期になった東京オリンピック出場を目指している。美容外科の「高須クリニック」から支援を受け、芸能プロダクションの「サンミュージック」に所属。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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